27.【第二図書室】告白◆ネクラ
放課後、ひりあちゃんが先に入った連絡を見てから第二図書室に向かう。
久しぶりに会ったひりあちゃんが「友達ができたんだよ!」と明るく言う。よかったね。ひりあちゃんが幸せだと俺も癒される。よかった。
「よそのクラスの子なんだけど、すごくうまが合うんだ」
「ひりあちゃんは今までなんでいなかったかのほうが不思議だよ。本当よかった」
「あ、それはいいんだ! 最近連絡取れなかったの、どうしてたの?」
「ひりあちゃんのメール見て吹いて、その勢いで風呂にスマホ水没させた」
「あ、そ、そうだったの」
「なかなか新しいの買えなくて、ごめん。一応ここにメモを残したんだけど」
「え、どこに?」
ひりあちゃんが向こう側で立ち上がるような気配があった。
「そっちの本棚の、立った時に目線がくる段の本に挟んである」
彼女はしばらく「んー」と探していたようだったけれど、やがてお目当てのものを見つけた。
「あ! 本当だ! あった! 折れ曲がった栞みたいにすんごい派手に飛び出してる」
「結局気付かなかったかあ……」
「だって、ネクラ君、わたしの目線だとここの段の本の上部はよく見えないよ。背表紙というか、作者名が目の前にきてる」
「あぁ……ごめん」
自分から見て一番見やすい場所にしたのがそもそもの間違いだった。
「わたしが思ってたより……ネクラ君は背が高いんだね……」
「い、いや、2メートルもないし、割によくいる大きさだと思うよ」
別に期待されているわけでもないのに、なぜか2メートルないことを宣言してしまう。ついでに筋骨隆々でないことも言っておいたほうがいいだろうか、しかし、それより先に言うことに思い当たる。
「そうだ。クッキー、ありがとう」
「え、あっ! そうだ!」
「大豆!」
「だいず?」
「Zだけ気付かず踏んじゃったんだけど、ちゃんと食べたよ。すごく美味しかった」
「え、あぁ……ぜっとね……だい……ず?」
なぜか反応がよろしくない。沈黙が少しあった。俺はまた何か余計なことを言ってしまったのだろうか、考えているとひりあちゃんが向こう側でゴソゴソ動く音がした。
しばらくして「あ、あった」との声と共に本棚の上から小さなビニールがふたつ投げ込まれた。
両手で片方ずつ、ぱし、ぱし、とキャッチして見ると『K』と『I』の字のクッキーだった。
「もう食べれないと思うけど……ほんとはそれで完成なの」
「え、これ、大豆のどこにつくの?」
「ZじゃなくてS大豆じゃなくて“だいす”それに“き”」
「う、うん?」
「大好き」
「大豆が?」
「ネクラ君が」
「え……」
「わたし、ネクラ君が好き」
しばらく言葉の意味を考えて「ひぐッ?!」という、しゃっくりのようなものが出た。
「会えなくなってみてわかったの。やっぱり言っておいたほうがいいって」
好き。
好き?
意識朦朧。白目になっているところにさっそうと藁子ちゃん登場。俺の頭を勢いよくスパーンと叩いた。
『キモい! キモすぎだよそーしくん! 友達に言ってるだけなのに、何興奮してるのー! ふだん吐かない藁子も体内の藁をドバドバ吐きそう! 通報案件だよー!』
わ、わかってる。顔も名前も知らないのに、恋愛の好きだと思うほうがどうかしている。
「ネクラ君?」
「は、はい! 生きてます」
「顔も名前も知らないのに、おかしいかなぁ……」
「顔や名前なんてなくても友達にはなれるよ」
「……恋人は?」
「……」
お、おい! 藁子ちゃん! 藁子ちゃん?!
話が違うけど、どうしたら……。
都合が悪くなると藁子ちゃんはただの藁人形に戻ってカサリと沈黙する。
そのうちにひりあちゃんが「ご、ごめんね!」と謝りだしたので被せるように「うわ、ごめん! ごめん!」と謝った。
「あッ、今のごめんはそう言う意味じゃない! 沈黙してごめんなさい! 脳をすばやく回転できなくてごめんなさい! 生まれてごめんなさい! の意味のごめん、だから!」
「わ、わかった……」
「お、俺も……ひりあちゃんが……」
そこまで口にだしたけれど、そこから先が上手く発声できなかった。
でも「俺も」まででまた伝わるだろうと思っていると今回は「続き、聞きたいな」とリクエストがきた。
何度か口をその形にしてみるけれど、音を出そうとすると頬の筋肉が途端こわばる。
その場でパペット人形のような動きを何度かして、息を吐いた。
「ひりあちゃん、恥ずかしいけど正直に言うと、俺は女の子にす、好きとか言ったことなんてないんだ」
「うん。わたしも男子にはないよ」
「……俺はこれ、事前に練習がないと無理だ。恥ずかしすぎる。お、思ってはいる……けど、緊張しすぎて言語にならない」
顔が耳まで暑い。今日のところはこれで勘弁してもらえないだろうか。そう思っているとひりあちゃんの「うーん」と考える声がした。
「じゃあ、練習しよう」
「え、練習?」
「うん、わたしが言うから、同じように返して」
「は、はひ」
どういうことだろうと思っていると、彼女が可愛い声でゆっくりとはっきりと、言う。
「ネクラ君、好き」
「……」
「ネクラ君、大好き!」
いけない。また真っ白になってしまっていたが、これを同じように返せということだろうか。
「……しゅ」
ろくな発声ができなかった。喉に何か詰まっているんじゃないかと思うくらい言葉が出ない。
「ネクラ君が世界で一番好き!」
「……っが」
「ネクラ君、好き! 大好き!」
「…………す!」
「すごいよネクラ君! すの字が言えた! かっこいい!」
とんでもない甘やかされかたをしている。
「す」の字の発声で褒められるのなんて一歳児か今の俺くらいかもしれない。
そこからも甘い拷問は続いた。
「ネクラ君の、しゃべり方も好き」
「ひ、す」
「でも一番はネクラ君の性格が好き」
「ひり……ちャ……」
どんどん脳が蕩けて、いつもなら呼べている名前すら呼べなくなっているところ「すごいすごいもう少し! すてきすてき!」とまた過剰に励まされる。
本棚は木製の大きなものが一列だったけれど、通路側には小さなパイプの簡素なものがひとつだけあった。そちらも本がぎっしりで、目隠しには充分な高さはあった。
ひりあちゃんが唐突に「あ、そうだ」と言ってひとつだけあるパイプの小さな本棚の一番下の段の本を二冊ごそっと抜いた。そしてさらに俺のほうに背表紙が向いている小さな本を三冊抜く。そうするとそこは空洞となる。この位置だと、まず顔は見えない。覗き込めば別だが、わざわざそんなことをするなら中段の本を抜けばいい。
何をするんだろうと見ていると、そこから、白くて細い、綺麗な手がにゅっとでてきた。
小袖の手。いや、妖怪の名前を連想してる場合じゃない。
「はい握手」
「あ、あくしゅ?」
とりあえずリピートした。
ひりあちゃんがそこでせかすように手をぴらぴらする。
「い、いいの?」
「この状況でよくないとかあるの? わたし、四つん這いだからしんどいな、早く早く」
「ち、ちょっと待って」
制服の端で手をゴシゴシした。
しかし、手汗は後から後から湧くので、延々とゴシゴシするはめになった。
ひりあちゃんがぴらぴらさせていた手を床にバンバンと打ち付け始めた。やばい。焦れてる。
「す、すいません……」
「謝罪はいい! すみやかに実行せよ」
「重ね重ねすいません……」
そおっと、手を重ねるとぎゅっと握られた。
やらかい……。小さい…。
すぐに離そうとしたけれど、ぎゅっと握り込まれていた。
「ひ、ひりあちゃん……?」
「実体があるう……本当にいるう……」
「はい、います。すいません」
「好き……」
好きな女の子に手を握られて「好き」と言われたその瞬間から後の記憶がない。
意識が爆発したのだ。
俺の意識は空高く舞い上がり、宇宙空間を漂い、フロリダの海の上に落ちてプカプカと揺らめいて散らばって溶けた。
海に、光が射してすごく綺麗にキラキラしていた。
眩しい。
すごく綺麗。
フロリダ最高。
これがその日の記憶。




