23.大豆◆ネクラ
夏休み明け早々、クラスメイトの雰囲気がほんの少し変わっていたりする中、何ひとつ変わらぬ風体で薮坂が教室を訪ねて来た。
「おい総士、おまえ、何度も電話したんだけど、スマホどうしたんだよ」
「夏休みに壊したんだよ」
「あ?」
「風呂でメールしてたら、手元滑って水没した」
「風呂で使うならちゃんとジップロックにいれとけよ!」
「いや、風呂はメールの途中で入ったんだけど、近くに置いておくだけのつもりだった。返事が気になって、つい脱衣所に手を伸ばしてだな」
「あぁ、わかったよ。説明はいいからさっさと新しいの買えよ。不便だろ」
「バイト代入るまで買えない。俺はおまえとちがって貧乏なんだよ」
「そんなの分割だろ」
「説明が面倒くさいが俺のスマホは一括買いなんだよ。そのほうが月額が安く……」
「あぁー! もういいよバカー!」
「なんの用だったんだよ」
「いや、オレ、別クラスの女の子におまえの友達だって言っちゃって……」
「よかった。くだらない用事だ」
「いい笑顔で言うな!!」
実のところ友人が少ないのでスマホなんてなくてもさほど支障はない。ネットもほとんど見ないしアプリのゲームもやらない。普段から持っているだけでほとんど使っていなかった。
問題は、ひりあちゃんだ。
べつに喧嘩してたわけじゃないから大丈夫だとは思うけれど、メールが使えなくなってることは伝えておきたい。
一応第二図書室の奥の本棚の本の隙間に、スマホが壊れた旨を記したメモを残しておいたんだけど、来てないのか、見つけられていないのか、読んだ形跡がまったくない。俺は何度かそれを確認しに行っていた。
第二図書室は天気が悪いと薄暗い。
電気をつけるほどではないと、そのまま入って、急いで自分のメモを確認しようとしたら、足元のなにかを蹴飛ばした。
ガサガサと音がして足元を確かめる。
それは袋に入ったアルファベットのかたちのクッキーだった。
蹴飛ばしたせいで順番はわからなくなり、ひとつ足で潰してしまったせいで、かたちが崩れて余計に文字としての認識がしにくくなった。
それでも、元あった位置に近付けていくつか並べ替えて、これかな、という単語にたどり着いた。
『DAIZU』
大豆!
これは、絶対ひりあちゃんからだ。納豆好きの彼女からのメッセージ。いくつか跳ね飛ばした気がしていたけれど、文字になっているということはこれが全部で合っているだろう。
納豆を食べて元気にやっているということなのかもしれない。相変わらず俺のメモには気づいていないようだったけれど、少し安心した。焦ることはないかもしれない。
そして、クッキーの差し入れに浮かれた。
もったいなくて食べれないけれど、食べないともっともったいない。
会ってお礼を言わなくては。
しかし第二図書室は女子に囲まれたりして毎回は行けないし、たまに行ってもいないことが多かった。
それに、たまにお昼休みに行って戻ると西園寺さんが増田先生に、職員内で行われる校長先生の誕生パーティーのしおり作成をやらされていたりして、申し訳なくて余計に行きづらくなった。
放課後も家の手伝いがあったりして、来ないかもしれないのをずっと待つ時間はなかった。連絡さえとれれば、誘い合わせることができる。
一緒に学級委員の作業をしていても、西園寺さんは元気がなかったので、特に話はしなかった。
例の好きな人とは、まだ連絡がついていないのだろう。そこについて向こうが何も言わないのにわざわざ質問することもなかった。
以前あった薄い険悪さがなくなっただけで、そこまで親しいわけでもない。相変わらず神々しかったので目は合わせられないし、気軽には話しかけられない。
家に帰って店の手伝いをしていると母親が唐突にひりあちゃんは元気かと言う。
「えぇっ! 母さんなんでひりあちゃんのこと知ってるんだよ?」
「……あなたボケたの? ゆりあちゃんは会ってるからに決まってるでしょう」
「え、ゆり、あ……ちゃん? …………あぁ……西園寺さんのことか……色々あるみたいだけど、体は元気そうだよ」
ゆりあちゃんをひりあちゃんを聞き間違えるようになった。重症だ。その他にもテレビで“非リア”なんて単語が飛び出すと、そこだけ硬直してしまう。会えていないのに脳内には溢れかえっている。
さっさと連絡したい。貯金を使えばもう少し早めにいけそうだったけれど、親が誕生日プレゼントに買ってくれるというのであと少しということで結局我慢していた。
*
休み時間に薮坂が訪ねてきた。
こいつが向こうから来るときは大抵しょうもない用件しかない。それでも女の子達に向けてペコちゃん人形みたいにカタカタ揺れて頷いているよりは気楽だ。
教室を出ると廊下の窓際に連れていかれる。
薮坂は妙にもったいぶった表情をして、小声でひそめるように言う。
「おい総士、おまえゆりあさんになんかしたのか? 話してたって話題になってるぞ」
西園寺さんと、話……? したな。
「西園寺さんとは夏休み中にちょっとあって、友達、までいくかわからんけど、仲悪くはなくなった」
「なんか泣いてたとかって噂だぞ」
「え、あぁ、それに関しては俺はまったく関係ないんだけど……軽く相談に……」
薮坂はヤレヤレといった顔でオーバーリアクションで首を横に振った。
「おまえなー、ゆりあさん悪い噂流れてるぞ!」
「へふ? なにそれ」
「純情な佐倉君をもてあそぶ悪い女だとよ! おまえなんてもてあそばれたならお礼にお金払ってもいいくらいの駄目やろうなのにな!!」
「そ、それはまた……なんでだよ。泣いていたのは西園寺さんのほうだろ、それなら……」
「そこは色々ドラマがあんだよ! 恋多き女の策略とかなんとかな!」
薮坂が人差し指を立てて小さく左右に揺らしながら力説してくる。それからハーと馬鹿にしたような息を吐いた。
「まぁたぶんおまえのファンが想像して作ってるんだろうけど……加えておまえ、妙に潔癖っぽいからな……周りから見て女の子をもてあそぶキャラじゃねえんだろな」
なるほど。俺がもてあそべるような役者ではない、そんなスキルを持っていないことを、みな薄々察しているのかもしれない。
薮坂の言う通り、俺なんてあんな人にもてあそばれたら衝撃でお茶碗か茄子に変化するくらいチンケなやつだ。
ちなみにまったく潔癖ではない。でも、無意識にそう見られるように演じている気はする。すけべ心はなるべく隠したい。
「対してゆりあさんは彼氏68人いるだろ」
「彼氏まだ増えてんのかよ! ひとりもいないって言ってたぞ」
「おまえ、それ信じたの?」
「そりゃ、本人が言ってたからな……」
「あんなに可愛いのに? そんなことがありえるか? 常識と照らし合わせて考えろ。それに彼女には魔性が備わってるだろ」
そう言われると、そんな気もしてくる。西園寺さんはそれくらい可愛い。しかし。
「俺は正直西園寺さんに彼氏がゼロでも、68人でも、どっちでもいいよ……」
どちらにせよ自分と関係ないことだし、その程度で見る目も変わらない。どちらだとしても、あの人は雲の上の人だ。
もてあそぶもあそばれるも無い。ちょっと話しただけで周りがなぜやたらと噂してくっつけようとするのかが謎だ。




