第9話:怪しさ満点の新人
翌朝、僕は陽菜に見送られ、一人で第七区画の中央に位置する冒険者ギルドへと向かっていた。
陽菜が買ってきてくれた黒いパーカーのフードを深く被り、鼻と口は布製のフェイスマスクで覆う。さらに、その上から大きめのサングラスをかけた。銀色の髪一筋、金色の瞳の光一つ漏らさない、完璧な変装。
……の、はずだった。
「……すごく、見られてる気がする」
「そりゃそうでしょ……」
僕の隣を、少し距離を置いて歩く陽菜が、呆れたような、心配するような声で呟く。
結局、「一人で行くのは絶対ダメ!」「何かあったらどうするの!」と陽菜に泣きつかれ、ギルドの建物が見える手前まで付き添ってもらうことになったのだ。彼女は通学用の制服姿なので、僕とは赤の他人を装っている。
それにしても、道行く人々の視線が痛い。
というより、好奇心と不審感が半々といったところか。真昼間から、顔を完全に隠した小柄な人物が歩いているのだ。無理もない。
「どう見ても不審者だよ、蓮」
「これ以外に方法がないだろ……」
「せめてサングラスはやめるとか……」
「金色の目が一番目立つんだ。ダメだ」
小声でひそひそと会話する僕たちは、傍から見れば余計に怪しいだろう。
やがて、目的地の冒険者ギルドが見えてきた。石と木材で造られた、重厚で大きな建物だ。壁には様々な依頼書が張り出され、屈強な冒険者たちが出入りしている。その誰もが、一筋縄ではいかなそうな猛者ばかりだ。
「……じゃあ、陽菜。僕はここから一人で行く」
「うん……本当に、大丈夫?」
「ああ。何かあったら、すぐに連絡する」
頷く陽菜の瞳には、心配の色が濃く浮かんでいた。その手を一度だけぎゅっと握り、僕は彼女に背を向けて、ギルドの巨大な扉へと歩き出した。
ギィィ、と重い音を立てて扉を開ける。
その瞬間、それまでガヤガヤと騒がしかったギルド内の空気が、ピタリと静まり返った。
酒を飲んでいた者、仲間と談笑していた者、依頼書を眺めていた者。全ての視線が、入り口に立つ僕――フードにマスク、サングラスという怪しさ満点の小柄な人影に、一斉に突き刺さる。
「……なんだ、ありゃ?」
「新入りか? にしちゃあ、格好が怪しすぎんだろ」
「ガキのお遊びか?」
「いや、待て。あの雰囲気……ただ者じゃねえぞ」
ひそひそと交わされる会話。値踏みするような視線。敵意、好奇心、侮り。様々な感情が渦巻く空気が、肌をピリピリと刺す。普通の高校生だったら、このプレッシャーだけで竦み上がっていただろう。
だが、僕の心は不思議と冷静だった。頭の中の「アリアの知識」が、周囲の人間の実力、視線の種類、潜在的な危険度などを瞬時に分析し、データベース化していく。恐怖よりも、分析と観察の意識が勝っていた。
僕は周囲の視線を意に介さず、まっすぐにカウンターへと向かった。
カウンターの向こうには、快活そうな女性職員が座っていた。彼女もまた、僕の姿を見て少し目を丸くしていたが、すぐにプロの笑顔を取り繕う。
「はい、こんにちは! 冒険者ギルドへようこそ! ご用件はなんでしょうか?」
「……登録を」
僕は、できるだけ低い声を作って、短く告げた。少女の声だとバレないように。
「はい、新規登録ですね! かしこまりました! では、こちらの用紙にご記入をお願いします。それから、登録には銀貨一枚が必要になりますが、お持ちですか?」
「……ある」
ポケットから銀貨を一枚取り出し、カウンターに置く。女性職員はにこやかにそれを受け取ると、一枚の羊皮紙と羽ペンを差し出した。
「えーっと、お名前、年齢、それから得意なスキルや武器などを……あら?」
彼女は、僕がペンを持ったまま固まっていることに気づいた。
「どうかなさいましたか?」
「……名前は」
まずい。考えていなかった。
斎藤蓮とは名乗れない。かといって、咄嗟に偽名を思いつくような機転も、今の僕にはなかった。
どうする。何か、何か名前を――。
その時、頭の中に、あの無機質な知識の羅列が再び浮かび上がった。
――アリア。戦闘学院首席。遺伝子調整体――
「……アリア」
無意識に、その名前を口にしていた。
僕の呟きを聞いた職員は、にこりと微笑んだ。
「アリアさん、ですね! 素敵な名前です! では、そちらにご記入を」
僕はペンを握りしめ、震える手で、羊皮紙に「アリア」と書き記した。
僕でもなく、彼女でもない。僕と彼女が混ざり合った、新たな存在としての名前。
今日から僕は、冒険者「アリア」になる。
「はい、ありがとうございます! 年齢とスキルは……」
「……年齢、不詳。スキル、なし。武器、ナイフ」
事実を淡々と告げる。年齢を偽るよりは、不詳の方が面倒が少ないだろう。身体強化はスキルというより体質のようなものだし、下手に手の内を明かす必要はない。
職員は少し困った顔をしたが、「ま、色々な方がいらっしゃいますからね!」とすぐに気を取り直してくれた。
「では最後に、こちらの水晶に手をかざしてください。魔力量の測定と、カードへの魔力登録を行います」
カウンターに、バスケットボールほどの大きさの水晶玉が置かれる。
言われるがままに手をかざすと、水晶は一瞬、淡い光を放っただけですぐに消えた。
「あれ? おかしいですね……もう一度お願いします」
再度、手をかざす。結果は同じだった。
「うーん……魔力量、測定不能……? まるで、空っぽみたいですけど……」
職員が首を傾げる。周囲の冒険者たちから、「なんだ、魔力なしかよ」「見かけ倒しか」という嘲笑が聞こえてきた。
だが、僕は知っている。この身体は、膨大なエネルギーを内に秘めている。ただ、この世界の「魔素」とは規格が違うのか、測定器に反応しないだけだ。むしろ、好都合だった。目立つのは避けたい。
「ま、まあ、魔力がなくても立派な冒険者の方はいらっしゃいますから! これで登録は完了です! こちらがアリアさんのギルドカードになります!」
女性職員は、少し気まずそうにしながらも、一枚の金属製のカードを僕に手渡した。
そこには、『アリア』という名前と、最低ランクを示す『F』の文字が刻まれている。
この一枚のカードが、この世界で生きていくための、僕の唯一の身分証明書だ。
僕はカードを握りしめ、静かに振り返った。
ざわつくギルドの中、依頼が張り出されたクエストボードへと、一歩、足を踏み出す。
冒険者アリアの、最初の一歩だった。




