33.気まずいお見舞い◆ネクラ
病院の周りには緑がたくさんあった。芝生の上を白と黒の模様の鳥がトントンと跳ねるように歩いている。
俺と彼女は、そこを来た時と同じように歩いていた。
「西園寺さんは、どうして怒ってるの?」
相変わらず怒ったような早足で前を歩いていた彼女が立ち止まる。
「なにが」
「ずっと、怒ってるよね」
「……どうしてって……」
彼女は眉根を寄せた。顔が見えない状態ではよく笑うのに、目に見える彼女はいつも不機嫌そうな顔をしている。これがネクラと佐倉の差かもしれない。あるいは、西園寺さんと、ひりあちゃんの。
俺と西園寺さんの関係はネクラとヒリアではない。そうだけど、ちがう。
「俺で、ガッカリした?」
「……」
「俺は、ガッカリしたよ」
西園寺さんは、ほんの小さく息を飲んで、傷付いたような、泣きそうな顔をした。けれどそれは、見間違いかと思うくらいにほんとに一瞬で、すぐにこちらを強い目で睨んだ。
「俺はもっと、駄目な人間を期待していた。俺と同じくらいに。西園寺さんじゃ、俺は対等でいられない……」
「なにそれ」
「西園寺さんは俺なんて相手にしないだろ」
彼女は睨むような顔でしばらく思考をしていたようだったけれど、やがて、情けないほど呆れた顔でため息を吐き出した。
「意味がよくわかんないんだけど……とりあえず佐倉君のその、自己評価の低さが曲者だったなって、今になって思う……」
「自己評価は、低くない。過大評価されてるだけだよ。昔からずっとだ」
期待されるまま演じて、過大評価される自分を作り上げた。その裏に、醜くてくだらない、自分を隠して。
西園寺さんは視線をはずして、怒ったように言う。
「佐倉君はきっと優しいんだろうね」
そうこぼして、足元をかかとでじゃり、とこそいだ。
「わたしは他人の思うようになんて生きてはやらない。愛想笑いもしないし、望まれたお嬢様なんてやってやらない」
「え、それなら愛想笑いはしたほうがいいんじゃない?」
「なんでよ」
「そのほうが、周りも安心するし……素の西園寺さんに近い」
「佐倉君、よく言うね……女の子とうまくしゃべれないとか言ってたくせに」
「西園寺さんにはもう、全部知られてるから。いまさらガッカリされることもないし……」
最初からガッカリされている相手に何を気取ることもない。そう思ったら案外スラスラとしゃべれるのだから、不思議なものだ。
「これ以上嫌われることもなさそうだしね」
付け加えた一言に彼女はムッとしたように、また睨んだ。
睨んでも可愛いね、とか、今まで浮かびもしなかった、どこかのイケメンみたいな台詞が頭に浮かんで、笑いそうになる。脳内に余裕があると空きスペースに選択肢がいくつもでてくる。
「言っておくけどわたしは、佐倉君とちがってガッカリなんてしてないし! ……嫌ってもないし」
「え、そうなの? じゃあなんで怒ってるの」
「……わかんないよ。ずっと考えてるんだけど……すっごいムカつくんだ、騙されてたみたいで」
「騙してないし、お互いさまだと思うよ」
「うるさいな! それもわかってるし! そっちこそ、ネクラ君はそんなこと言わなかったのに……わたしだからって、厳しくしてる」
「そんなつもりはないけど……ごめん」
西園寺さんはどこか決まり悪そうにうつむいた。
気まずくなって、また黙り込んで、西園寺さんが顔を上げて歩きだすのに続いた。
病院の門を抜けたところでまっすぐ進む彼女に声をかける。
「西園寺さん、どこ行くの?」
「帰るの!」
「そっち学校だよね。帰るなら駅はこっち……なんだけど……」
「……っ! バカー!!」
頭に血がのぼっているのかもしれない。西園寺さんが怒りの形相でこちらにずんずん戻ってきた。
美少女の怒った顔は迫力がある。こわい。
西園寺さんは目の前まで来て、俺の胸をバンと叩いた。
「佐倉君が! 佐倉君が悪い! バカ! どこの世界に休み時間ほとんど女の子に囲まれてるモテないやつがいるの!」
猫パンチみたいなものをぱしぱし浴びせながら怒りで目に涙まで浮かべている。
こうなると俺のようなやつは何も言えない。
申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
ぱしぱしと連続して叩かれる力無いそれが、すっかり収まって、彼女がうつむいて黙っていることにもしばらく気がつかなかった。
はっと意識が現実に戻って、彼女を見た。
もしかしたら激昂して泣いているかもしれないと思った彼女は下を向いたまま、足元の芝生に落ちている石を、つま先でコロコロするのに集中していた。
小さな風が通って、近くにいたはずの鳥はいなくなっていた。
やがて、押し殺したような声で「ごめん」と聞こえた。ひりあちゃんと話していた時には、一度も聞いたことのなかったような声。
「わたしは、佐倉君にガッカリなんてしてない……でも、ずっと知らない人、面識のない人だと思っていた」
「……」
「まったく知らない人と話しているつもりだったから……盗み聞きされてたみたいな気持ちみたいのもあって……恥ずかしくて……」
「……」
「もしかしたら、楽しい遊びが終わってしまったから頭にきたのかもしれない。頭にくるっていうか……すごく……悲しい気がする」
楽しい遊び。そうかもしれない。自分のことをさらけださずに、もっと深い部分だけを聞いてもらえる、無責任な関係。
「自分で壊したのにね」
彼女は自嘲的に言って、泣きそうな顔をした。




