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下の名前で◇西園寺ゆりあ


 放課後、昇降口の近くで総士君を待っていると、珍しくナンパのような人が寄ってきた。


 校内だから、はたしてナンパと言えるのかはわからないが、その人は割と粘着質な笑顔と声でわたしに話しかけ続けていた。


 それだけならまぁ、まだいい。

 しかしその人はわたしの肩に馴れ馴れしく手を伸ばした。これには若干閉口した。

 さりげなく身体を動かすけれど、力を込められてしまう。こういうの、セクハラっていうんじゃないかな。


 なんとなく、思い出す。

 以前、総士君に変質者から助けてもらった時のこと。あれはすごく安心したし、今思うと格好よかった気がする。総士君は普段穏やかだけれど、ここぞという時には決めてくれる人なんだ。


 一瞬ホンワカして現実に返ると、ナンパの人がニヤついていた。


 わりとそれどころじゃなかった。


 こういう痴漢みたいな思考の人は気弱にしていると増長する。


「おい、嫌がってるだろ。その薄ぎたねぇ手をどけな」


 低い声が聞こえて、ナンパの人と一緒に振り返る。

 そこには。


 そこには両手の骨をポキポキ鳴らしながらまなみんが立っていた。


 ナンパの人は「ひぃ」と息を呑んで逃げていった。


「さいちゅん大丈夫だったか?」

「ありがとう! まなみん格好いいね!」

「いやぁ、当然のことしたまでよ」

「格好いい! 格好いい!」

「そうか?」

「まなみんイケメン!」

「よせやい……照れるだろ」

「照れてるの可愛い!」


 まなみんが軽く小突いてくるので、笑いながら肩を押す。ふたりでじゃれてにこにこしていると廊下の奥から総士君が出てきた。


「あ、あれ、西園寺さん、早乙女さん……なにかあった?」

「……」

「……」


 ふたり揃って「なんでもない」と答えた。

 しかしながらまさか校内でナンパまがいのことをされるとは、わたしと彼の関係はさほど知られていないようだ。


 いや、まなみんも、他クラスでもそこそこ話題には上っていると言っていたし、そこそこイチャついてもいる。


 ということは……もしかしてわたしの片思いと思われてるとか? あり得なくはない。

 いずれにしてもイチャ度が足りていないのかもしれない。

 だいぶ間を空けて隣を歩いていた総士君に距離をスススと詰める。


「え、なに?」


 総士君が明らかに警戒した顔で身をこわばらせた。恋人に対する態度としてはだいぶいただけない。そのままぎゅっと手を握るとビクウと震えたが、特にふりほどかれはしなかった。


「総士君、わたしのこと、好き?」

「……え」


 総士君が硬直した。それから周りを気にするようにキョロキョロし始めた。下校時間、まだ周りに生徒はそこそこいた。


「できたら、大きな声で、頼みます」

「……小さな声でも難しいんだけど」

「え、好きじゃないの?」


 総士君は首がもげそうな勢いでブンブンと激しく横に振った。


「では、どうぞ」

「……」


 総士君が蚊の鳴くような声で発したそれは「……黄デ」みたいな単語しか聞こえなかった。

 まぁいい。こんなところで大声で愛を叫ばれたとしてもそれは少数の目にしか触れない。もっと根本的なカップル感が必要。


「そうだ!」

「えぇえっ!」


 まだなにも言っていないのに変な声をあげられて心外だ。


「そろそろ下の名前で呼んで」

「したのなまえで」


 無駄にリピートしてきた。


「うん!」

「つまり……西園寺……下の名前で……おぉ……」


 総士君が気が遠くなるような顔をして天を仰いだ。わたしは恋人にそんな顔をさせるようなことを言っただろうか。


「無理ならいい」

「い、いやなんとかする! なんとかするよ!」

「な、なんとか……? わ、わかった」


 その晩、総士君からメールがきた。


 メールの件名は『下の名前』


 本文には『ゆりあさん』とだけ書かれていた。


 だいぶ混乱していることだけは伝わった。




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