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37.【日曜日】牛丼◆ネクラ



 その晩俺は枕元のスマホの前で土下座寸前の体勢で身悶えていた。


『日曜日なんだけど、総士君行きたいところある? なければわたしの行きたいところでもいい?』


 ひりあちゃんが、俺の名前を、正式名称を入力している事実に悶絶した。西園寺さんが入力してると想像してもおののく。


 あまりにイメージとかけ離れていたのでなかなか一致はしないものの、俺はもともと女の子ならばみんな可愛いと思うし、だいたい好きになれるポテンシャルのある男だった。

 西園寺さんなんて、むちゃくちゃ可愛いし、その気になれば三秒ぐらいで好きになれる。


 ただ勝手に、西園寺さんに片思いするのは簡単だけれど、付き合ったり関わったりは絶対無理だと思い込んでいた。その『無理』に根拠はない。よく考えてみたら中身はひりあちゃんなんだし、向こうさえよければ何も問題はない。





 約束の日曜日がきた。

 場所は俺の住む駅の隣の街になった。彼女が選んだのだ。そこはまだ未探索であるというのと、彼女の好きな牛丼屋チェーンがあるとの理由だった。


 なので、正午の待ち合わせから五分後にはその牛丼屋を目指して歩いていた。


 やたら高そうなワンピースを着用していた西園寺さんは今日も輝いていた。


 牛丼屋は駅近くにあるのですぐなのだけれど、彼女はやけにきょろきょろしている。


「あ、わたしの中学、禁止だったから」


「牛丼が?」


「牛丼っていうか、生徒だけで飲食店入るの」


「あぁ、中学だとね」


「高校でもそうだと思うよ。アルバイト禁止みたいだし」


「お嬢さま学校だ」


 そうこうしているうちに店の前に着いた。

 前を歩いていた西園寺さんが隠れるように後ろにまわる。


「……佐倉君、先に入って」


 西園寺さんが何やら緊張している。ためらいは人一倍だが、はやる気持ちもあるらしく、背中をぐいぐい押してくる。ちょっと笑いそうになるのを噛み殺して中に入った。


 午前中の早い時間だったせいか、店内はまだガラガラだった。


 西園寺さんは真剣な顔でメニューと向かいあった。


「佐倉君、もう決めたの?」


「うん、牛丼関係しかないし……」


「もっとこだわったほうがいいよ! すき焼きとかもあるんだよ? 豚汁は? 豚汁はつけないの?」


「じゃあつけようかなあ……」


「佐倉君! 真剣さが足らないよ!」


「は、はい」


 かくして、ほかほかの牛丼が目の前に置かれた。西園寺さんが満面の笑顔になる。

 学校でも、彼女の机の上に丼を置いておけば、友達もすぐできるだろうと思わされる笑顔だった。しかし、周りの男子が机を齧りだしそうな危険な笑顔でもあった。


「いただきます」


 西園寺さんが手を合わせて、牛丼を拝んだ。


 俺もお箸を取って、牛丼をつまむ。

 変哲の無い牛丼の味だった。別に嫌いじゃないが、感動するようなものでもない。


 しかし、西園寺さんが食べながら相好を崩し、「美味しいねえ」などと同意を求めてくるので、激しく頷かざるを得なかった。なにやら口の中のモノが輝く物質と化した。すごいものを食ってる気がする。


 西園寺さんは食べるのがあまり早くはないので俺は先に食べ終わり、食事姿を正面から凝視するのもはばかられて、紅ショウガの瓶を激しく睨みつけていた。


 それでも気になってふと顔を見てしまう。

 西園寺さんはちょうど食べ終わってお茶を飲んだところだった。


「さい……お」


「え?」


「なんでもない」


「え、言ってよ。なんか気になってムズムズしちゃうじゃん」


「うん……えっと……口の横に……」


 米粒。なんだけど。

 こういうの、言っていいものかな。女子に鼻毛でてるよとか言うのは駄目とか言うし、でも米粒と鼻毛は違うし、と煩悶していた。


「えっ、そんなこと? 早く言ってよぉ」


 西園寺さんは何が可笑しいのかくすくす笑いだした。


 すごい。花が咲いたみたいに可愛い。可愛い。丼をガリガリ食べそうになるくらい可愛い。


「可愛い……」


 思わず口からただ漏れた言葉に、西園寺さんが真顔になり、ちょっと赤くなった。


 俺はテーブルに顔をガツンと伏せた。自分の顔面のほうがもっと燃えたぎる赤、血のような赤に染まっている自覚があったからだ。


「……ごめん」


「なんで謝るの」


「なんとなく……」


「出よっか」


 西園寺さんは、口元を緩めて小さな息を吐いた。


 店の外に出ても、早い時間だったのでまだ午前中だった。これからなにをどうしていいのやらわからない。藁子ちゃんとミーティングをしたけれど、まったく成果はなかった。


「女の子って、デート中何キロまで歩けるの……」


「え、キロで考えたことなかったけど、人と遊び方によるんじゃないの?」


「それはそうだけど、一般的には」


「普通の子は1キロくらいかな」


「す、少なッ!」


「1キロ未満の子もたくさんいそうだけど……わたしはわりと歩くの好きだから……うーん、7.5キロくらいはいけるよ!」


 7.5……。7.5?!

 脳裏を藁子ちゃんがカサカサーと横切った。


「とりあえず探索したいな、歩こう」


 西園寺さんは言ってさっさと歩きだす。

 けれど、すぐに振り向いて立ち止まった。


「ネクラ君……総士君」


「はい」


「手、繋ぎたいな」


 反射的にゴシゴシしようとした手をぱしんと掴まれる。


「やっぱりネクラ君好きだなぁ」


 小声で言う。道端でぶっ倒れそうになるからやめてほしい。

 それにしても手、小さい……。握り潰せそうに小さい……。小鳥を手のひらに乗せてるみたいな不安感すらある。


「佐倉君もわりと好きになってきたけど、やっぱりネクラ君が好き」


「……うれしい」


「嬉しいの? ちょっと失礼かなって思ってたんだけど……」


「うん嬉しい」


 佐倉総士は俺と周りが作ったもので、俺の本体はネクラに近い。

 ずっと自分が認められなかった部分のほうを好きと言ってくれる。それは、ものすごく嬉しいこと。


「佐倉君は、もう一致した?」


「……まだ」


「わたしも」


 俺の中のひりあちゃん像と西園寺さんは、なかなか一致しない。ひりあちゃんと似てるような部分はたくさん見つけるけれど、そこまでだった。

 だから俺はそこはかとなく、二股男のような後ろめたさと罪悪感を抱えていた。


 しかし、デート自体は心配していたような酷いことにはならなかった。


 西園寺さんは普段からひとりで遊び慣れているのか、俺がいても気にせずその延長で遊んでいるようだった。

 彼女はあそこが見たいこちらに行きたいと言って話しながらそちらに移動する。少し黙っている時も、別に会話を期待している感じでなかったので気まずくもならなかった。


「佐倉君、見て見て」


 彼女が指差すコンクリートには猫の足跡があった。彼女はそれを糞真面目な顔でスマホの写真におさめて、またふらりと歩きだす。


 城下町に冒険に乗り出した好奇心旺盛なお姫様のつきそい。そんな気の抜けた感じが俺をだいぶ楽にさせた。


 本屋さんに入って、上の棚を眺めていた西園寺さんが周りを見まわしてから、気付いたように俺に言う。


「佐倉君、あれ取って」


「どれ?」


「あれ。どすこい☆ちゃんこ大全」


「あぁ……」


 踏み台が遠かったので俺に言ったほうが早いと思ったらしい。手を伸ばすと少し近付いた彼女の髪から、ものすごくいい匂いがした。この匂い。男じゃない。え? 女の子? 俺今何してる?! 女の子と、ふたりで? やばい。狂いそう。


 いや、これはいい匂いの男だ。

 男なら大丈夫。男大好き。頭で唱えて本を渡す。


「ありがとう。表紙が見たかったんだ」


 彼女は言って、そして本を確認してけらけら笑った。


「この表紙可愛い。ねえ、可愛くない?」


 お腹を抱えて笑いながら見せてくる。

 表紙はエプロン姿のお相撲さんだったので、可愛いというか、ホンワカしたけれど、西園寺さんはそれがとても気にいったらしく結局購入していた。





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