第62話:ドキドキ身体測定・前編
ネットを使った情報戦に、あっさりと敗北した黒木教授。
だが、その程度で諦めるような、小物ではなかった。ハイエナは、一度狙った獲物は、決して逃さない。
彼は、次なる手として、学園の「ルール」そのものを武器に選んだ。
数日後の放課後。
僕が、夜間部の授業の準備をしていると、陽菜が血相を変えて教室に飛び込んできた。
「蓮! 大変だよ!」
「どうしたんだ、そんなに慌てて」
陽菜は、ぜぇぜぇと肩で息をしながら、一枚のプリントを僕の目の前に叩きつけた。それは、学園の公式な通達だった。
『――特待生アリアの身体能力データに、一部不明瞭な点が見られたため、理事会の決定に基づき、公式な再測定を実施する――』
「……は?」
僕の口から、素っ頓狂な声が漏れた。
「黒木教授が、理事会に働きかけたんだって! 『特待生の実態を、全生徒の前で明確にする義務がある』とか、もっともらしいこと言って!」
陽菜は、悔しそうにテーブルを叩く。
「これって、この前の仕返しだよ! 絶対に、何か企んでる!」
その夜。
僕たちの家のリビングは、重苦しい雰囲気に包まれていた。テーブルの上には、例の通達と、身体測定の項目が書かれた詳細な資料が広げられている。
『身長、体重、筋力、敏捷性……そして、魔力総量と、身体組成の詳細スキャン』
最後の項目を見た瞬間、僕の顔から、サッと血の気が引いた。
「……陽菜」
僕の声は、自分でも驚くほど、か細く震えていた。
「身体組成のスキャンって……まさか、服、脱ぐのか……?」
「……たぶん、専用のスーツに着替えるか、最悪の場合……そうなる、かも」
陽菜の言葉に、僕の頭は完全に真っ白になった。
全生徒が見ている前で? あの、黒木派の教師たちの前で? アリアの身体を、隅々までスキャンされる?
無理だ。絶対に、無理だ。
男の心が、それを断固として拒絶する。
「ど、どうしよう……蓮、顔、真っ青だよ!」
陽菜が、僕の肩を揺さぶる。
「だ、断れないのか!? 病気だとか、適当な理由つけて!」
「もう、理事会の公式決定だから、欠席したら、それこそ『何か隠している』って言われちゃう……」
まさに、絶体絶命。
僕が、頭を抱えてソファに沈み込んでいると、足元で丸くなっていたリリィが、やれやれといった顔で、小さくため息をついた。
(……くだらないにゃ。人間というのは、なぜこうも、他人の身体に執着するのか)
その冷めた視線が、余計に僕の心を抉る。
「……こうなったら、作戦会議だよ!」
陽菜は、パン!と手を叩くと、仁王立ちになった。
「絶対に、蓮の身体は、私が守り抜いてみせる!」
そこから、僕たちの、ドタバタで、そして少しだけ見当違いな対策会議が始まった。
「案1! 当日、測定器を『偶然』壊す!」
「却下だ。あからさますぎる」
「案2! 私が、蓮に変装して測定を受ける!」
「お前と俺じゃ、身体能力が違いすぎるだろ。一瞬でバレる」
「案3! 測定の直前に、煙幕を張って逃げる!」
「……もう、ちょっと真面目に考えてくれ」
ああでもない、こうでもないと、僕たちが頭を悩ませていると、リリィが、すっ、と立ち上がった。
そして、テーブルの上に置かれていた、僕のスマホを、前足でちょいちょい、と突いた。
「ん? リリィ、どうしたの?」
陽菜が首を傾げた,その時。
ピロリン♪
スマホから、間の抜けた電子音が鳴り響き、三頭身のちびキャラ慧が、ホログラムとなってぽんっ!と飛び出してきた。
「はーろー! 女神様のピンチと聞いて、あなたの隣に這い寄る混沌、電子の魔女エレクトラ、参上つかまつりましたー!」
立体映像の慧は、元気いっぱいに手を振りながら、僕たちとは全く明後日の方向を向いて、高らかに名乗りを上げた。
「「きゃっ!?」」
突然のことに、陽菜が驚きの声を上げる。
「あれ? アリア様、どこですかー?」
ちびキャラ慧は、その場でくるーっと一回転すると、ようやく僕たちの存在に気づいた。
「ああ、こちらでしたか! 失礼しました!」
ぺこり、とお辞儀をする姿は、なんだか妙に可愛らしかった。
「いやー、学園のサーバーを散歩してたら、面白そうなイベントが決定したみたいじゃないですか! 『アリア様ドキドキ身体測定』! 私も、ぜひ生で観測……いえ、女神様をお助けすべく、馳せ参じた次第であります!」
慧は、僕たちの前のテーブルを、ぴょんぴょんと飛び跳ねている。
「ご安心ください! この電子の魔女にかかれば、測定データの改竄など、朝飯前! 当日は、私が裏からこっそり、全てのデータを『平均的な女子生徒』の値に書き換えておきますから!」
得意げに胸を張る慧。それは、確かに、最も確実な解決策の一つだった。
だが、陽菜は、むっとしたように頬を膨らませた。
「……だめ」
「え?」
「データをごまかしたって、意味ないよ! 敵の目的は、蓮を、みんなの前で辱めることなんだから! 私たちがやるべきなのは、データ改竄じゃない! 蓮の尊厳を、守ること!」
陽菜の、その真っ直ぐな言葉に、慧も、僕も、ハッとさせられた。
「……その通り、ですわね。失礼しました、陽菜様。私としたことが、少し、手段にばかり目がいっておりました」
ちびキャラ慧は、ぺこり、と頭を下げた。
「では、こうしましょう。データ改竄は、あくまで保険。当日は、陽菜様と、そのご友人たち『銀の百合騎士団』の皆様で、物理的に、アリア様をガードするのです!」
慧の目が、キラン!と光った。
「そして、万が一の時は、私が測定室の全システムを、一時的にダウンさせます! その隙に、逃げる!」
こうして、僕の意思とは全く関係ないところで、「陽菜たちによる物理ガード」と「エレクトラによるシステム介入」という、二段構えの『アリア様尊厳防衛作戦』が、着々と練り上げられていく。
僕は、そんな少女たちの、熱意と、少しだけズレたやる気に、もはや「ありがとう」と言うべきなのか、頭を抱えるべきなのか、分からなくなっていた。
明日という日が、無事に終わることだけを、僕はただ祈るしかなかった。




