38.【日曜日】午後四時の遊具◇ヒリア
佐倉君と、ふたりで歩く。
通りがかった公園の奥に夏休みに会ったときの遊具に似たものがあった。あれよりはだいぶ小さいし、中に仕切りもないけれど、石でできた半円の中に入れる遊具。上部は滑り台になっている。
時刻は午後四時。陽が落ちてきていた。
「ね、あれ、寄ってこう」
そちらをパッと見た佐倉君が怪訝な顔でわたしを見て、もう一度遊具を見て、わたしを見た。
「え?」
「あれ、なんかほら、夏休みに会った時のやつと似てるし」
「え? え? 遊具って、寄ってくようなもんなの?」
「うん」
即座に頷いてそちらに向かう。
「無理無理無理、やめとこう」
軽い気持ちで誘ったのに激しい拒絶にあった。
「え、なんで」
「あれ小さいし、俺は無理」
「無理ってなに? ふたりぐらい入れるよ……お相撲さんなら……ひとり用だけど」
「やめておいたほうがいいよ」
いつになくきっぱり言い切った佐倉君が激しく首を横に振る。
「うるさいな、もう決まり」
手首を掴んでをぐいっと引っ張ってそちらにズンズン進む。
「やめて! 俺好きな子とあんな狭いとこ入るの無理だって!」
「嫌いな子よりいいでしょ」
「駄目! 俺がキモいし藁がはみ出る誤射璃具lesh!」
ついにアルファベットまで混じり出した佐倉君を無視して遊具の入り口を覗き込む。
中に入ると思った以上に狭かった。座っていれば空間は少し余るけれど、立ち上がることはできない。ふたりでもう満員。壁越しじゃない隣が新鮮。
夏に遊具に入った時とはちがった。季節が流れたせいか中はひんやりしていて、少し湿っぽくて、静かだった。
「わー、声が響く。わー! あー!」
ひとしきりはしゃいで隣を見ると、佐倉君が自らの膝に顔を埋めていた。なんて暗い子なんだ……。彼女とデート中に根暗だ。
「佐倉君」
脇腹をつんつんしてみる。
「総士君」
呼び方を変えたら一瞬びくっと揺れたけれど、なおも顔はあげない。
「校長室で、なんで距離あんなに空けたの?」
少し距離を詰める。
「……西園寺さんが嫌そうにしてたから……」
「ふうん……」
頭を佐倉君の肩に乗せてみる。石像のようにぴくりともしなかった。
「なんだよ、なんでそんな落ち込んでるの」
「落ち込んでない。デリケートな問題だから、少しそっとしておいて……」
「やだよ。どこの世界にデート中に放置されたがる人いるんだよ……」
腕を引っ張って強引に顔をあげさせる。
そうすると唐突に目の前に美しい顔がむきだしになって、息を飲んだ。
たぶん今までで一番至近距離。
おでことおでこが付きそうな距離で目の前に瞳があった。佐倉君の目は、とても綺麗だった。鼻のかたちも、すっとしていて、その下の唇も。
視線がそこで止まり、動けなくなる。
一瞬だけ、ほんの一瞬だけ。
形の良いそれに唇をつけるイメージが横切った。本当にただのイメージだったのか。どんどん熱くなる頰と耳に、胸に広がる罪悪感にも似た恥ずかしさに、もしかしたら願望だったかもしれないと疑惑が芽生える。それに気づいてぎくりとした。
佐倉君の切れ長の瞳が呆れたように細まった。
「ひりあちゃん、俺、警告したからね」
「え、なにが」
その口調に突き放されたような感じがして、小さな不安が胸に広がる。
瞬きした瞬間に、唇に柔らかで生々しい感触がかぶさった。
やわらかくて、ほんの少しつめたい。
どのくらいそうしていたのかはわからない。一瞬だったかもしれない。けれど、感触が唇であることを認識するのには充分な時間だった。
そっと目を開けてみると、そこには先ほどと変わらない体勢で膝に顔を埋めている佐倉君がいるだけだった。
ぱちぱちと目を瞬いた。
さっきのは何か、白昼夢のようなものだったのだろうか。
なんて恥ずかしい白昼夢だろう。脳内で悶えた。
遊具の入り口になっている丸い窓をちらりと見ると、小さな顔がふたつ覗いていたが、わたしと目が合うとヒュッと引っ込んだ。
その後すぐ、遊具の外からわきゃあーと子供の悲鳴が響いた。
「うきゃぁわキャあがじャがジャーー! キキッ、キスしてたぞー!」
「見ちゃっちょえー! ちゅーちゅーちゅううぅううぅ!! きょあぁあー!」
絶叫めいた声が散らばって遠ざかっていく。
それがすっかり聞こえなくなると、傍らから蚊の鳴くような小さな声で「ごめん……」と聞こえてきた。
「なんで謝るの……」
世の中にはさほどの面識もない相手に合意なく壁ドンしてくる強気男子もいるというのに。佐倉君は一応、付き合っている彼女にキスした後に謝る。
いや、もしかして付き合ってないのかな。お互い正体がわかってからその辺が継続しているのかは確認しなかった。途中喧嘩のようなものもしているし、その話は無くなっている可能性が大きい。
それはともかく、白昼夢じゃなかったことはわかった。さっきのは確実にちゅーだったらしい。証人もいたし本人も容疑を認め謝罪している。
佐倉君は相変わらず『うなだれた白昼夢』のオブジェと化したままだった。
「総士君」
「……なんでしょう」
「……もう一回する?」
聞くと突然顔を上げた彼がカッと目を見開いて「バカァアアー!」と絶叫した。
「え? いやなの? じゃあなんでさっきしたの?」
「嫌とかそういう問題じゃないんだよ! 俺は……! 好きなんだよ!」
「ならいいじゃない……」
「もう出る。こんなとこ一秒だっていられない!」
「え、え、なんでそんな推理小説で二番目に死ぬ人みたいな台詞……」
「わかってない。ひりあちゃんはわかってない」
人にキスしておいて逆ギレが始まった。
そのまま外にひらりと出たので追いかけて出た。出る時もたついたけれど、彼は振り向きもせずさっさと歩きだしてしまう。
珍しく怒っている気がする。
キスしておいて怒って出てしまう彼のことが、わたしは確かに、よくわからない。
馴れ馴れしすぎただろうか。佐倉君は潔癖っぽいところがあるから、おかわりを提案したのもよくなかったのかもしれない。
「ごめんね。そんなに嫌がると思わなくて……」
背中に声をかけるけれど、前を向いたまま振り向かない。
「せっかく会えたから……仲良くしたかったんだよう……」
公園の出口のほうに向かって歩いて行く後ろ姿をぼんやり見送って、わたしは端のベンチに腰掛けた。
男子、よくわからない。男子なのか、佐倉君だからなのか。それすらもわからない。
足元の砂を靴でじゃりじゃりして、ふと出口のほうを見ると、彼の姿がまだそこにあった。
佐倉君は出口付近手前の水道のところにいた。
見ていると勢いよく水を出して、それに頭を突き出して、かぶった。
なにしてんだろ。
……まだかぶっている。
いつまでやってるんだろう……。
一分くらいはそうしていたように思う。服までびちびちに濡れてきている。
そうしてようやく水を止めて、犬のようにプルプルと頭を振った。水浸しになって、こちらへ歩いてくる。
ずしゃり。ずしゃり。
佐倉君が歩くそこに水がしみていく。
それはさながらホラー映画のゾンビか、あるいは死地に赴く勇者のようだった。水に濡れても美形は美形。謎の色気まで醸し出して勇者が向かってくる。
戻ってきた彼が言った言葉をわたしはきっと忘れない。
「さい了んじ藩、少し落ち着こう」




