第67話:ドキドキ女子会
週末の夕暮れ時。
僕たちの小さなアパートの部屋は、普段とは全く違う、女子特有の甘い香りと、華やかな熱気に包まれていた。
テーブルの中央では、ぐつぐつと音を立てる鍋から、食欲をそそる湯気が立ち上っている。その周りを、陽菜と、ミカ、アヤ、ユキの三人が、甲斐甲斐しく動き回っていた。
「アヤ、白菜はもうちょっと後!」
「えー、でも、早く食べたいよー」
「ユキ、お豆腐、崩さないように気をつけてね」
「う、うん!」
今日は、陽菜の友人たち――『銀の百合騎士団』の面々が、我が家でパーティーを開く日だった。
名目は、『アリアさん歓迎会 兼 騎士団決起集会』。
要するに、僕にとっては包囲網以外の何物でもない、ただの女子会だ。
「さあ、アリアさん! こちらへどうぞ!」
ミカに手を引かれ、僕は鍋が一番よく見える、主賓席(という名のただの座布団の上)に座らされた。
足元では、リリィが「騒がしいにゃ……」とでも言いたげな顔で、しかし鍋から漂ってくる鶏肉の匂いに、そわそわと鼻をひくつかせている。
「「「「かんぱーい!」」」」
オレンジジュースが入ったグラスが、カチン、と軽やかな音を立てる。
こうして、僕の、生まれて初めての(そして、おそらく最後の)地獄の釜が開いた。
「んー、美味しいー!」
「陽菜の作るお鍋、最高だね!」
少女たちの、弾むような声が部屋に響く。
美味しい。美味しいが、味がしない。なぜなら、僕は今、左右を陽菜とミカにぴったりと挟まれ、身動き一つ取れない状態だったからだ。
右からは陽菜のシャンプーの甘い香り。左からはミカのフローラルな香り。そして、肩や腕に触れる、柔らかな感触。
(……近い! 匂いが! 柔らかいものが! 無理だ!)
男の子としての僕の思考回路は、すでにショート寸前だった。
「ねえねえ、アリアさん」
僕が茹でダコのようになって固まっていると、アヤが、にやにやと意地の悪い笑みを浮かべて、話を振ってきた。
「アリアさんって、その……好きな人とか、いるんですか?」
ゴホッ! ゲホゲホッ!
僕は、飲んでいたお茶を、盛大に吹き出しそうになった。
その衝撃で、僕の身体がぐらりと傾ぎ、陽菜の肩に寄りかかってしまう。
「きゃっ!?」
「れ、蓮! だ、大丈夫!?」
陽菜は、顔を真っ赤にしながら、慌てて僕の身体を支える。その腕が、僕の背中に回された。
密着度、さらにアップ。もうダメだ。
「えー、いいじゃん! 恋バナだよ、恋バナ! 女子会の定番でしょ!」
「そうだよ、陽菜。私たち、アリアさんのこと、もっと知りたいんだから!」
ユキとミカも、目をキラキラさせて加勢する。ミカに至っては「アリアさん、顔赤いですよ? 熱でもあるんですか?」と、僕の額に自分の額をこつん、と当ててきた。
(熱が上がるわ!)
完全に、包囲され、物理的に拘束され、尋問が始まった。
僕が、サングラスの下で激しく動揺していると、少女たちの妄想は、あらぬ方向へと暴走を始めた。
「やっぱり、アリアさんは、ミステリアスだね……」
「きっと、いるんだよ。心の奥に秘めた、大切な人が……」
「もしかして、その人のために、本当の自分(女の子)として生きることを、決意したとか……!?」
「「「きゃーっ!!」」」
勝手に話を作り上げ、勝手に盛り上がって、謎の黄色い歓声が上がる。
(……誰か、助けてくれ)
僕は、全ての抵抗を諦め、ただ蒸気のように頭から湯気を立ち上らせる置物と化した。
そんな僕の苦悩など露知らず、恋バナはさらにヒートアップしていく。
「陽菜は、どうなの? やっぱり、蓮くんのこと……?」
「へっ!?」
不意に矛先を向けられた陽菜が、僕の身体を抱えたまま、ビクンと跳ねる。
「な、な、何言ってるのよ! 蓮は、ただの幼馴染だってば!」
「えー、本当ぉ?」
「じゃあ、もし、蓮くんが『実は生きてたんだ』って、目の前に現れたら、どうする?」
ミカが、核心を突くような質問を投げかけた。
その瞬間、陽菜の動きが、ぴたり、と止まった。
彼女は、箸を持ったまま、少しだけ俯いて、そして、呟くように言った。
「……そんなの、決まってるよ」
その声は、とても静かで、でも、確かな想いが込められていた。
「『おかえり』って、言う。そして、今度こそ、絶対に、離さないように、ぎゅーって、する」
その言葉と共に、僕の背中に回された陽菜の腕に、ぐっと力が込められた。
しーん、と部屋が静まり返る。
友人たちは、陽菜の、あまりにも真っ直ぐで、純粋な想いに、何も言えなくなってしまった。
僕も、心臓を、ぎゅっと鷲掴みにされたような感覚に陥った。
すぐ背後から伝わる、陽菜の温もりと、ドキドキと速い鼓動。
サングラスの下で、僕の瞳が、少しだけ潤んだのを、きっと誰も気づいていない。
「……あー! もう、しんみりしちゃったじゃない! ほら、もっと食べよ、食べよ!」
空気を変えるように、アヤがわざと明るい声を上げる。
「そうだね! 締めのうどん、入れちゃお!」
再び、部屋は賑やかな笑い声に包まれた。
僕は、そんな彼女たちの様子を、ただ黙って見つめていた。
男の心と、女の身体。その板挟みで、苦しいことも多い。
でも、この賑やかで、温かくて、少しだけ騒がしい日常は、悪くない。
ううん、悪くないどころか――最高に、幸せだ。
鍋の湯気が、僕のサングラスを、優しく曇らせていた。




