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39.【日曜日】夕ご飯◆ネクラ



「佐倉君の家に行きたい」と彼女が言い出した時は何事かと思って心臓が跳ねた。部屋を掃除したか、変なゴミがないかとか。色々脳内再生してチェックした。


「夕ご飯なんだけど……佐倉君ちがいいな」


「え、あ、家って店か」


 それは家じゃない。彼女にとっては似たようなものかもしれないけれど、だいぶ違う。


「うん! 美味しいよね!」


「よねって言われても……自分ちだし」


「わたし、牛丼が一番好きだと思ってたし、すごく美味しいんだけど……佐倉君の家のご飯が忘れられない……ファンなの。だめ?」


「いいんじゃない。親父も喜ぶし。でも、家で食べなくていいの?」


「遅くなるって言ってあるもん」


 彼女はにこにこしながら頷いた。


 軽く頷いたけれど、よく考えたら今までとは少し状況がちがう。


 西園寺さんはクラスメイトだったけど、今はただのクラスメイトじゃない。


「あらいらっしゃい! ゆりあちゃん! 総士、あなたはバケツに顔でもつっこんだの?」


 母親はそう言ったあと、西園寺さんの頭をちらっとチェックして、それが全く濡れてないのを確認して頷いている。変な想像するのやめてほしい。やめて。


「佐倉君、着替えてくれば?」


「そうさせてもらおうかな……」


 店の裏に停めてある自転車をかっとばせば十分くらいだ。


 ひとりで店を出て、自転車をこぎだした。無駄にガチャガチャとペダルを踏んで顔面に風を受けているうちに乾きそうな感じもしてきた。


 小一時間前から藁子ちゃんの小さな声がずっと聞こえてた。


『そーしくんそーしくん』と呼び『ちゅー』『ちゅー』『ちゅちゅちゅちゅー』と騒ぎ続ける声を俺は完全に締め出していた。思い出すと爆発しそうになるから。


 単純な嬉しさとは違う。後悔があるわけでもない。けれどそれは罪悪感というのが一番しっくりときた。


 ひりあちゃんとまだ一致していないから、裏切ったような気持ちになるのか。西園寺さんに自分のような奴がそんなことをしたからなのか。あるいはもっと単純な、自分の彼女に向ける劣情が醜くて目を逸らしたくなったのかもしれない。何が恥ずかしいとか具体性なく、やらかしたような感覚だけが頭にあった。何やってんだよ。俺のくせに。だいたい警告したからってやっていいもんじゃないだろ!


 部屋に戻って着替えて、顔も洗ったら少し落ち着いた。呼吸を整えて、家を出た。


「あ、おかえりー」


 戻ったときにはなぜか西園寺さんが店を手伝っていた。

 長い髪を後ろで結んで、胸元に『さくら』と書いてあるダサダサの紺のエプロンをして、しれっと定食を配膳していた。


「か、かァさァぁん……」


 顔面蒼白状態で虚ろな目で母を睨むと手をパタパタやって、心外な表情をしてみせる。さすがにやらせたわけではないらしい。とすると、本人が犯人か!


「西園寺さん! 西園寺さんに何やらせてんだよ!」


 西園寺さんはきょとんとしたけれど「お代もらってもらえないし……お店屋さん楽しい」と言ってへらりと笑う。


「それに、ご飯は佐倉君が戻ってから一緒に食べたいと思って……」


「いやでも……」


 お客さんが入ってきて彼女が緊張した感じに「いらっしゃいませ」と言った。


 美少女がちょっと拙い動きでお水を運んだり、食事を出したりしているさまに、お客さんもとてもニコニコしていた。おっさんの肉体労働者が多いからなおさらニコニコニコニコしていた。


「総ちゃんの彼女?」


 馴染みの客のおっさんがニヤニヤしながら聞いてるのに対して、彼女は曖昧な笑みを返している。答えたくないというよりは、配膳の手元に気を取られている感じ。


 しばらくしてお客さんの波がひいて、手伝いもいらなそうな時間に端の席で一緒に食事をとることにした。


「西園寺さん何にする?」


「え、どうしようかな。佐倉君は?」


「俺はなんか、余り物でいいかな……」


「じゃあわたしもそれがいい!」


「……ちょっと待ってて」


 それでいい、ではなくそれがいい、と言われてしまったのでもうそうすることにした。


 カウンターの裏に行ってご飯をふたりぶんよそう。お味噌汁も。それからポテサラ、ひじきの煮物、お新香、梅きゅうり、きんぴらごぼう、茄子の煮浸し、冷や奴、細かな付け合わせを皿に盛って、テーブルに並べる。


 彼女が小さな声で「うひょぅ」と、言ったのを聞き逃さなかった。


「メイン無いけど……卵でも焼く?」


「いいよぉ、じゅうぶんだよお。……ねえ、もう食べていい? 食べよう。いただきます」


 西園寺さんが拝むように手を合わせて、お箸を持った。


「こういうの、憧れてた。なんだっけ、内々のご飯」


「ナイナイのゴハン?」


「働いてる人が食べるメニューにないやつ」


「まかないのこと?」


「それだ!」


 笑顔で言ってお箸を運び出す。何から食べるんだろうと見ていると、きんぴらごぼうだった。


「……なみだでそうにおいしい……」


「そ、そう……? そんなグルメ向きの店でもないんだけど……」


「わたしの食の趣味とガッチリ一致するんだよね……もう佐倉君と結婚したい」


「げふ!」


 思わずお味噌汁をこぼしそうになった。

 恐る恐る顔を見ると彼女も発言に気づいたらしく「あ、」という顔をした。


「さ、西園寺さん……親が本気にすると困るから……」


「あ、あい」


 聞こえてないといいなと思って母親をちらりと見ると、聞いていましたといわんばかりにバッチリこちらを見て深く頷いた。なにか忌々しい……。


 西園寺さんが目の前で、上機嫌に食事をたいらげていく。本当に楽しそうに食べる。

 教室でひとりでお弁当を食べている時には、食べるのが嫌いな人だとすら思っていた。


「うち、あまり和食でなくてさ」


「作ってもらえば?」


「うん、頼んだことはあるけど、あまり得意じゃないみたいで……その……あんまり……それにわたし以外はみんな洋食好きみたいで」


 あまり和食にご縁がない家庭らしい。

 食事を終えて、お茶を飲んでぼやっとしていたら、母親が時間を気にしてこちらに来た。


「総士、遅くなるとよくないから、ゆりあちゃん送っていきなさい」


 ふたりで立ち上がり、店を出た。

 早めの夕飯だったけれど、もうあたりは薄暗い。夕方の街の喧騒があたりに散らばっていた。


 近所をいつもうろついている猫がにゃあと鳴きながら寄ってきて俺の足に身体をこすりつけた。


「カレーライス、久しぶりだな」


 しゃがみこんで顎の下を撫でてやると気持ち良さそうに目を細めた。


「あ、この子がカレーライス? ほんとだカレーライス柄だ」


 西園寺さんが言って猫に目線を合わせるようにしゃがみこむ。猫は背中の部分だけ茶色くて、手足や腹は白い。


 カレーライスは見知らぬ西園寺さんをちらりと見たけれど、特に気にせず後ろ足で耳を掻きだした。


 西園寺さんがカレーライスを撫でながらぽつりと言う。


「……佐倉君、家の近くまで送ってもらってもいい?」


「え、いいの? 俺はいいけど」


 駅までかと思っていた。


「いい? やった」と彼女が笑う。


 電車に乗った。そこまで混み合ってはいなかったけれど、座席は全部埋まっていたので、ドア付近にふたりで立った。


 西園寺さんが、ジロジロ見てくる。


 気のせいかと思ったけど、隠そうともせずまじまじ、穴が空くほど見つめてくる。消滅しそうになるからやめてほしい。


「うーん」


 小さく唸り声が聞こえて、見ると顎の下に探偵のように手を添えて、考え込むように見つめていた。そのまま何かのポスターにでもできそうな可愛さだった。


 彼女の家は駅からは近かったけれど、手を引かれてそのまま改札を出た。


 駅を出ると外はもう真っ暗になっていた。星が少しでている。


「佐倉君、寄り道していい?」


「うん」


 隣を歩きながらも時々チラチラこちらを見てくる。落ち着かない。


 緑の多い道で、縁石の上にとんと乗った彼女が手招きしてくる。


「佐倉君」


「うん」と返事をするとまたじっと覗き込んでくる。小首を傾げて大きな目で見つめられて、宇宙に逃げたくなる。


 彼女の白い手のひらが、ふわりと闇の中を移動して、俺の両方の頰に当てられた。秋風にさらされたそれは、ほんのわずかひんやりとして、ぞくりとした感触を頰に移した。


 そうして俺の顔をガッチリホールドしたまま、また、うーん、と唸って観察している。なんなの。この子は一体何を考えているの。


 呆れたような気持ちで油断した瞬間、西園寺さんが唐突に「おかえし」と言って顔を近付けて、唇に柔らかいものがふわりと重なる。


 街灯に蛾が止まるのが見えた。


 ここ、どこだっけ。


 ああ、地球ね。


 一瞬で思考停止した俺を置き去りに顔を離した西園寺さんは「……うわ、照れる」とはにかんで、自分の顔を手のひらで覆った。


 そうして目だけ覗かせて、ふにゃりと笑ってみせる。


 その笑顔が、俺が第二図書室で聞いていた声と、はっきりと重なった。


 ひりあちゃんが、俺の目の前にいた。


 ずっとそこにいたのに、突然現れたような、不思議な感覚だった。


「今日、ありがとう。楽しかった」


 ハリガネのように突っ立っている俺を置いて彼女はさっさと歩きだす。


 しばらく行ったところで振り向いて「ばいばい」と大きく手を振ってくる。


 気が付いた時には彼女の姿はすっかり見えなくなっていて、近くの葉っぱをガサガサ揺らす風を熱くなった頰に感じ、秋の虫の音を聞いていた。


 俺はこの日、再び完全に落ちた。






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