41.【エピローグ】◆佐倉総士
大失敗の告白をしてからというもの、西園寺さんは俺に大層優しくなった。以前のネクラに対するひりあちゃんに戻ったと言ってもいい。いや、それ以上だった。
「おはよう! 総士君! 今日もすてきだね!」
「総士君お昼食べよう! 約束してた最強のおにぎりと交換してね! 大好きおにぎり! おにぎり……具はなに? ちょっとだけ見たいな」
「総士君! 帰ろう! あ、それテスト? うわぁーすごいね! えらいね! がんばったね! 字もかっこいいね! そういえば前くれたスマホ壊れた時のお手紙、端っこに前衛的な牛丼の絵が描いてあったのが最高だったし、まだ持ってるずっと持ってるね」
「総士君、さっき女子に話しかけられて、びっくりしてよろけてた? すごくよかった! よろけかたが最高だった!」
どことなく馬鹿にされているレベルで優しくしてくれる。
彼女がそんなだからクラスでもすっかり公認のカップルとなった。
しかも俺がうまく返せないせいで、まるで彼女のほうが好きで追いかけてるみたいな構図になっている。そこについては非常に心苦しく思ってはいるが、改善の兆候は自分の中に見当たらない。しかし西園寺さんはあまり気にしていないように見えた。
*
薮坂に借りていたゲーム機を返しに行くと、ものすごくつまらなそうな顔をして出てきた。
「これ、ありがとな」
「はー……」
「なに辛気臭い顔してんだよ」
「……なぁ、総士。おまえ、何番目なの?」
「え、なんの話だよ」
「だから……89人目くらいの彼氏?」
「まだそんなの信じてるのかよ……」
「うわ、なにその余裕! 腹立つ! 腹立つ!」
余裕とかなんとかじゃなくて、その情報はもはや古い。そんな都市伝説みたいな情報を信じてるのは薮坂くらいだろうとは思うがたぶん、真実を見つめるのが辛いからなんだろう。
「だってモテる女はおまえみたいなの絶対嫌いだろ!」
「モテる女にも色々いるんだよ」
その、モテる女西園寺さんが廊下の向こうからこちらに来た。薮坂が、すかさず駆け寄って話しかけた。
「西園寺さん! こいつ何番目なんですか! 何百番代の彼氏なんすか?!」
「おまえ馬鹿か。そんなの、いたとしても言うわけないだろ……」
「うっせえ! 総士のくせに冷静なツッコミいれんな! 俺ほどになると反応から色々わかんだよ」
「西園寺さん、ごめん。こいつ無視していいから」
西園寺さんは薮坂に向かって真面目な顔で指をぴんと三本立てた。
「全部で三位まで順位があるんだけど」
「は、はい」
「上からみっつ、全部総士君で埋まってる」
西園寺さんがものすごく可愛い笑顔でそう言ったので、薮坂が殴られてもいないのに弾け飛んだ。
「……ゴァじゃあがぁぃぇあヌゲオれヨォーーーーイ!」
惚気られたと思った薮坂が泣き叫ぶ。俺は三人目の俺が誰なのか気になった。ネクラ、佐倉、あと誰だ。薮坂が少し離れた場所で泣きながら叫び続けている。
「ねだかやはっ! やちんちんかやひちた! ッ、いでーッ!」
教室から出てきた早乙女さんが上履きで薮坂をすぱーんと叩いた。
「うるせえぞゴミ男。日本語しゃべりやがれ」
「のかンさごっアっ、あだーーっ!」
追加ではたかれてまた飛び跳ねる。
「も、もう……心も身体もボロボロだよぉ……」
友人に彼女ができると心身ともにボロボロになる男。薮坂透。
西園寺さんは、俺に期待をしない。
彼女はネクラ君である俺のことをよく知っているから。そして何故か、パブリックイメージではなく、情けないほうの俺のことをこよなく愛してくれる。
だから俺は、好きな子に対する緊張はあれど、格好つけなければならないというストレスは持たなくてよかった。
それでもたまにやらかしたと思うことはあったけれど、そういう時ほど彼女が大喜びしているので、ゴリラのメモ帳としがらき焼きの狸が好きな女子高生の、特殊な趣味として処理することにしている。
西園寺さんときちんと話すようになって、藁子ちゃんと話すことは減った。
俺がいい歳して持っていたイマジナリーフレンドの藁子ちゃんは、俺の知らない“女の子”という生き物の象徴であったがため、実在の女の子の情報に、その体温に、息づかいによって、簡単に上書きされていく。
知らないこと、知りたいこと、わからないことも、恥ずかしい思い込みも、全て彼女に直接聞けばいい。どのみち他の女の子の情報はいらないのだから。
ひとりの人間と向かい合って、色んな部分を知っていくと、自分にとっての“当たり前”が緩やかに更新されていく。
俺はだんだん女性を過度に神聖視しなくなっていたし、その分人として愛しく思う感覚を得ていっている気がする。既に以前の感覚を失いつつある。
ここから長い時間がまた経てば、モテるとかモテないとか、そんなことばかり気にしていた青春時代のことすら忘れて、大人と呼ばれるものになっているのかもしれない。
俺はそのうち、忘れていく。
女の子がゲロを吐かないと思っていた時のそのぼんやりした感覚を。
初めて好きな子の手を握った瞬間の感動を。
顔も名前も知らないあの子と過ごした、あの夏の日の遊具の中のむせかえるような空気も。
どんどん忘れていく。
同じ“人間”ではなく、わけのわからない生き物であった“女の子”と、それを象徴する藁子ちゃんのことも、いつか、すっかり忘れてしまうのだろう。
*
『キモモモ、キモモモ』
明け方、浅い眠りの中、枕元で声が聞こえた。
『そーしくん、そーしくん』
枕元にカサリと鎮座した藁子ちゃんが俺を起こす。
どうしたの? こんな明け方に。
『藁子、もう行くねー』
え、行くって、どこに行くの?
『いけめんあいらんどー』
聞いたことない場所だけど……。
『いけめんあいらんどはねー、いけめんがたくさんいて、いけめんむざいなのー』
そ、そうなんだ……。
『だから藁子はそこに行って幸せになるんだよー』
ゆらゆらと混濁した意識の中、はっと目が覚めて顔を上げる。
枕元にもちろん藁子ちゃんはいなかった。そこには朝のやわらかな陽が静かに射しているだけだった。
何もない白い枕を見つめる。
そっか。
楽しいといいね。いけめんあいらんど。




