彼女の住む街◆佐倉総士
休日の午後に会った西園寺さんは長い髪の一部に三つ編みを編み込んだ複雑な頭をしていた。
作成方法はよくわからないが、とんでもなく可愛かった。このよくわからない髪型を最初に考えてくれた人にお礼を言いたくなる可愛さだった。
その日は彼女の住む街の駅に呼ばれて、改札で落ち合った。
「今日はどこに行こうかなーと思ってたんだけど……」
「うん」
「実は、お母さんに彼氏がいるのがバレて」
「えぇっ!」
「バレたっていうか隠してもなかったんだけど……」
「えええええけけけええええ」
「一度連れてこいって言われたから、家に行きます」
「そんな急に……」
「うん。総士君気つかいそうだから言わないほうがいいかなと思って。あ、大丈夫、お父さんとお姉ちゃんは出かけてるから」
「なにが大丈夫なのかわからない」
「うん……お姉ちゃんとお父さんのほうがやいのやいのうるさそうだから」
「ハァ……」
「お母さんには総士君の名前、性格、成績もろもろ、品行方正な人だって先にたくさん話してあるから大丈夫だよ!」
「ハァァ……」
うなだれたまま犬のように連行された彼女の家は豪邸だった。
この、豪邸というのはあくまで俺基準なので、ヘリポートがあったり敷地がどこまでも続いて庭に噴水があったり、動物が住んでいるようなものではない。けれど地価の高い土地に洋風の新築。少なくとも我が家の何倍も裕福な暮らしを感じさせる。
聞くと使用人やお手伝いさんはいないまでも、お掃除の人は時折来るらしいので、別世界には違いない。バキバキに緊張する。
なんの緊迫感もなく玄関に足を踏み入れた西園寺さんが「あ、あれ?」と言ってキョロキョロしだす。
「どうしたの?」
「お母さん……いると思ったんだけど……どっかいっちゃったみたい」
「ええ!」
確かお姉さんとお父さんはもともといないと聞いていた。そうすると、ふたりきりということになる。
西園寺さんは数秒天井を見てなにやら思考をしていたけれど、すぐに「ま、いっか」と言ってへにょりと笑った。よくない。それはそれでぜんぜんよくない。
「とりあえずわたしの部屋にいよっか」
とりあえずの選択肢が激しく間違っているが、この人にそれを一から説明するのも骨が折れる。きっと納得してもらえないし、意図を正確に理解されたら、きっと殴られる。
広い廊下を横断して、西園寺さんがひとつの扉を開ける。一目見て彼女の部屋とわかった。
「あ、なんだか安心する」
「そう?」
洋風の新築豪邸の中にある雑然とある部屋。
そこだけ世界が違うかのように、コタツが置いてあった。部屋で着ているのであろう、赤い半纏もおいてある。
赤や黄緑や水色のポップな色合いの雑貨が溢れていて、中には可愛いのかわからないようなリアルな造形のぬいぐるみが混ざっている。しがらき焼きの狸や木彫りの熊もあったので、だいぶガラパゴスといえる。
その部屋は西園寺ゆりあという人のことを端的によく表していた。
「総士君、コタツに入ってて」と言われてコタツの一角にもそりと入る。ただのコタツなのに、なにかいい匂いがする気がする……。
しばらくして戻ってきた彼女は紅茶とクッキーをお盆にのせていた。
コタツの上にのったティーカップは持ち手が細っこくて、スプーンも貴族的な装飾が施され、クッキーは中央に宝石みたいなドライフルーツがついている。
しかし、やっぱりコタツにのっている以上、ややマヌケな絵面であった。
西園寺さんがにこにこしながらコタツの対面に座る。落ち着かない。ちょっと情報の多さと状況に頭がついていかない。
俺は心を落ち着けるため、海で見た蟹のことを思い出そうとしてみた。
しかし蟹が泡をぶくぶく出しながら「彼女の部屋カニねー」「ふたりきりカニー」などとハサミをチョキチョキぶんまわしながら野次を飛ばしてくるので今度は脳内から蟹を追い出すのに必死だった。
「…………と思うんだけど、まなみんは焼き芋派なんだって」
「え?」
しまった。西園寺さんがなにかしゃべっていたのに、なにひとつ聞いていなかった。早乙女さんが焼き芋派なことしか聞こえなかった。
「総士君?」
「え、ああ……うん。そうだね」
西園寺さんが大きな目を見開いてこちらをじっと見つめてくる。
数秒後、「聞いてなかったでしょ!」と言いながら四つん這いでこちらにワシワシにじり寄ってきた。
まずい。俺はとっさに距離をとろうと、手元にあったしがらき焼きの狸(小)をパッと前に突き出した。
「総士く……ぺぷォ!」
勢いがよすぎた西園寺さんは狸の顔面と小さな衝突をした。
「な、なに? なんでわたし狸とキスしたの?」
「ご、ごめん。ちょっと近いなと思って……」
「それのなにが悪いの!」
カッとなった西園寺さんが手元にあったマントヒヒのぬいぐるみを俺の眼前に勢いよくつきつけてくる。
「ッぶ」
マントヒヒは西園寺さんの趣味なので、もちろん異常にリアル。ちっともデフォルメされていない。俺はその写実的なマントヒヒとキスをした。かなしい。
顔が離れて口元をぬぐった俺は実に苦い顔をしていただろう。
それが西園寺さんのツボに入ったらしく彼女は笑い転げた。
「総士君がマントヒヒとキスした!」
西園寺さんはけらけら笑いながら「次はこれ!」と言って今度は手近にあった熊のぬいぐるみ(リアル)を俺の顔に密着させてきた。そうしてまた笑う。
笑い止まない彼女が立ち上がってきょろきょろしてから「総士君、はい! 次はこれ!」と次に出してきたのはエイリアンの第二形態であるフェイスハガーのぬいぐるみだった。
非常にグロい。
こんなものどこで入手したのかと問い詰めたくなるリアルさだが、くすくす笑いながらそれを俺の顔面へとじりじり接近させてくる。
「や、やめて! なんでそんなもの近づけるんだ! 寄生体植えつけられるだろ!」
「え、なんかこう……」
なんかこう、楽しかったのだろう。
言わずともイキイキした表情でわかる。しかし、依然グイグイ近づけるのはやめてもらえない。
「総士君! お願い!」
笑いながら必死にエイリアンとのキスを懇願されて、思わずこちらも笑ってしまうが、なんとか拒否しようとバタバタ奮闘していると西園寺さんが勢いあまって膝をすべらせた。
急に重さが変わったのでそのまま押し倒されるように、ドサリと後ろに倒れた。
一瞬後、俺の顔面にはエイリアンが無事乗っていたが、身体は美少女に乗られ、密着されていてとても困っていた。
ぱっと目の前が明るくなった。俺の顔についていたエイリアンがとりのけられて、視界には美少女が顔を覗かせる。
「総士君」
「……はい」
「次は……」
西園寺さんが真剣な顔でじっと見つめて顔を近づけてくる。長い髪が俺の頬にさらりと触れる。まずい。目の前の恐ろしく可愛い顔から目が離せない。
なんだこの状況。
しぬ。
脳内で浮かべた蟹が一瞬で爆ぜた。
早急に、事故がないうちに離れてもらうための策を頭で考えていたけれど、思考は進まない。
その時小さな風を感じた。
半開きの扉からキィと軋む音がして、そこに雪女みたいなはかなげな美人が立っていた。誰だかすぐに見当がつく。
あ、俺しんだ。
事故はすでにおこっていた。
「あー、お母さんどこ行ってたの?」
俺が呼吸を止めかねない恐ろしい状況にも関わらず、西園寺さんがそのまま美人の母親に声をかける。
「買い物行くけどすぐ帰るって、言ったよね?」
「え、言ったっけ?」
「あなた、ぜんぜん聞いてないとは思ったけど……」
「さ、さいひょんじさん……」
「ん?」
「どいて。なるべく早く」
「あ、ごめん」
髪の毛の乱れを直しながら西園寺さんがようやく俺の上からどいた。
「お母さん、棚にあったもらいもののクッキーあけちゃったんだけど、よかった?」
「……ゆりあちゃん、彼氏が来るとは言ってたけど……リビングにお通ししなさいって言ったよね?」
「え、言ったっけ?」
「言いました」
雪女母、笑顔が怖い。
「え……ごめんなさい」
真っ当な大人である西園寺母がまだなにか言いたそうにしていたけれど、なんとなく彼女の悪びれない反応により俺の冤罪は大まかには晴れた気がした。
美人母が呆れたようにため息を吐く。
それから「佐倉君、いらっしゃい」と言って困ったように笑った。姿勢を正して挨拶をする。とはいっても名を名乗るのが精一杯であった。
それでも、雪女母のブリザードは止み、柔らかな笑顔を俺に向けてくれた。
「なにもないけど、ゆっくりしていってね」
「い、いえ、もうおいとまするところです! 神に誓っておいとまいたします!」
冤罪が晴れたところで先程の状況は言い訳できない。恥ずかしいし、いたたまれないし、もう、ここを出るしか選択肢はない。
「えー、総士君、来たばっかりなのに?」
強引に鞄を持って慌ただしく扉に向かう。
玄関前で靴を履いていると西園寺さんのお母さんが来て、また申し訳なさそうな顔をした。
「……ごめんなさいね」
俺が言おうとした台詞はなぜか西園寺さんのお母さんから発せられた。
「ねー、お母さん、わたしも出てどこかで一緒にご飯食べてから帰るんでもいい?」
「いいわよ」
「わーい」
西園寺さんが笑顔で母親に手のひらをぺろんと差し出す。
母親はいよいよ呆れた顔になってため息を追加で吐いた。その後財布からぺらりと紙幣を出して彼女に渡した。高額紙幣におののいた。
「やったあ! 行こう、総士君」
玄関の扉を出る前にもう一度「佐倉君ごめんなさいね。また遊びにきてね」と謝られた。優しい人でよかった。
扉を出た西園寺さんはなぜかしばらく無口になって歩いていたけれど、ぼそりと呟く。
「……わたしだけキスできなかった」
「なに言ってんの?!」
「総士君、マントヒヒとはしてた」
「マントヒヒには奪われたんだよ!」
西園寺さんはじっとりとした目でこちらを見つめて、呆れたようにため息を吐いた。
なんというか、そのため息と目線、すべてお返ししたい。




