間話:最強受付嬢の、ささやかな報酬
黒木教授が引き起こした学園テロ事件から、一週間が過ぎた。
学園には、嘘のような平穏が戻り、生徒たちの間では、あの日のアリアと仲間たちの武勇伝が、まことしやかに囁かれている。
そして、僕たちの家では――。
「蓮! じっとしてて! 今日のお昼ご飯は、私が『あーん』して食べさせてあげるんだから!」
「いや、もう腕は動くから……!」
「だーめ! 先生から『絶対安静』って言われてるでしょ!」
陽菜の過保護っぷりは、さらに数段階レベルアップしていた。
そんな、ある日の午後。
僕のギルドカードが、ぴりり、と短く振動した。
表示されたのは、ギルドマスターからの、短いメッセージ。
『――すまん、アリア。急で悪いが、一つだけ、どうしても断れない『指名依頼』が入ってしまった。明日の夜、時間は取れるか?』
「……指名依頼?」
僕が首を傾げていると、後ろから陽菜がスマホの画面を覗き込んできた。
「え、誰から? またクリスティーナ先輩?」
「いや、違うみたいだ。ギルドマスターから直々に……」
僕が返信する間もなく、ギルドマスターから、立て続けにメッセージが送られてくる。
『頼む! この通りだ! <(_ _)> 』
『これも、前の『バベル・アーク』の件での、約束の一つなんだ!』
『断られたら、俺の命が危ない……!』
その文面からは、切羽詰まった、ただならぬ雰囲気が伝わってきた。
「……仕方ないな」
僕は、ため息をつきながら、『了解した』とだけ返信した。
翌日の夜。
僕が、指定されたレストラン――第七区画でも、特に格式高いことで知られる高級店――の個室で待っていると、そこに現れたのは、意外な人物だった。
「こんばんはぁ、アリアちゃん♪ お待たせしちゃいましたかぁ?」
にこにこと、完璧な笑顔を浮かべて立っていたのは、ギルドの受付嬢、セラさんだった。普段の制服姿とは違う、少し大人びた、お洒落なワンピースに身を包んでいる。
「……セラさん?」
「はい♪ 今夜は、私がアリアちゃんを『指名』させていただきましたぁ」
彼女は、僕の向かいの席に座ると、楽しそうにメニューを開いた。
「いやー、この前の『バベル・アーク』の時は、大変でしたねぇ。アリアちゃんの戦いぶり、エレクトラちゃんから映像で見せてもらったんですけどぉ、本当にすごかったですぅ♪」
「……そう、ですか」
「はい♪ 私も、ちょっとだけお手伝いさせていただいたんですよぉ。それで、マスターとの約束で、このディナーをセッティングしてもらった、というわけです♪」
そういうことか。ギルドマスターの、あの必死な様子にも納得がいく。
僕たちは、当たり障りのない会話をしながら、運ばれてくる豪華な料理に舌鼓を打った。セラさんは、噂通りの食いしん坊らしく、次から次へと料理を注文し、幸せそうに頬張っている。
食事が一段落した頃、セラさんは、ふふふ、と意味深に笑った。
「それでですねぇ、アリアちゃん。実は今日、もう一つ、マスターにお願いしたことがあるんですぅ」
「……なんですか?」
嫌な予感しかしない。
「じゃーん! 『アリアちゃんファンクラブ』、会員番号1番から10番までの、精鋭たちでーす!」
セラさんが手を叩くと、個室の扉が勢いよく開き、そこには、目をキラキラさせた綺麗な女性冒険者たちが、ずらりと並んでいた。
「アリア様! お会いしとうございました!」
「いつも、応援してます!」
「きゃー! 生アリア様!」
そして、その集団を、まるで引率する教師のように、静かに従えていたのは、一人の知的な雰囲気の少女だった。
すらりとした黒のパンツスーツを完璧に着こなし、その手にはタブレット端末が握られている。顔には、ぐるぐると分厚いレンズのメガネ。
(……あのメガネは?)
僕の脳裏に、あのドジっ娘魔法使いの顔が一瞬よぎったが、目の前の少女の雰囲気は、彼女とは似ても似つかない。無駄のない所作、冷静な眼差し。まるで、有能な弁護士かコンサルタントのようだ。
「――初めまして、アリア様。私、『アリア様ファンクラブ』にて、顧問を務めさせていただいております、ケイと申します。本日は、会員たちの無礼、どうかご容赦ください」
彼女は、完璧な角度で、深々と一礼した。その声は、落ち着いていて、理知的だった。
僕も、思わず居住まいを正してしまう。
「「「…………」」」
僕の顔は、固まった。
「マスターには、『二人きり』って約束してもらったんですけどぉ、ファンのみんなにも、アリアちゃんの元気な姿を見せてあげたくて♪ サプライズです!」
セラさんは、悪戯っぽく、ぺろりと舌を出した。
そこからは、僕にとって地獄のような時間だった。
「アリア様、お酌させてください!」
「普段は、どんな訓練を?」
「その綺麗な銀髪、触ってもいいですか……?」
綺麗な女性冒険者たちに四方八方から囲まれ、質問攻めとスキンシップの嵐に見舞われる。僕は、男の心と女の身体の板挟みになり、完全に茹でダコ状態で、椅子の上でぐったりとしていた。
その間、陽菜とクリスティーナは、僕が「ギルドの極秘任務で、急遽呼び出された」という、エレクトラが流した完璧な偽情報を信じ込み、それぞれの家で「蓮(アリア様)も大変ね」と、のんびりテレビを見ていたことを、僕はまだ知らない。
「皆様、そこまでに。アリア様がお困りです」
混乱の極みにあった僕を、ケイの、静かで、しかし有無を言わせぬ一言が救った――かに、見えた。
彼女は、タブレットをテーブルに置くと、すっ、と僕のそばに近づいてきた。
そして、僕が座っている椅子の背もたれに手をかけると、ぐいっ、と力任せに押し倒したのだ。
「えっ!?」
僕は、椅子ごと仰向けに倒れそうになる。その身体を、ケイが倒れかかった椅子ごと、片手で軽々と支えた。
僕は、完全に仰向けの状態で、真上から僕を覗き込む、ケイの顔と対峙することになった。ぐるぐるメガネの奥の瞳が、やけに近くに見える。
「アリア様、お口にソースが」
ケイは、そう囁くと、僕が何か言う前に、その指先で、僕の口元(マスクの隙間)についたソースを、そっと拭い取った。
そして、その指を、僕の目の前で、ぺろり、と妖艶になめてみせた。
「――失礼いたしました」
しーん……。
個室の中が、水を打ったように静まり返る。
ケイは、何事もなかったかのように、すっ、と僕が座った椅子を元の位置に戻すと、とっとっと、と何食わぬ顔で、少し離れた場所へと戻っていった。
数秒の沈黙の後。
最初に我に返ったのは、ファンクラブの面々だった。
「「「きゃあああああああああっ!!」」」
乙女たちの、絶叫に近い歓声が、個室を揺るがす。
「なっ、ななな、なんて大胆な……!」
「ケイ顧問、さすがです……!」
次に、我に返ったのは、セラさんだった。
「あ、あれ、あ、あたしもっ!」
彼女が、目を血走らせて僕に迫ろうとするのを、僕は必死で手で制した。
「い、い、い、だ、だめですっ!」
その混乱の隙に、ケイは、誰にも気づかれぬよう、すすすっと個室の外へと抜け出していた。
そして、ドアが閉まった、その外で――。
ボンッ!
ケイの顔が、蒸気でも噴き出しそうなほど、真っ赤に染まった。
(や、やっちゃったあああああああ!!!)
有能顧問のペルソナを被っているうちに、気分が高揚し、完全にその気になって、勢いで、とんでもないことをしてしまった。
(くぉぉおおおぉ!)
彼女は、その場に蹲ると、壁に頭を打ち付けながら、ごろごろと転がり始めた。
(くぉぉおおおぉ!女神様のソース……!女神様の間接……!く、くふふ、くふふふふふぅ~!)
廊下の隅で、一人悶え、そしてご満悦の表情を浮かべる、一人の変態(もとい、熱狂的ファン)がいたことを、室内の誰も知る由はなかった。
僕の、ささやかな平穏は、今日もまた、僕を愛する(?)少女たちの、暴走する愛情表現によって、無残にも打ち砕かれていく。
一つの嵐は去った。
だが、僕の日常には、また新たな、甘くて、少しだけ騒がしい嵐が、すでに吹き荒れ始めていたのだった。




