21.【閑話】カナイさんの記憶◇ヒリア
わたしがまだ幼かった頃。時々、家にカナイさんという女性がいた。
正確にはいた気がする。
家族じゅうが忙しかった日、わたしはその女性と一緒に家にいた。
カナイさんが家政婦やベビーシッターの類いだったのか、あるいは近所の人だったのか、母の友人知人だったのか、なぜうちにいたのかは、わたしにはわからない。
ただ、その人はものすごく気さくで愉快な人だった。
気取ったものに囲まれた家で、格好悪くてダサいものにほぼ触れずに育ったわたしは、お洒落だったり、意識が高かったり、文化的だったりするものばかりを目にして育った。
もちろん最初はそれが一番素敵なものだと思い込んでいたし、自分も家族のようにそうあろうとしていた。
カナイさんはカンフーコメディ映画を観せてくれて、わたしはげらげら笑った。
それから貧乏な一人暮らしをしていた時の体験談をおもしろおかしく話してくれて、わたしはそれにたくさんの質問をして、また笑った。
カナイさんはこっそりカップラーメンを食べさせてくれたし、納豆ごはんを食べさせてくれた。昔の漫画を読ませてくれた。
カナイさんは、この世の中にある、馬鹿馬鹿しくてくだらなくて、なんの役にも立たないのに、愛おしいものの存在をたくさん教えてくれた。
カナイさんは、気がついた時にはいなくなっていた。
家族の忙しさも少し落ち着いて、学校の友達と遊んでいることも飛躍的に増えたころ、じょじょにひとりでいることも減ったので、きちんとした別れみたいなものはなかった。
カナイさんはある時期にはいるものが当たり前の存在であったし、特に会いたいと思ったわけでもなく、寂しいときに隣にいた。
口内炎や突き指、あるいは腹痛。そんな、痛む時にだけ思い出すものがあるけれど、彼女がいなければ痛んでいたはずの場所は無傷であったがため、わたしは流れて行く日常の一部として、その日を悲しい記憶にせずにすんだ。
その代わりあまりに当たり前にそこにいた彼女のことを特別なものとして記憶もしなかった。
カナイさんはわたしにとって、特別な記憶ではなかった。よく考えたらイレギュラーなことなのに、もっと自然な日常のように感じていた。彼女の持つ空気感はとても自然で、わたしがひとりぼっちであることなんて、思い出させもしなかった。
わたしは子どもらしい薄情さで彼女のことをずっと忘れてしまっていた。
カナイさんが誰だったのか、母親に聞いてみたことがあるけれど、そんな名前の人はいなかったと返されてしまった。名前を間違えて覚えていたのかもしれない。
「カナイさんじゃなかったかな。わたしが小学生の頃にお世話してくれてた人、いたでしょ」
「うーん、いたかなぁ?」
目の前で微笑む母は綺麗で昔から姿があまり変わらない。この人には生活感があまりない。
父の仕事が一番忙しくて海外に行くことも多く、姉が入院したり、母は合間に自分の仕事もしていたような時期なので、本当に毎日目が回るようで、その頃のことはあまり覚えていないという。たしかに、あのころ家は妙に静かだった。
だから世界はカナイさんとわたしだけのようだった。
「いくらなんでもあなただけをひとりをずっと家に残したりはしないと思うのよ……でも、そうね、何回かは仕事関係の知り合いの人に見てもらっていたこともあったかしら……そんなに長い時間じゃないと思うわよ。誰のことかなぁ……」
どうも母は、その時期わたしを放っておいたことに罪悪感があるらしく、無かったことにしたい、まではいかなくても、短い時間だったと思いたいようで、記憶はますます曖昧になる一方だった。
でも母の仕事の関係だと、カナイさんは音楽家かもしれない。知り合いや、知り合いの知り合いのひとりかもしれない。家で娘を頼むくらいだから身元のきちんとした人だとは思う。
ただ、そんなに親しくなかったとしても、カナイさんは気軽に引き受けたと思う。そういうひとだったから。
「いーよいーよ! 楽しそうじゃん」
そんなふうに笑って引き受けたような気がする。彼女はなんでも楽しんでしまう人でもあった。あるいはどこかで会った母が大変そうだったのを見て自分から助けを申し出ていてもおかしくない。たとえ初対面でも彼女をぶっそうなひとと思う人間はそういないんじゃないかと思う。
カナイさんは、いつも笑っていた。
わたしの記憶だとカナイさんと過ごしたのは小学校二年か三年のときだったはずだ。だけど、彼女に関しての記憶はかなりおぼろげだ。
カナイさんとふたりで過ごした長い時期はもしかしたら実際には一週間にも満たない短い期間だったかもしれない。一日とか、二日だけだったかもしれない。
あるいは寂しかったわたしが作り上げた空想の人という可能性や、何人かの人のことをごっちゃにして覚えているという可能性だってある。もし、今会えたとしても、記憶とはぜんぜんちがう人かもしれない。
わたしの脳裏に浮かぶカナイさんの顔そのものは、いつもどこかぼんやりしているのに、存在のイメージだけは鮮明だ。
カナイさんは今、どうしているだろうか。
幸せだろうか。わたしのことは覚えているだろうか。覚えてなくてもいい。
わたしはカナイさんが好きだった。
いつも笑っていて、悲しいこと辛かったことを笑って面白く話してくれるあの人は、今でもわたしの中にずっと住んでいる。




