19.夏の逢瀬◇ヒリア
それを思いついたのは偶然だった。
休日の冒険として降りた小さな駅で、たまたま見つけた公園。その中の遊具のひとつが大きな、とても大きなてんとう虫の形をしていた。
近寄ると水玉模様は円としていくつかくり抜かれている。そこから空洞となっている中に入れる。そして、入ってみると内部は中央で仕切られていた。
これは完璧。
第二図書室と同じ構造だ。入口が両方にある分進化系とも言える。素晴らしい。わたしはここをネクラ君との会合場所に使うことにした。
夏休みに外で会えるなんて最高だ。メールで誘うと二つ返事で了承を得た。
わくわくしながら待ち合わせ時間より早く行って、中に潜り込む。顔を合わせないですむように、時間は五分ズラして伝えた。
『時計寄りの方から入ったから反対から入ってね』
メールして、ドキドキしながら待っていると、すぐに返信があった。
『もうなかにいる』
「え、いつから?」
思わず声をあげた。着いているなら、連絡くれればいいのに。同じ入口から入ったら大変なのに。いや、でもいないってことは反対側に。
「ネクラ君? いる?」
反対側から「う、うん。いるよ」との声が返ってきた。声が通るかそれだけが心配だったけれど、よかった。これならじゅうぶん会話できそうだ。
「久しぶり」
「うん、元気してた?」
「うん! ここならさ、ほら、お互い顔も見せずに話せると思って!」
「うん、そ、そうだね」
「あははっ、声が響くね」
声が低い天井に反響して響いて、へんな感じ。ていうか、ものすごく暑い。今日は気温は低いほうだけれど、それでも遊具の中はむわっとした熱気がこもっていた。
「ひりあちゃんは夏休み……わっ」
「オマエダレダー」と子どもの声が聞こえる。どうやら反対端から別のお客さんが入ってきたらしい。
「うわっ、やめろ、ひっぱるな」
「誰だー! オマエ! ぎゃははー!」
子供に乱暴をするわけにもいかない。しかし、なにか酷い目にあわされている気がする。ネクラ君! 頑張れ! なんとか!
ネクラ君はたっぷり五分は子供たちのオモチャにされていた。
笑い声が大きく反響してよくは聞こえなかったけれど、なんとかキックとか、ライダー系の必殺技もくらっていた。
愉快な音声がその間ずっと聞こえていたけれど、やがて「ゆうとくーん! ご飯だよー!」と声が聞こえて三人ほどの子どもがバラバラと公園の外に向かって駆けていくのが見えた。
「だ……大丈夫だった? だいぶ成敗されてたけど」
「う、うん……大丈夫。大した成敗じゃなかった」
「ごめんね、いい場所だと思ったんだけど……」
「いや、素晴らしい場所だと思うよ! ひりあちゃんはさすがだよ! 天才的だよ!」
「えへへ……ありがとう。でも暑いね」
「蒸すよね」
しばらくは夏の遊具の中の暑さについて話をしていたけれど、唐突に空腹を覚える。
お昼時だ。お腹へった。興奮して朝は食べてない。よく考えたら一緒に食べにも行けないのに、なにかお腹に入れてくるべきだった。遊具の構造にはしゃぎ過ぎて、他のことに対して色々無計画でずさんだった。
「お腹へったぁ……」
思わずそうこぼすと向こう側でファスナーがジッと開くような音が聞こえた。
「あるけど食べる?」
「え、なにを?」
「……」
「もしかして焼きそばパン?」
最初に会ったとき、彼はなぜか焼きそばパンを持っていた。
「……おにぎり」
ネクラ君はなぜか決まり悪そうな声で言った。
「コンビニかなんかで買ってたの?」
「……いや、俺が朝、あとで食べようと……作成した……んだけど……いやだよね!?」
「え、えぇっ! 食べる! 食べたい食べたい!」
「ほ、本当に? そしたらちょっと待って」
しゅた、ごいんごいん、ぺそ。ごいん。じゃり。
幾つかの音のあと「てっぺんに置いたよ」と声がかけられる。
ドキドキしながら外にでると、自分が汗だくだったのがわかる。外気にあたった服がぐっしょりして、スースーする。
てんとう虫のてっぺんを見ると、なるほどラップにくるまれたおにぎりがちょんと置かれていた。
壁面の凹凸にしゅた、と足をひっかけて、ごいん……ごいん……ごいん、ごいんと四回ほど上にあがる。宝物はもうすぐそこだ。おにぎりを間近で見てまたびっくりする。
「すごいよネクラ君! これ本当に作ったの? こんな綺麗でかたちのいいおにぎり、売りにだせるよ!」
お米はつやつやで、すっごくかたちが良くて、綺麗な三角。海苔は下の部分にだけ巻いてあるスタイル。ほんの少しひんやりしているのは保冷剤でも入れていたのだろうか。
おにぎりを持ってそろそろと下に降りて、またてんとう虫の中に戻る。
中身はなんだろうとひとくちかじると、塩加減も絶妙。ご飯もふっくらとしていて、水っぽすぎない。こんな美味しいおにぎり、わたしは食べたことがない。いや、よく考えたらわたしはおにぎり自体ほぼ食べずに生きてきたから、もしかしておにぎりってこんなに美味しい食べ物だったの? え、試しに帰りにコンビニのおにぎりも買ってみなくては。
具は明太ツナマヨネーズだった。
明太とツナマヨの割合、コメとのバランスも素晴らしかった。
「美味しい……おいっしい」
ひとくち飲み込むたびに言葉がもれる。
なにか半月ぶりのマトモなご飯にありついた旅人のようにがっついてしまう。
「おにぎりの型とラップ使ってるから……そんなに触ってないから!」
ネクラ君はなぜかそれと関係ないことを伝えてくる。悪いけれどこの瞬間はちゃんと聞こえてなかった。
「はぁ、美味しかった……もっと食べたい……」
「え、ほんとに? あとひとつあるよ」
「食べたい!」
欲望のままに言ったあとで、それはネクラ君の分だということに思いあたるが、気がついたときにはしゅた、ごいんごいん、ぺそ、ごいん、じゃりとすばやく音が響く。
なんとなく、もうちょっとどんくさい子を想像していたんだけど、ネクラ君、意外と運動神経ありそう。少なくともわたしはこのリズムでは登れない。
「いいよ」と聞こえて外に出る。
また、回復アイテムがアイテムポイントに復活していた。そろそろとてっぺんまで行ってそれを取って降りた。
なにこの、見ただけで食欲をそそる美しいかたち。芸術的すぎる。こんなの作れるだけで相当モテるような気がする。
手に持っているだけでヨダレがでそうになるが、落ち着いて深呼吸。
「あのー、これネクラ君のぶん……」
「俺、お腹へってない! へってないんだ!」
ものすごく疑わしい言葉が慌てたように飛んでくる。
どうしよう、おにぎり、返したほうがいいかな。まさか、人生でおにぎりの返却について悩むことになるとは思わなかった。
どうしよう。
でも、これはやっぱりネクラ君のぶんだし……やっぱり。
……やっぱり美味しいなぁ。
葛藤していたはずが、気がついたときには口の中に幸せが満杯に詰まっていて、笑顔で青くなった。
しまった。
このおにぎりが美味しすぎるのが悪いのだ。でも、一度口に入れたものを返すわけにはいかないよね。だから食べていいよね。美味しいな。
「ごちそうさまでした。ありがとう。ほんとに美味しかった」
「え、もう食べちゃったの?」
「美味しくて……ぺろりだった」
ネクラ君はお米の国の……王子さまだ。しみじみ惚れ直す。
「わたし、お昼のことなにも考えてなかった。ごめんね、誘っておいて」
しかも、欲望に耐えられずネクラ君のぶんまでむしゃむしゃ食べて。わりと最悪なことしてる。
「ぜんぜん気にしないで!」
「本当にごめん、美味しくて……美味しかった」
「あんなのでよければいつでも作るよ」
「ほっ、ほんとにー?」
何百個発注しよう。楽しみすぎる。
「ネクラ君は、夏休みなにしてた?」
「俺はバイトばっかり」
「……バイト先って、女の子とかいるの?」
「へっ?」
うわ、嫉妬心丸出しで変なこと聞いちゃった。恥ずかしい。身悶えていると、だいぶ長い時間が経った。
向こうで寝ているんじゃないかと思いだしたころ、簡素な返事が返ってくる。
「……いない」
わたしは、なんだか恥ずかしくて「うん」としか答えられなかった。




