第55話:観測者の報告書と、芽生える決意
僕が目を覚ました後も、陽菜とクリスティーナによる甘やかし介護は、僕の必死の抵抗も虚しく、夜が更けるまで続いた。
友人たちは、早々に「お邪魔みたいなので……」と顔を赤らめながら帰っていったが、陽菜とクリスティーナは「アリア様の絶対安静を守る」という大義名分のもと、一晩中僕のベッドの両脇を固めて離れなかった。
僕にとっては、生きた心地のしない、長い長い夜だった。
翌朝。
ようやく身体が動くようになった僕は、セバスチャンが運転するリムジンで、陽菜と共に自宅アパートまで送ってもらった。
クリスティーナは「わたくしの屋敷で、引き続き療養なさってもよろしくてよ?」と名残惜しそうだったが、「学校もあるから」と陽菜がやんわりと断ってくれた。本当に、助かった。
アパートに帰り、ようやく一息ついた僕のスマホに、クラゲのアイコンの通知が届いた。エレクトラからだ。
チャットを開くと、そこには『バベル・アーク襲撃事件に関する調査報告書』と題された、膨大なデータファイルが添付されていた。
ファイルを開くと、そこには今回の事件の、おぞましい真相が記されていた。
『――結論。今回の事件は、伊集院権三の指示を受けた、伊集院翔の元取り巻きたちによる、人為的なテロ行為である』
報告書によれば、彼らは権三から「『バベル・アーク』に捕獲した怪異を運び込み、騒ぎを起こせ」と指示されていたらしい。壁の外で生け捕りにしたグリフォンやヒッポグリフを、特殊なコンテナで秘密裏に施設内へ運び込む。そこまでは、計画通りだった。
しかし、そこで彼らの一部が、暴走した。
モニターに映し出されたのは、監視カメラの映像だった。元取り巻きの一人が「このまま放っても面白くねーじゃん」と笑いながら、怪異の入った檻に、怪しげな注射器を突き刺している。権三が用意したものではない、彼らが裏ルートで手に入れた、粗悪な興奮剤だ。
薬物を注入されたグリフォンは、みるみるうちに興奮状態に陥り、内側から檻を破壊。他の怪異たちも、その凶暴性に当てられて次々と暴れ出し、彼らの手に負えない大惨事へと発展した――。
「……最低だ」
僕は、吐き捨てるように呟いた。
人の悪意と、愚かさが引き起こした、あまりにも身勝手な事件。
エレクトラからの報告は、さらに続いていた。
『これらの情報は、現在、匿名でギルド、自衛隊、及び警察組織へリーク済み。元取り巻きたちの身柄は、昨夜のうちに全員拘束。伊集-院権三の関与を示す物的証拠は、今回も巧妙に消されており、直接の逮捕は困難。しかし、彼の影響力は、この一件でさらに失墜するでしょう』
そして、報告書の最後には、エレクトラの個人的なメッセージが添えられていた。
『追伸:昨夜の介抱の様子、クリスティーナ様の寝室に仕掛けた超小型ドローンから、バッチリ観測させていただきました。わ、私はなぜ、あの場所にいなかったのでしょう……。いえ、でも、あの光景は……あまりにも、尊かったです……。ごちそうさまでした』
「…………」
僕は、無言でスマホを閉じた。あの魔女、どこまで見ていたんだ。
「蓮? どうしたの、難しい顔して」
僕の様子に気づいた陽菜が、心配そうに顔を覗き込んでくる。僕の隣では、リリィが「にゃーん」と欠伸をしていた。
「……なんでもない」
僕は、陽菜に余計な心配をかけさせたくなくて、事件の真相を胸の内にしまった。
だが、僕の中で、一つの決意が、静かに、しかし確かな形を取り始めていた。
伊集院権三のような、人の命を駒としか思わない人間がいる。黒木教授のような、権力のために他人を陥れる人間がいる。
そして、彼らは、これからも僕たちの日常を脅かしてくるだろう。
その度に、陽菜や、クリスティーナや、友人たちを、危険な目に遭わせるわけにはいかない。
その度に、僕が切り札を使い、ボロボロになって、彼女たちに心配をかけるわけにもいかない。
(……強くならなければ)
エーテル結晶のような、諸刃の剣に頼るのではない。
僕自身の力で、アリアの身体を完全に乗りこなし、どんな敵が現れても、仲間を守りきれるだけの、本当の強さを。
持久力という、最大の弱点を、克服しなければ。
僕の瞳に、静かな闘志の炎が宿るのを、陽菜はただ黙って見つめていた。
彼女は、僕が何を考えているのか、言葉にしなくても、分かっているようだった。
「……大丈夫だよ、蓮」
陽菜は、僕の手を、そっと握りしめた。
「一人で、全部背負おうとしないで。蓮の戦いは、もう、蓮だけのものじゃないんだから」
その温かい手の感触が、僕の覚悟を、さらに強く、固くしてくれた。




