4.春休み◇ヒリア
「さいちゅーん! こっちこっち!」
春休みに入ってわたしはつかの間の休息を楽しんでいた。お休み大好き。今日は友達を訪ねて、かつて住んでいた街へと来ていた。
「マホ、りゅんりゅん! ゴリアテー! みんな、久しぶりー! あれ、ぽちょむきんは?」
「ぽちょ今日来れないって。さいちゅんに会いたがってたよー」
「そうかー残念。よろしく言っといて」
「さいちゅん相変わらず可愛いね!」
「本当に? これでも?」
激しく変顔をしてみせるとみんな笑ってくれる。ああ、安らぐ。
「中身は相変わらずだねー。前友達できないとか言ってたけど、あのあとできた?」
「できなかった!」
「即答!」
「なんでだろねー、さいちゅんはこんなに面白い子なのに」
「なんか敬語使われてる」と言うとみんなが「あぁ〜」と頷く。
「わかるかも。さいちゅん最近特に大人っぽくなったし、あたしも子供の頃から一緒じゃなかったら話しかけにくいかも」
「なんで?」
「気高い感じ!」
「これでも?」
変顔に変な動きもプラスでつけると今度は笑ってもらえず「外だからやめなさい」といさめられた。前は一緒にふざけてたのに、みんな、ちょっと大人になってる。
「さいちゅんいい子だから、そのうちできるよ」
「ありがと。あ、でもこの間、見知らぬ男子と珍獣ごっこして遊んだよ」
「は? 珍獣ごっこ? なにそれ」
みんながきょとんとするので珍獣モードに入って低い声を出す。
「ニンゲンたち、元気ソウダナ……オレ、オハナ、タベナイ」
「お、オオ……サイチュン……オマエ……オハナ、タベナイ……タベルノニンゲン」
さすが友人達。即座に理解して珍獣で返してきた。しかし、みんなが未開の地のモンスターになったので、発見役の人間がいないという事態になってしまった。
駅から一番近いゴリアテの家に行って、買い込んだお菓子を開封して、話を再開させる。
「さいちゅん、そのモンスターハンターの人とは友達になれなかったの? 相当仲良くないとそんな遊びできないと思うんだけど……」
「それが顔も名前も知らないんだよね」
「顔も名前も知らない相手にモンスター遊びふっかけたの? さいちゅんそれどうなの」
「ふっかけて来たのは向こうだもん」
そう答えつつもちょっと考えた。てっきりわたしが独り言を聞かれて恥ずかしいところにギャグをふって流してくれたのかと思っていたけれど、冷静に思い返すと別にモンスター遊びをしかけられたわけでもない、という解釈もできる。
そもそもわたしはあの時、ストレスがたまっていて、ふざけたくてしかたがなかった。だからそう思ってしまっただけかもしれない。でもそのあともちゃんと乗って返してくれてた。もし違うとしてもいい人だ。
「名前はともかくなんで顔がわかんないのよ」
しっかり者のマホに言われてそこまでの経緯を話す。みんなきゃあきゃあ笑いながら聞いてくれた。
「なるほどー、そういうことか」
「その人なんで話したのに、さいちゅんのほうに来なかったのかな」
「わかんない。でも、わたしも顔見られたくなかったからちょうどよかった」
「なんで」
「顔見ると普通に話してくれない人多いんだもん……」
少なくとも気さくにモンスターごっこをしてもらえる顔でないことは自覚している。だからあの日も結局、挨拶して顔も合わせないままそそくさと先に第二図書を出たのだ。
「うーん、そっかぁ。さいちゅんはもう高校でそういうキャラなんだね……」
「残念ながら」
「その人あとで探した?」
「うちの学校クラス多いし、第二図書室で会ったから、他学年の可能性もあるし……多過ぎて。声しかわかんないのに、無理だよ」
しかも、わたしはアニメの声優が途中で変わってもまったく気付かず観ているタイプなので、声で絞るのはそもそも無理そうだ。声の出し方が似ているとみんな同じに聴こえる。
「そっかあ……」
「あ、ねえ、さいちゅん共学どうなの? 告白されたりした?」
「されたよ。変なひとばっか」
「ああ、まぁ女子の顔の可愛いさだけ見てガンガン来る男にはろくな奴がおりますまい。さいちゅん断って正解じゃな」
りゅんりゅんが老成した口調でうむうむ頷きこぼす。
「格好いいモテる人とかいる?」
わたし以外のみんなはずっと同じ学校でそう変化がない。幼稚園から一貫の女子校なのもあって、みなこちらの話を聞きたがる。
モテる人を聞かれて、佐倉総士がぽんと浮かんだ。
「なんかねえ、同じ学年にすんごい貴公子みたいな人がいるよ」
「えーどんなどんな?」
「すんごいモテて、いつも女の子に囲まれているんだけど、隙がなくて誰とも付き合ったり仲良くしたりしないの。すごいよ。なんかちょっと頷いたり返事しただけできゃあとかわあとか騒がれてる」
みんなもわあきゃあ言って食いついてきた。
「どんな顔? 芸能人で言うと誰?」
「うーん……芸能人はわかんないけど……みんなは天草四郎に似てるって言ってたよ」
「天草四郎の顔見たことあんのかよ!」
「それは……ないと思うけど……イメージ?」
「さいちゅんもファンなの?」
「ぜんぜん。だってああいう人は友達と一緒に見て騒ぐのが楽しいんだよ。わたし友達いないから……ファンにもなれないよ」
「友達がいないと男子にきゃあと言うこともできないか……憐れさいちゅん」
「いやそういう問題じゃなくない? ニンゲンでしょその人。普通に話したり……」
「ニンゲン……タベタリ」
りゅんりゅんが思い出して呟いて笑ってしまったので、みんながまたモンスターと化してしばらくカタコトでおしゃべりした。
壁の時計を見たりゅんりゅんがわたしの顔を見て言う。
「あ、もうお昼だね。そろそろ行く? 牛丼」
「ぎゅうどん! いいの?」
「そりゃさいちゅんが来るんだからみんなそのつもりだよ!」
「初めて行ったときのさいちゅんの号泣っぷりが忘れられないよ」
「美味しいって泣いてたもんね」
「あのときの感動はわたしも忘れてないよ!」
生徒だけで飲食店に入るのは学校で禁止されている。だから当時そこに行きたいと言った時はみんなわたしが不良になったと大騒ぎした。今ではゴリアテの家の運転手さん同伴ではあるけど、ニコニコ付き合ってくれるようになった。
運転手さんはしゃべり声を聞いたことがないくらい寡黙なので、いてもお構いなしだ。
みんなで立ち上がって玄関を出た。ゴリアテの家の高そうな車にぞろぞろ乗り込む。
「予約してないけど入れるかな……」
「ゴリアテ、たぶんだけど、牛丼屋は予約とかできない……」
店に入り、みんなでテーブル席に座って注文する。五分も経たないうちにほかほかの牛丼が目の前にごとりと鎮座した。これこれ。上に紅ショウガをちょんとのせる。サイドメニューの豚汁もつけた。ほかほか湯気がたっている。この瞬間テンションはマックスだ。
「いただきます」
お箸でお肉をのせたお米を持ち上げて、ふうっと吹く。そんなに熱くないけど、毎回一口目はやってしまう。ぱくり。
あまじょっぱいお肉の味。それがお米と混ざり合って飛び込んでくる。
薄いお肉の味を噛み締め、お米を味わい、追いかけるようにあつあつの豚汁を口に流し込む。美味しい。知っていたけど。本当に美味しい。止まらない。今が永遠に続けばいいのに。タレの染みた米が、肉の味と絡んだ甘い玉ねぎが、わたしの脳を幸福に染めていく。
口の中で牛丼ワンダーランドが開園してる。中では「肉」と書いてある風船が飛びかい、マスコットキャラのどんぶり君が手を振っていた。
感動しながら牛丼をがつがつかきこむ。
家ではもちろん、こんな食べ方はしない。したら家族じゅうから大ひんしゅくだ。でも、これはきっと牛丼の正しい食べ方。
「さいちゅん、ほんと美味しそうに食べるよねえ」
笑顔でもぐもぐごくんとしてから頷いた。さらにあったかいお茶を飲む。
「だって美味しいんだよ!」
「いや、美味しいけどさ……」
「牛丼食べてるさいちゅん見てると幸せになるわー」
「絵面は、はてしなく似合ってないけどね」
「さいちゅん、口元に米粒ついてる」
あははーとみんなが笑って、わたしも笑った。
*
楽しく遊んだその日の帰り、わたしは行きと同じように電車に乗った。ゴリアテの家の車で送ってくれるというのを辞退して、遠いので早めに出た。電車は、割と好き。
途中乗り換えがひとつあった。改札を出て、普段は降りない駅で降りて、雑多な駅前のお店を見まわす。
知らない街を探索するのがわたしの趣味のひとつだ。
ドラッグストアがある。お団子屋さんも。あ、商店街もある。
ゆっくり見て歩きたい気持ちもあったけれど、今日はもう遅い。今度。今度絶対また来よう。
未練がましくちらちら見ながら駅に向かう通路で声が聞こえた。
「豆腐〜できたて豆腐〜」
ぱぷー。ラッパの音もした。
見るとリヤカーをひいて豆腐を売ってる人がいた。うちの近所にはこんなのあまり見ない。物珍しさでジロジロ見つめる。
ん?
ほっかむりみたいのをしているけど、あの豆腐売りの人には見覚えがある。
あれは学校のアイドル、佐倉総士じゃないのか?
見間違いかと思って何度か見つめたけれど、やはり佐倉総士に見えた。佐倉総士にしか見えない。
「豆腐〜美味しい豆腐〜」
ぱ〜ぷ〜。
しかし、どう考えてもありえないのでよく似た別人だと処理することにした。ない。佐倉総士が、豆腐はない。あの人はたぶんキャビアとかしか売らない。




