40.解散◇ヒリア
佐倉君とキスした。
二回も。
一度目は向こうからで、二度目はわたしから。
一度目のそれは薄暗い場所で、彼がわたしをひりあちゃんと呼んだから、相手はネクラ君だった。
だから、二度目のそれは、佐倉君にしてみた。
少しだけ変な感じがした。いけないことのような気もした。二度目は目を開けて、自分からしたからかもしれない。わたしの彼氏はこんなに格好良くないはずなのに。ネクラ君じゃないみたいで。
でも、ドキドキした。
*
教室を出て端のクラスを目指していると佐倉君が少し前を歩いていた。
佐倉君があれ、という顔で立ち止まる。
「いや、別に佐倉君に用事があるわけじゃなくて、わたしも同じ方向なだけ」
「ああ……たぶん目的地が同じなんだ」
一緒に行くべき場所すら別行動で行っていたのに、不思議なものだ。
佐倉君が前の扉から中を覗き込んだので、その後ろから頭をひょいと出して自分も覗き込む。なぜか教室じゅうの人がこちらを見た。
目が合ったまなみんがニコニコしながら出てきてくれた。
二人で移動する時ちらりと扉のほうを見ると、彼の友人の男子生徒が出てきて、こちらを見て、何か話していた。
「オイオイ仲よさそうだな!」
「うん……」
「どうなった?」
「わたしはネクラ君が、前と変わらず好きです……」
「そっか」
まなみんが背中をバンバン叩く。
「佐倉君も人間なんだなぁ」
わたしの話していたネクラ君が佐倉君だということに思いを馳せたらしいまなみんがこぼす。口元をほころばせながらしんみりするという絶妙な塩梅の表情だった。
*
お昼休み、わたしは河合さんを呼び出した。
「河合さん、ちょっといいかな」
「私のほうも報告したいことがありました」
「その前に、敬語、なんとかなんない?」
「……失礼。癖です」
あまり気にしていなかったけれど、もしかして河合さんて、みんなにこうなのかな。だとしたらまぁ、いいかな。
昇降口を出て、辺りを見まわす。ちらほら生徒はいたけれど、近くにはいない。わたしは近くのベンチに座ってお弁当を出した。河合さんも出した。とりあえずお昼を食べなければ。
「河合さんのお弁当、綺麗で和食っぽいね」
「家が懐石料理出してます。その関係で」
「えっ、そうなの?」
いいなあ。わたしのお弁当は相変わらずチキンのハーブ焼きとか、スコッチエッグ。
「河合さん、少し交換しない?」
「うひっ、いいんですか?」
河合さんが、河合さんらしからぬ声をあげて、目を輝かせた。そうか。わたしにとっては憧れで新鮮なそれも、彼女にとっては日常。逆もまたしかり。
河合さんにおかずを分けてもらい、その成り立ちについてレクチャーを受けているうちに食べ終わった。ようやく本題に入る。
「佐倉君のことなんだけど……」
「はい。みなまで言わずとも結構です」
今思えば、彼氏五十人はともかく、こっそり会ってるって言ってたのは本当のことだったんだよな。
どこまで知っているんだろう。
第二図書室は、扉を閉めれば会話までは聞こえないと、思う。まなみんはわたしが会ってるのが佐倉君だと知らなかったし、結局それ自体はそこまで広まらなかった。本当に想像でしかないけど、河合さんが見て、怪しみはしたものの、場所までは周りに言わなかったとか。他にも不確かな噂が多過ぎて紛れたのもあったかもしれない。
「このたび、佐倉君を見守る会は解散のはこびとなりました」
「え、そうなの?」
「ここ最近会員はだいぶ目減りしました……」
「え、わたしが……佐倉君と仲良くしていたから?」
「いえ……皆彼氏ができたり……ほかに真面目に懸想する相手ができたりしまして……」
脱力する。なんだよ。わたし超関係ないじゃん……。
「それになんというか……佐倉君の誕生パーティはカップル成立率が異様に高いのです」
なんなんだよ。佐倉君は。
「河合さんは、佐倉君が好きってわけではない……んだよね?」
「はい。私は美しい人を見て愛でるのが好きなんです。お花や星と同じ。でももちろん相手が人である以上幸せを願ったりもします」
「好きな人はいないの?」
「……あまりぴんとこなくて。正直に申しますと過去に佐倉君を好きだと思っていたこともあるのですが……彼の内面や、隠れた部分を見て向き合いたいとは思えなくて……むしろ見たくない。それで、違うと結論付けました」
「わたし、佐倉君が好きなんだ」
「……それは」
「もともと彼氏はいないし、河合さんたちみたいに、見て愛でるつもりもない。ちゃんと、普通に好きなんだ。つ……付き合いたい?」
つい語尾が疑問形になってしまった。
ネクラ君とは両思いになったけれど、そのあと色々あったので、今外に向けて付き合っているとは言いがたい。これが現状の、精一杯。
「なんか……河合さんには一応言っておこうかなーと、思って」
先に状況を言っておけば彼に話しかけてわけのわからない誤解をされることもない。全員に言ってまわるわけにはいかないけど。それでも。
「はい。了解いたしました」
河合さんは目を細めて静かに頷いた。
「ちなみに私は今後は新しく結成された、佐倉君と西園寺さんを見守る会の会長として、全力で尽力していく所存であります」
「な、なんだそれ。やめてよ」
背後から声がして振り向くと佐倉君だった。
手にビニール袋を持っている。おそらく高い確率で増田先生の買い物にいかされていた。その帰りだろう。
「河合さん」
「は、はい」
「お願いがある」
「なんでしょう」
「西園寺さんのプライバシーに関わる、その変な会、解散してほしい……」
「……はい」
佐倉君のひとことで簡単に会は解散のはこびとなった。
しょんぼりしてしまった河合さんを見て、なんだか気の毒になる。
「河合さん、佐倉君を見守る会のほう再結成すれば? わたしも入るし……」
「うーん、そうですねぇ……その時はお声がけいたします」
「やめて。俺のプライバシーは?」
「あ、わたし、入れる?」
「もちろんです」
「もし、今後……彼女になっても入れる?」
「佐倉君を愛でる気持ちさえあれば、どなたさまも歓迎です」
見守る会の緩さは天下一だと思う。
「おふたりは……付き合ってなかったんですね」
「そうなの?」
佐倉君が驚いた声を上げてわたしを見た。
そんな反応されると思ってなかったからびっくりしてしどろもどろになる。
「え、だって色々あったし、あれは名前とか知る前だし……ナシになってる可能性もあるかなって……」
「え、ナシなの? でも……昨日……」
デートした。キスもした。
もしかしたら付き合っている可能性も高い。思い出したら恥ずかしくなってきた。よくわからなくなってきた。困って河合さんの顔を見た。
「えーと、河合さん」
「はい」
「どっちだと思う?」
細かなことも話さずに河合さんへぶん投げた。
彼女はしばらくううんと考えて、おもむろに頷いた。
「付き合ってます」
河合さんのその、雑さが好きだ。
「付き合ってるって! 佐倉君!」
「その納得のしかたはどうなの?!」
「えー? 駄目?」
「佐倉君、そう言うならはっきりさせてください」
河合さんの、およそ佐倉愛でし者とは思えぬ冷静な声に彼は黙って、ふっと空を見上げた。
たぶん、対応できなくなっただけなのに、傍目には周りを拒絶してるように見える。思考停止してるだけなのに、ものを考えているように見える。得な顔だ。
「では、ごゆっくり」と謎の文句を残して河合さんが先にその場を去った。自分も戻ろうか迷って佐倉君を見ると、思いつめた顔で正面に来た。
「西園寺さん……」
「え」
「はっきり言うよ」
「はい」
「俺と……」
佐倉君はそこまで言って、大きく息を吸って吐いた。
そして……また息を吸って、吐いた。頭を片手で軽く抱えて、また吐いた。
汗がすごい。第二形態に進化する直前の宇宙人みたいだ。
「俺と……」
俺と、地球を滅ぼさないか?
そんな台詞がでてきてもおかしくない雰囲気だった。
これは、もしかして、佐倉君が、本物のイケメンとして覚醒してしまうかもしれない───
少しハラハラして待つ。佐倉君はなかなか口を開こうとはしなかった。
やがて、彼がカッと顔を上げておもむろに早口で言葉を吐き出した。
「さ、西園寺さん、俺と? つっ、付き……?! と、トムだちから……お願いしま……っ」
「……」
「……っぅ……」
佐倉君が吐いた台詞は、どもる、なぜか疑問系、挫折、のち内容改変、噛む、トム登場、なぜか敬語、語尾が消えさる。という恐ろしく情けない内容のフルコースだった。
佐倉君の声が情けなさの羅列となって空に放り出されたその時、わたしの頭の中で不思議なことがおこった。
わたしの頭の中の第二図書室のネクラ君がすーっと消えていくのを感じたのだ。
それから、教室で見ていた佐倉君のイメージも、あとかたもなく消えていく。記憶として覚えているけれど、もうイメージのかたまりは感覚的には思い出せない。
今目の前にいる彼はそのどちらでもなくて、だけどネクラ君だったし、佐倉君でもあった。
そうして、目の前にいるその人に、わたしは突き落とされるように恋に落ちた。
なんて。
なんて、モテなさそうな人だろう。
佐倉君ではなく、わたしの恋心のほうが第二形態へと進化した。
それは、今までのネクラ君の分を内包して進化した、ネオスーパー恋心であった。
そうだ。トムだちの返事しなきゃ。
「やだ」
「えっ」
耐えられなくて、吹き出した。
笑っているうちによけいに可笑しくなってしばらく笑っていた。
「総士君、大好き。友達じゃなくて、彼女がいい」
総士君は色気と高潔さを感じさせるその顔に不似合いな、情けない表情をした。
「総士君……駄目?」
「いえ、よろしくお願いがします!」
「うん!」
変なところに「が」の字が入った!
見ると彼は口元をひき結んでいて、今度は玩具を買ってもらったのに、とっさに喜ぶ顔がわからない子どもみたいな表情。それか、モテない男子が女の子に生まれて初めて声をかけられたあとみたいな顔。そのふたつが同じかと言われると首を傾げるが、どちらもあてはまる。
「総士君、大好き!」
「毛義画」
謎の答えが返ってきて何ひとつ伝わらないが動揺してるのだけはわかる。
総士君は自信がなくて、卑屈で自尊心が低くて、自意識過剰なくせに自分ではなく他人の気持ちばかり考えている。
わたしはこの人が好きだ。この人の、このモテない感じが、わたしは大好きできゅんきゅんくる。いくらモテても変わらずモテないなんて、最高じゃないだろうか。
そうして、わたしと彼は正式に付き合うことになった。




