わたしの住む街◇西園寺ゆりあ
わたしの住む街は閑静で、比較的裕福な人が多く住んでいる街だ。そこそこ便利でお店は揃っている。
しかし、この街には決定的に足りないものがあった。
この街には牛丼屋がない。やたらと高いおしゃれなレストランとかカフェとか、そんなのばかりだ。
お母さんからもらった軍資金を握りしめ、わたしはお店を脳内で吟味していた。
たまに家族で行くところは高いというか、固いので嫌だ。せっかくだからもうちょっと、砕けた、家族では間違っても行かないようなところがいい。
「総士君。わたし、気になってる定食屋さんがあるんだけど……」
「え、じゃあそこ行こうよ」
「総士君、大丈夫?」
「なにが?」
「ほら、定食屋さんて、ライバル的な……その……」
「え、そんなこと考えたこともないが……うちそういう味自慢の店じゃないし」
「総士君ち、付け合わせががたくさんあって嬉しいし、味もすっごく美味しいよ! もっと自信持って!」
力強く言うと、彼は困ったように笑って頭を小さく掻いて「ありがとう」と素直にこぼした。
この人は自分のことには自信を持てと言ってもまったく聞かないが、家族のことは割合素直に受け入れてくれるようだ。
わたしの気になっていた定食屋さんにふたりで入店。歴史があるといえば聞こえはいいが、そこそこボロい、それでいて雰囲気のいい店。海老フライ定食とほっけ定食をそれぞれ頼んだ。
「総士君は格好いいよね」
「え?」
「顔の話」
「ええ?」
「総士君、お家のご飯が美味しいことは認めるみたいだけど、その辺どうなの? やっぱりあれだけモテるんだし、そこも認める?」
「……そんなこと言われても……困るだろ」
「えー、困るの? 認めなよ」
「じゃあ西園寺さんが可愛いということを先に認めてよ」
「へ?」
なにを言い出すんだこの人は。
「西園寺さん、可愛いよね。さぁ、認めて」
「か、かわい……」
「西園寺さんは可愛いだろ」
「わ、わかった……。困るのわかった」
客観的評価とかの話なのに、好きな人に言われると、しかも普段そんなことをぺろりと言わない人に言われると本当に困る。頬に熱が溜まっていくような感覚があった。
それでも、やっぱりちゃんと聞きたくてもう一度確認してしまう。
「総士君……可愛いと思うの?」
「えっ」
総士君はあからさまにしまったという顔をした。
「……思いますが」
「なんで敬語」
「客観的に見て……そうだと……」
総士君はなぜだかしかられた後のようにばつが悪そうに答えた。
「主観的な意見は?」
「……それもだいたい……同じ」
どんどん元気がなくなる。なんだか責めているような気分になるが、ここでめげてはいけない。
「じゃあ、個人の意見として、もう一度言って」
総士君はしばらく定食のつけあわせのお新香を箸で持ち上げたりおろしたりしていた。
けれど、やがて思い切ったように水を一気飲みした。コップを勢いよくトンと置いて口を開く。
「西園寺さん!」
「は、はい!」
「………………ぅぃ」
「えっ」
「ワゥイです」
「う、うん」
そこはかとなく原住民の言語。
たぶんソシクサラ族の言語で「今日はいい天気ですね」とかそんな意味。
ぜんぜん日本語になってなかったけれど、これ以上追及するのもかわいそうなのでやめた。
「総士君は格好いいよ」
「……ゴっ」
「これはわたし個人の意見です」
「……はい」
本当のことを言うと、顔がどうとか、好きすぎてよくわからなくなっている。素敵にしか見えない。
恋というのは恐ろしい。わたしは彼がゴルゴンゾーラみたいな顔でも、素敵に見えていたかもしれない。好きだなあと思うたび、どんどん格好よくみえるようになっていく。
そこからふたりとも少し無口になって、定食のお味噌汁を食べたり、お新香をぽりぽりした。
「美味しいね……」
「うん……美味しい」
お店を出てもまだ空は明るかった。
「総士君、少し散歩して帰ろう」
「うん」
引越してからもそこまで好きなわけではない街だったけれど、彼と歩いていると、街路樹とか、妙にきらきらして見えてくるから不思議だ。
隣り合った手をぎゅっと握ると、総士君が電撃でも流されたかのようにビクウと震えた。
「あのさ、西園寺さん、握る前にひと声かけてくれる?」
「そんな、寿司屋じゃないんだから……いい加減慣れてよ」
「いや、手拭きたいし、心臓に悪い」
「……わかった。声かける」
心臓に悪いのはよくない。了承の合図として握った寿司……じゃなかった手をぶんぶん振った。
「あ、ねえ総士君」
「なに」
「この形じゃなくて、恋人つなぎにしてみていい?」
総士君はやや怪訝そうな顔をしてからつないでいた手を離した。それからおもむろに自分の両手をがっちりと組み合わせてこちらを睨んだ。
「それ……こういうやつ?」
「そう! それ!」
「これ、手汗の伝導率が高そうじゃないか?」
総士君が祈りを捧げる格好のまま、くだらない不安をこぼした。
「大丈夫だよ。少しくらい手汗ついても、寿司じゃないんだから」
「いや、うーん……寿司ではないけど」
ちゃんと先に断ったらこれだよ……。
それでも「ハイ」と手を出すと、餌をもらいにきた気弱な動物みたいな動きでおずおずと手を伸ばしてきたので形を作った。
「うむ」と頷いて歩きだす。これはいい。つなぎかたを変えただけで恋人感がだいぶ増した気がする。
「わー、なんかドキドキする」
「え、そう? 俺は心停止しそうだけど」
だいぶ危険な返答を普段よりさらっと返しているあたり、かなり動揺度が高そうだ。
それにしてもつなぎかたを変えるだけでガッチリとしたホールド感が違う。安定感急上昇。ワンランク上の安全性とフィット感で、新しい世界へ。素晴らしい。
すごい嬉しい。テンション上がる。嬉しい。好き。
「あー、好き……」
「さ、西園寺さん?」
「え? あ、声に出てた?」
「出してないつもりだったの?」
「うん。でも出てもかまわないよね?」
「いや、俺はかまうけど!」
「おかまいなく。好き!」
「かまうって! カニが……カニが……!」
「カニがどうしたの?」
今度は総士君が「声に出てた!?」とびっくりしていたけれど、カニのことはそれ以上は聞かせてもらえなかった。
手をつなぎながら駅までの道をのんびり歩く。
盗み見ていた彼がこちらに気づき、目が合って困ったように笑う。その笑顔は照れたようにすぐ消えて、瞳は前を向いて空を見た。
どんな時でも彼の芯には穏やかさがあって、瞳の奥に鎮座しているそれは、つないだ手以上にわたしの心をガッチリつかんでいる。
やっぱり触れるのっていいなと思う。
隣を歩く彼の横顔を盗み見て、そのたびに顔がにやけそうになる。
顔が見れるのもいい。
総士君に、ネクラ君に、ちゃんと会えてよかった。
ネクラ君より好きになる人なんているんだろうかと思っていたけれど、ここにいた。
今日もすごく楽しかった。
明日もきっと、もっと楽しいだろう。
頭上でカラスがカァと鳴いて、同時に空を見上げた。




