第6話:鏡の中の君と、女の子の常識
陽菜は「蓮の着替えとか、色々買ってくるから、絶対安静にしててよね!」と言い残し、慌ただしく部屋を出ていった。その背中を見送りながら、僕ははようやく一人、静かな時間を取り戻した。
……本当に、どうなってんだ、これ。
さっきまでの陽菜とのやり取りで流されてしまっていたが、改めて自分の状況を考えると、頭が痛くなってくる。
僕はゆっくりとベッドから降り、陽菜の部屋にある姿見の前に立った。
そこに映っているのは、やはり見ず知らずの美少女だった。
月光を溶かし込んだような、きめ細やかな銀髪。腰まで届きそうなほど長い。手櫛で梳いてみると、さらさらと指の間を滑り落ちていく。自分の髪とは思えない、不思議な感触だ。
顔立ちは、日本人離れしている。少しつり上がった、大きな金色の瞳。通った鼻筋に、形の良い小さな唇。肌は病的なまでに白い。陽菜が「綺麗」と言ったのも頷ける。だが、この人形のような整い方は、少し不気味ですらあった。
「……これが、アリア……」
頭の中に流れ込んできた知識だけの存在。彼女はどんな人生を送ってきたのだろう。感情が欠落した情報からは、何も読み取れない。
次に、身体に視線を移す。
陽菜に借りたクマさんパジャマは、当然ながらサイズが合っていない。袖も裾も少し短い。それでも、その下にある身体が、自分が知っているものとは全く違うことは明らかだった。
華奢な肩。なだらかな胸の膨らみ。きゅっとくびれた腰。
おそるおそる、自分の胸に触れてみる。
「……うわ」
柔らかい。当たり前だが、柔らかい。自分の身体なのに、自分の身体じゃないような、奇妙な感覚に襲われる。顔が熱くなるのがわかった。
次に、全身の筋肉のつき方を確認する。
ただ細いだけじゃない。腕や足には、しなやかで質の良い筋肉が薄くついているのがわかる。無駄な脂肪が一切ない、極限まで鍛えられたアスリートのようだ。これが、遺伝子改良された戦闘民族の身体か。
試しに、その場で軽く屈伸してみる。膝の関節が滑らかに動き、全く軋むことがない。
軽くジャンプすると、ふわりと身体が浮き、天井に頭をぶつけそうになった。
「おわっ!?」
慌てて体勢を整えるが、着地の音はほとんどしない。猫のように、しなやかに衝撃を吸収してしまう。
あのガーゴイルとの戦闘が、夢ではなかったことを実感する。この身体は、まさしく「兵器」だ。
「……すごい、な」
驚嘆と同時に、一抹の恐怖が背筋を走る。
こんな力を、スキルもなかったただの高校生の僕が、本当に使いこなせるのだろうか。あの時のように、また暴走してしまわないだろうか。アリアの「知識」は戦闘術を教えてくれるが、力の制御までは保証してくれない。
それに、この身体の燃費の悪さ。あの世界とやらより魔素が希薄なこの環境では、全力戦闘は数分と持たないだろう。下手に力を振るえば、命取りになる。
「これから、どうすれば……」
姿見に映る金色の瞳と目が合う。
それは、不安と決意の入り混じった、複雑な色をしていた。
斎藤蓮として生きる道は、おそらく閉ざされた。
かといって、アリアとして生きることもできない。僕は彼女じゃない。
じゃあ、僕は一体何者なんだ?
答えは、出ない。
今はただ、陽菜の言葉に甘え、この身体と力に慣れるしかない。
そして、情報を集めるんだ。あのスタンピードのこと。防衛高校の仲間たちのこと。そして、何よりも――陽菜を守り抜けるだけの、本当の強さを手に入れるために。
僕は鏡の中の自分――銀髪金眼の少女に、静かに頷きかけた。
それは、新たな自分として生きていくことを受け入れる、小さな覚悟の儀式だった。
ガチャリ、と玄関のドアが開く音がして、僕は慌ててベッドに戻った。どうやら、陽菜が帰ってきたらしい。平然を装わなければ。心臓が、少しだけドキドキと音を立てていた。




