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3.【第二図書室】出会い◆ネクラ



 俺は第二図書室の扉を開けた。

 この、第二図書室というのは皆がそう呼んでいるだけで、実際は図書室ではない。


 年々増えていき図書室に置ききれなくなった蔵書。その行く先を決めるまでの一時保管所のような場所だった。ちゃんと使用されている図書室と比べて狭いしほとんど誰も来ない。

 ここは数ヶ月前から鍵が壊れていたけれど、誰も気にしなかったので放置されていた。あるいは壊れたことにも気づかれていない可能性もある。そのくらいの僻地。端的に言うと穴場だった。


 置かれた古い本達のややカビ臭い匂いは俺の心を癒した。奥の奥に行って、しゃがみこむ。


 クラスにいても、気詰まりでしかない。


 何故俺はこんなにモテるのにモテないのかを考える。これだけモテるならばそろそろ心もそれに即したものになっても良いはずなのに、実情は悪化する一方だ。なぜ心だけがいつまで経ってもこんなにモテないやつのそれなのか。


 結局は自意識過剰なのだとは思う。

 自分の容姿からイメージされている偶像を壊す勇気がないのだ。さりとて思われている通りの人間を演じられる器用さもない。


 たとえば自分の顔が見えないところで女の子と仲良くなれば、自分というものを偽らずにだせるだろうか。


 しかし冷静に考えれば、中身で好きになってもらえるような男でもない。


 中身を知られたら絶対に好かれない。つまらないから。


 しかし、中身を偽っているうちは会話すらできない。


 やはり内面からモテる男になるしかない。

 意識を変えよう。

 意識がモテるようになれば、俺はもともとモテるのだから、完全なるモテる奴になれる。


 しかしモテる内面ってどういうやつだ。わからない。


 こういう思考をするとき、俺はいつも頭の中に架空の女の子が浮かぶ。藁でできているのその女の子の名は藁子わらこちゃん。目の部分に『女』の字が書いてある。俺の頭の中の『女の子像』の塊である彼女は、俺にいつも女の子のなんたるかを教えてくれる。


 俺の中の女の子人形、藁子ちゃんが軽薄な声で言う。


『女の子はー、優しい人が好きー』


 それだ。


 間違いない。


 親切。一日一善。悪いはずがない。

 藁子ちゃんは正しい。

 ここから始めよう。モテ人生。


 そんなことを考えていると、扉の方からガタンと音がして心臓が跳ねた。


 この息の音、足音のリズム。そしてほのかな香り。


 間違いない! 女子生徒だ! まずい。なんでまずいかわからないけど、俺がこんなとこいるの見られたらまずい。


 第二図書室はとても狭い。なにしろ本棚は一列しかない。みっしりした大きめの木製の本棚と、その奥にパイプの安っぽいのがひとつだけ。入り口から俺の姿は、みっしりした本棚が壁となって見えない。


 女子生徒は俺が本棚を挟んだ隣にいることには気付いていないらしく、可愛い声で「うぅん」と伸びをした。俺は反対に縮こまって息を殺した。


 それからため息混じりにこぼすのが聞こえた。


「あー、納豆食べたい」


 納豆?


 女子生徒の声はたしかにそう言った。

 あまり聞かない種のひとりごとだ。


 女の子はみなチョコとケーキとアイスが好きなものではないのか?! 藁子ちゃんはそう言ったぞ。納豆食わないとまでは言わないけれど、女の子にとって納豆がひとりごとでもらすほどの存在には思えない。え、それとも俺が納豆を侮り過ぎている? ていうか「納豆」と「豆腐」ってどう考えても漢字逆だと思うんだけど。ヤバい。すごい関係ない。思考を戻さなくては。


 俺の混乱した思考に追い討ちをかけるひとりごとが飛んだ。


「うわー、牛丼食べたーい!」


 牛丼、だと?

 目を見開いて驚愕していると女子生徒は小さな声で「食べたい食べたい」と唱えている。


 混乱する。激しく混乱する。

 どういう状況なんだ? どうなると女子が牛丼を食べたくなるんだ……。女の子はひとりごとではパフェ食べたいとかピンク大好きとかしか言わないはずだ。女子が牛丼を食べたい状況とは。


 そうか。わかったぞ。


「は、腹が減ってるのか?!」


 俺は混乱のあまり声を出してしまった。


 その瞬間、向こうの気配が息を呑んだのが感じられて、血の気がひいた。じわっと嫌な汗をかく。


 何故、声を出した俺。しかし、話しかけてしまった以上もう後戻りはできない。


 焦った俺はなんとか不審者になるのを免れるため、優しさのこもった台詞を追撃のように早口でひねりだした。


「おい、ぱ、パン食うか?」


「え、え?」


 だいぶ混乱した声が向こう側から聞こえたが、俺も自分の発言に同じかそれ以上に混乱した。優しさを目指したはずが、だいぶトチ狂った感じになった。


 俺は食べようと思っていた手の中の焼きそばパンを見つめ、ヤケクソ気味に本棚の向こう側に向かって投げた。本棚は高く、みっしりと本が詰まっていて天井近くまであるが、パンが通過するくらいの隙間はあった。


 ぺし、とパンが床に落ちる軽い音がした。


 俺は、一体何をやっているんだ。


 これは、優しさ……なのか?


 答えてくれ! 藁子ちゃん。


 藁子ちゃんは『そーしくん、最高にキモいよー』と教えてくれた。


 さすが藁子ちゃん! だよね! 顔も見えないのに急にパン食べるかとか! 優しさどころか事案発生だよね! 頭おかしいよね! 自分の発言を省みてどっと汗が出た。


 大体なんだよ。


「腹が減ってるのか?」

「パン食うか?」


 これは完全にジャングルで未発見の変な生き物に遭遇した時のニンゲンの台詞だ。気が遠くなった。


 向こう側からぷっと吹きだす声が聞こえた。


「焼きそばパン……」


 それちゃんと市販のやつだから! 陰毛とか入ってないから! 心の中で叫ぶ。


 顔が見えない相手がパンの袋を開ける音がした。ソースの匂いがこちらにまでふわっとした。


「ありがと。タベル」


 食べるのか。少しほっとした。

 本棚の向こうの相手はどこか未開のモンスターっぽい返事をして、またくすくす笑った。


 そして、女子生徒は驚くべき返答を続けてきた。


「オマエ……いいヤツ……オデ、おマエ食ワナイ」


 どこか低い、篭ったような作り声で言われてわかった。


 “未開の地のモンスターごっこ”が始まっている。


 そんな遊びがあるかはともかく、そういうふざけた返答だった。


 俺は感動に震えた。いい奴はお前だ。排便もろくにしないはずの女子でありながら、俺の未開のモンスターごっこにのってくれるとは。


 俺は断じて未開のモンスターごっこをしかけたわけではない。しかし、危ないやつにならなかったのは九死に一生を得るほどの奇跡だった。

 優しいモテる人にはなれなかったけれど、焼きそばパンを持ったひょうきんな人として不審者になるのは免れた。

 言いようのない動揺で揺れてしまいガタガタッと音がした。音を立ててはいけない気がしてまた固まる。


 俺はそのまま微動だにせず、なるべく音を出さずにハァハァしながら、女子生徒がパンを咀嚼してごくんと飲み込むごく小さな音にずっと耳を澄ましていた。控えめに言って変態度が高い。一刻も早くこの場を出て行きたかったけれど、女子生徒の前を通らないと扉を出れない。動くに動けなかった。


 やがて、空のビニールを畳むような音が聞こえた。完食したらしい。女子生徒が「ふう」と小さな息をこぼして言う。


「ゴチソウサマ、ウマカッタ。次はオマエを食う」


「げほっゴホッ」


 激しくむせこんだ。女子生徒が「ダイジョウブカニンゲン」と言って立ち上がった気配がして慌てて言う。


「待て、近づくな! 俺は美味くないぞ!」


 とっさに最悪の台詞をこぼした俺に女子生徒が小さく鼻息をふすん、ともらす音が聞こえた。またくすくす笑っている気配がする。


「ニンゲン、オマエ……名前、なんていう……ぶふ」


 言いながらちょっと笑っている。

 なんというか、この女子生徒、ノリノリだった。細かいことはさておいて、助かる。


「ニンゲン、ナマエ……くっくくっ」


「えっあっ、名前? えっと、さく…………さく? いやっ、俺はしがない名もないネクラ! ネクラやろうです! ……あのっ、来るな!」


 来るな、と叫ぶまでもなく、女子生徒は立ち上がったような気配はしたけれど、こちらに向かって来る様子はなかった。そのまま本棚越しに明るい声をだす。


「ネクラ……? じゃあわたしは……さすらいの非リアで」


「えっ」


「うーん、あ、ヒリア! ヒリアって呼んでよ!」


「ひ、ひりあ? ちゃん」


 どう考えても本名じゃないのに女の子の名前を呼ぶにあたり、声が裏返った。


 女子生徒ヒリアはそんな裏返りも気に介さずに「うん! あだなみたいじゃない? あなたはネクラ君!」と嬉しげに言ってまた楽しそうにくすくす笑った。


 俺と謎の少女、ひりあちゃんはその場かぎりの謎のハンドルネームを用いて少しだけ話をした。






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