20.【閑話】友情と自意識の芽生え◆ネクラ
友情とは不思議なものだ。
好き嫌いよりも、圧倒的にタイミングや、合う合わないに左右されることが多い気がする。
友人の歴史を小学校低学年まで遡ると仲の良い四人でいつもふざけていた。その頃の俺は正しく内面を理解されていたし、女子とはほとんど話すこともなく男だけで群れて過ごしていた。
小四、俺と友人が公園の砂場で山を作り、その山に登る孤独なロボットのストーリーを作成してゲラゲラ笑っていた頃、同級生の女子達は鏡片手に二重だの一重だの言い合っていた。この頃からもう既に女子はべつの生き物だった。
薮坂とは中学で会った。
比較的裕福な家の生まれで不自由なくのびのびと甘やかされて育った薮坂は、心で思った失礼な偏見混じりの感想をためらいなく口にするタイプで、明るくてとっつきはいいが、失礼でムカつくので付き合いが長くなると嫌われることが多かった。
出会いは中学一年だったけれど、奴は二学期が終わる頃にはすっかり嫌われて孤立しかかっていて、俺くらいしか話し相手がいなかった。
なぜ俺とはしゃべっていたのかというと、話しかけられたから話していただけだ。向こうも他に相手にしてくれる人がいないから俺に話しかけていただけだろう。
周りが避けて距離を置く中、俺が薮坂を拒絶しなかったのは、べつに奴が好きだったわけでも同情したわけでもない。薮坂の他人に与えるストレスが、俺には気にならなかっただけだ。
俺にとってのストレスや苦手なことはほかの人間とは少しちがう場所にあって、薮坂はそこをまったく刺激しなかった。
俺にとってのストレスは、期待されること。
見た感じで頭が良さそうとか、金持ちそうとか、育ちが良さそうとか、曲がった事が嫌いそうとか、そんなふうに見られてるのがわかると、気になってしまう。
俺は幼い頃から自意識が低すぎて、自分がどういう人間かもよくわかっていなかったし、どう見られたいとか、こういう人間になりたいとかもなかった。例えて言うなら砂場の砂や、公園の落ち葉、そんなものと似たようなメンタルでサラサラと、あるいはカサカサと生きていた。
ある日、「君はほかの砂と違う! 素晴らしい!」と言われて目覚めた砂は、砂でしかないのに、自意識を持った。そして、「やっぱりただの砂か」と言われるのを恐れている。
自分の中にまったくなかったところに、他人によって持ち込まれ、降って湧いた自意識はとても強かった。
他人から勝手にイメージを固められて、それと違うとガッカリされたりする。
他人から突然落胆される、それは俺の罪悪感をものすごく刺激した。そして、罪悪感ともべつの恐怖を伴ってそこにあった。
ガッカリされないように勉強はしたし、おかげで勉強の楽しさも知れたけれど。
他人から評価されても、自己評価が上がることはなかった。だってそれは、他人の期待するものを演じただけであって、俺本来の資質ではない。
俺は砂だ。ただそこにあるだけの。
本当は周りが期待するような人間ではない。
周りからは色々想像されたけれど、俺個人の持ち物として自分がどんな人間になればいいのか、どんなふうにありたいかのビジョンは、相変わらずさっぱりわからないままだった。
周囲に認められたい願望もなかった。ただ落胆されないために必死でやっているそれは焦りとストレスでしかなかった。認められると、期待は大きくなる。ますます辛くなっていく。
薮坂は俺が秀才と思われて、それなのにテストで低い点をとったとき「あれー? 佐倉君て……」と言われてるときも「えー、おまえ、バカなのにな! 見るからにバカ! バカバカ」と言って笑っていた。
最初から期待されないというのは、落胆もされない。砂を砂と思われているのは楽だった。
それでも中学では女子もここまでの扱いはしなかった。これは私立のそこそこ育ちの良い人間が集まる高校に入って生まれた謎の文化だった。
中学まではもうちょっと普通に連絡先を聞かれたりもしていた。しかし、俺は携帯をもっていなかったので教えようがなかった。
そもそも、好きな女の子もいなかった。
可愛いなと思いはするけれど、女の子というものは俺にとって期待を向けてくるストレスのかたまりであったのだ。
優れた人間だと思われないほうが、尊ばれないほうが楽なのだから、他人に気を使えるマトモな人間ほど友達にはなりにくい。
高校のクラスでも、たまにマトモな男子生徒に話しかけられることはあって、そういうときに会話はする。女子とはちがって、普通にしゃべれる。しかし、その場限りで気を遣いあったようなものになりがちで、進展はない。
かといって、こちらを馬鹿にしていたり、敵意を持ってる人間とももちろん友達になれない。それなりに適当に扱われたいが、既にそこまでの人生で他人の期待する“尊ばれる自分”をキャラクター付けして演じてきていたのでそれは叶わなかった。
そしていつも残るのが薮坂透だった。それだけだ。因果なことに高校まで同じになった。うちの中学出身者は俺と薮坂だけだった。
以前薮坂が彼女に一週間で振られたとき、言われた台詞がある。
「そんな人だと思わなかった」
彼はそれに対し「知らねーよ。これがオレだ」と言い放ったそうだ。
繰り返すが友情は好き嫌いではなく、タイミングと相性に左右されやすい。気がついたら無駄に年輪を重ねてしまっているうかつな友情だって、存在する。
俺が、馬鹿で無神経で平気で失礼なことを連発する薮坂と友人なのはお互い本当にそれだけのことなのだ。




