36.デートの誘い◇ヒリア
ネクラ君の一部である佐倉君を受け入れて同化させてしまおう。
考え方を変えたらすごく楽になった。
せっかく芽生えたネクラ君への気持ち、それをなくしてしまう必要がなくなったのがなにより嬉しかった。恋をしているのは、楽しい。
休み時間、女の子たちが佐倉君を囲んでいた。
いつも、ほとんど女の子同士でしゃべっていて、頷いているだけではあったけれど、なんとなく、彼がいるのといないのでは、場の華やかさや活気がちがう。
佐倉君はいつも通り、落ち着いた顔で中央に立って、たまに何か聞かれた時だけひとこと、ふたこと返している。慣れたものだ。
しかし、ネクラ君だと思うと必死に対応しているようにしか見えない。
でも、なんだろう。佐倉君が囲まれているのはどうでもいいんだけど、ネクラ君だと思うとすごく、なんというかすごく……。
モヤモヤした気持ちで席を立ち、現場に乗り込んだ。
「佐倉君、増田先生が呼んでる」
ぱっと顔をあげた佐倉君は「わかった」と言って輪を抜ける。こうやって見ても本当にこの人は内面があんななんて感じさせない。ポーカーフェイスだけは上手いのだろう。だからろくな返答を返してなくても“ガードが堅い”とか言われるだけ。まぁ、実際堅いは堅いんだろう。みんなが思うのとはちがった理由で。
教室を出て職員室に向かおうとした彼の背中に言う。
「佐倉君、こっちだよ」
少し行った渡り廊下の途中で彼が立ち止まる。
「……どこ行くの?」
「図書室」
「増田先生は?」
「嘘だよ」
「……」
佐倉君はぽかんとした後、無駄に赤くなって口元を片手で隠した。
この人本棚の向こう側でこんな顔していたんだ。図書室だと妙な間があるだけで、よくわからなかったけど。
佐倉君のイメージだとこんな時は困ったように眉を寄せて、苦笑い、とかかな。ネクラ君と比べるとマイペースで余裕のある感じ。でも、この反応はやっぱりネクラ君。そうやって、油断すると乖離しそうになるイメージをその都度一致させる。近付けていく。
「あれ? 嫌だった?」と聞けばかなり視線を逸らした挙句に小声で「うれしい」と伝えてきたので、わたしことひりあちゃんのことは一応好きらしい。わたしこと西園寺さんのことが好きかはわからない。
わたしも、ネクラ君のことはずっと好きだし、佐倉君のことはまだよくわからないままだ。
でも、名前も顔も知れて話しかけられるようになったのだから、やっぱりそこは悪いことばかりではないと思いたい。
渡り廊下の途中、きょろきょろと周りを見回して、小声で言う。
「佐倉君、背中向けて」
背中合わせになるのは、顔が見えないようにするため。
「さく……ネクラ君」
言い直したのは、断られないための、願掛け。
「はい」
「日曜日、空いてる?」
「……」
「あの、どこか……ふたりで」
「……」
背中合わせには難点ももちろんある。
表情が見えなくて、黙られると何も分からない。
安心するためでもあったのに、不安になってくる。背中を合わせていても、そこにいるのが佐倉総士だとわたしはもう知ってしまっている。
わたしと両思いだったネクラ君は、かたちを変えてしまって、もう以前のかたちでは存在しない。
ネクラ君に比べると、佐倉君はなぜだかやっぱりガードが堅い感じがする。でもそれは、佐倉君だからとかでなく、もしかしたら実体に会ってしまえば誰でも同じだったかもしれない。
「あ、バイト……とか……」
沈黙に耐えられなくなって、さっそく逃げ道を用意する。ひどく元気のない声になってしまった。
「……なくても、家の手伝いとか、あるよね……」
「空ける」
かぶせるように掠れた声が返ってきた。
「……う……うん」
安心して頰が少し緩む。
「よかった……」
「えっ」
「断られるかと思った……」
「なんで?!」
なんでって、そんな黙られたら……と思ったけれど、冷静に思い返すとネクラ君はこういうところが前からあった。
「さい……ひりあちゃん」
「は、はい」
佐倉君は呼んでおいてまた黙りこくる。
それからはー、と深く息を吸って吐く音がして、また黙った。
「い、一回しか言える気がしないから、聞き逃さないでほしいんだけど……」
「うん、がんばる」
このタイミングで突然花火が打ち上がることもないだろう。それでも聞き逃さないよう耳をすませる。
「俺は、ひりあちゃんが好きだけど……」
「……わ」
ネクラ君が、ネクラ君が好きって言ってくれた。すごい。すごいがんばった。嬉しい。でもまだ途中だ。声が出そうになったのを慌てて手のひらで押さえた。
「俺、は、西園寺さんのことも、きっと好きになる」
「……」
「わりと簡単に……」
恥ずかしいけど、嬉しい気持ちがわいた。
ネクラ君が、ひりあだけじゃなくてゆりあも好きになれそうなら、嬉しくないはずがない。
だけど、恥ずかしすぎて居た堪れない気持ちになって、思わず走って逃げようかと思った。でも、それはさすがに、と思いとどまる。
せっかく思いとどまったのに……。
佐倉君が全速力で逃げた。
自慢の脚力をつかい、風のように。




