30.【第二図書室】ネクラとヒリアが出会う時◇ヒリア
ネクラ君の正体はわからないままだったけれど、追求する機会はどんどん失われた。
顔も見ずに両思いになってしまったが故に、お互い顔を合わせることに対してどこか恐れて先延ばしにしようとしているような気がした。
わたしもいまだに話していて、家族構成とかの話題になった時に、姉がいることを言ってバレないかとか、性懲りもなく隠そうと逃げようとする自分を発見したりした。
隠さなくてもいいし。そろそろ隠すのはやめるべきなのに、今が心地良いから、すっかり臆病になっている。
ネクラ君は中身の情報ばかりでイメージがどんどん肥大化している。それなのに具体的なイメージはなくて、散らばったままだ。
わたしを見て、ネクラ君はガッカリしないだろうか。それだけじゃなくて、自分のほうもネクラ君を見てガッカリしてしまったら……なんだかそれも恐い。なんにしてもこの関係は崩れてしまう。
わたしとネクラ君はどこか逃げ腰な質問ばかりしあって、会うのを引き延ばしていたし、いまだにうっかり出会わないように、かなり慎重に待ち合わせをしていた。
その割に核心に触れなさそうな、たとえば血液型とか、そんな様子見の質問がお互いたまに混じるようになった。ほんの少し自然にバレることを期待するような、それでも、必死でわからないようにしているような。矛盾した攻防。
最近分かったのは、ネクラ君が二年生だということ。三年生を探す必要はまるでなくなった。
打ち解ければ打ち解けるほど、直接会うのが恐くなる。ふたりともコミュ力がないからなおさら。友達がいっぱいいるような人なら、さっさと会っているだろうと思う。
それでも、早くしなくてはという焦りはじわりじわりと募り、このままでいたい心がそれを引き止めていた。
けれど、ある日唐突に答えははじき出される。
心の準備なんて、できてもいないうちに。
*
放課後で、気持ちの良い午後だった。
秋の空に少し冷たくなった空気。それに雲がほんの少しずつ動かされている。
その日はネクラ君が先に入って、わたしは後から入った。
「なにして遊ぼうか」
この陣形で遊べることは限られている。
しりとりはもうやったし、他愛ない話はたくさんしている。わたしは名前もクラスも知らないのに、彼が近所のカレーライスみたいな柄の猫と仲が良いとか、美味しいたくあんのお店を知っているだとか、そんなことばかりに詳しくなった。
この距離と状況でできるゲームはないかと、アイデアを無造作に出し合う。
ネクラ君がぽろりと言う。
「うーん、ポッキーゲーム」
「なにそれ、楽しそう!」
「……なんでもない。本当適当にぽいぽい言ってたら頭に浮かんだだけだから! たぶん不可能だから! 忘れて!」
「えー、でも可愛い名前のゲームだね」
「忘れて! ほんとごめん忘れて!」
慌ててるのが可愛くてまた笑う。
ふと思い出した、以前から気になっていたことをなにげなく聞いた。
「ネクラ君のアドレスの、0923って、なに?」
「えーと……」
ネクラ君は少し迷っていたみたいだけれど、結局教えてくれた。
「俺の誕生日」
「わたしの知ってる人にも……同じ日の人、いる。……すごい偶然。おめでとう」
「ありがとう。そこ誕生日の人わりと多いらしいよ」
「え、なんで」
「……ぎ、逆算すると……お正月に……」
「うん? あー、思い出したー!」
「え、なにを?」
そうだ! そういえば校長先生もその日だったかもしれない。そうか。本当に多いんだな。思い出して納得してしまう。胸の中にちょっとだけ湧いたモヤモヤを見ないようにして話題を流した。
くだらない話をたくさんして、ひと段落して、笑い疲れた頰を少し休ませて、息を吐く。
「ネクラ君、もうちょっと会えないかな?」
メールするのもほとんどわたしだし、待ち合わせの連絡をするのも圧倒的にわたしが多い。なんだかわたしばかり会いたがってるようで、一応……彼女、みたいなそんな感じになったのだからそこらへんは改善を要求してもいいだろう。
「ごめんね。休み時間に抜けれないこと多くて、あと放課後も家の手伝いがあったりして」
「家の手伝いって?」
何気なく聞き返したその質問を、わたしは後で深く後悔することになる。
「うち、定食屋なんだよ」
どくん。
聞いたとき、心臓が跳ねて、ぎくりとした。
誕生日を聞いた時、一瞬だけわいて見ないようにして捨てた疑惑がまた頭をもたげる。
まさかね。
心臓の鼓動が大きく、早くなる。
その可能性はかなり早くから頭の中で先に却下されていて、いつもまったく審議されなかった。だって絶対ありえないから。
そう思いながらも、改めて、いくつか引っかかっていたことがらを頭の中で精査する。
休日にバイトをしている人はそこそこいると思う。
少し遠いけれど学校に通学可能なあの駅に住んでる人も、いるだろう。
誕生日は、偶然だよね。その日の生まれ多いって言ってたし。
でも、家が定食屋の人は、そういるだろうか。
さすがに重なりすぎている。
わたしが夏休みに佐倉君のお母さんに連れられて行った彼の家の玄関で見たのは、熊の置物。
でも、そんなはずはないんだ。
重なりはあるけれど、辻褄が合わない部分も同時に存在している。
ネクラ君は女の子にモテなくて、男友達もいない、自分に自信のない子のはずだ。だから絶対ありえない。
今までのことがぐるぐると思い出される。
違うと思いたい。違っていて欲しいと思う。どっちなんだろう。知りたい。
でも、このままの状態で、帰りたくない。
壁に手をついて、音もなくヨロリと立ち上がる。
わたしは、思いついてしまったそれを、今すぐ確認せずにはいられなかった。心臓が自分にもはっきり聞こえるくらいにどくどくと音を立てている。
本棚の向こうではネクラ君が話し続けている。
「だから部活とかも、あまりできないけど……特別入りたいとこがあったわけでもないし……」
そんな言葉の断片が耳に入るけれど、まるで意味をなさない。呼吸が乱れる。
「まえ作ったおにぎり……お店の…………だから、…………のかもしれない」
なんにも頭に入ってこない。
わたしは震える足を進めて、彼との敷居となっている本棚の端にたどり着いた。ここから、あちらを覗けば、彼の顔が見える。
やってしまえば思っていた以上に簡単にできてしまうことに、その無防備さに、逆に怯えた。
はぁ、はぁ。
走ったあとでもないのに意味もなく息がきれている。現実感が薄い。
何度もあちらを覗く自分を想像するけれど、眠りの中で無理に目覚めようとしているように、なかなか行動には移せなかった。これは夢なのかもしれない。
わたしのいた薄暗い入り口とちがって、本棚の反対側は、窓からの光が射して、きらきらと眩しかった。
わたしの頭の中の、ネクラ君。のっぺらぼうで、友達がいなくてモテなくて、自分に自信がない引っ込み思案の男子生徒。そんなものの姿を探して。一歩、本棚の反対側のエリアへ。
キシッというほんの小さな床の軋む音。自分の足音が妙に大きく聞こえた。
「ネクラ君?」
小さな声を出して呼ぶ。声は震えて揺れていた。
そこにいる人を見てわたしの想像していたのっぺらぼうの男子生徒の顔が、一瞬でかき消されていく。
あっという間に上書きされて、戻れなくなる。
そこに思った通りで、見たくなかった正解があった。
そこには。
そこには佐倉総士が長い脚を投げ出して、座っていた。
見開いた目でこちらをぽかんと見ながら。




