第54話:眠れる姫君と、甘やかしの城
セバスチャンが運転する黒塗りのリムジンは、サイレンの音が遠のいていく『バベル・アーク』を後にし、静かに走り出した。
車内には、重苦しい沈黙が満ちている。
僕の身体は、後部座席に横たえられ、その頭は陽菜の膝の上に優しく乗せられていた。友人たちは、そんな僕の姿を、心配そうに、そしてどこか神聖なものを見るような目で見つめている。
「……わたくしの、せいですわ」
静寂を破ったのは、クリスティーナの、か細い声だった。
「わたくしが、皆様をお誘いしなければ、アリア様がこんな目に遭うことは……」
「違うよ、クリスティーナ先輩」
陽菜は、僕の銀髪をそっと撫でながら、毅然とした声で言った。
「蓮は……アリアさんは、そこに守るべき人がいたから戦っただけ。先輩のせいじゃない。だから、自分を責めないで」
その言葉に、クリスティーナは唇を噛み締め、窓の外に流れる景色をただ見つめていた。
やがて、リムジンは壮麗な門をくぐり、広大な庭園を持つ、城のような屋敷――エルロード邸へと到着した。
「お嬢様、皆様、ご到着です」
セバスチャンの声と共にドアが開かれると、そこにはすでに、数名の医療スタッフがストレッチャーを用意して待ち構えていた。
「わたくしの屋敷の医療班ですわ。さあ、アリア様をこちらへ」
僕の身体は、セバスチャンから医療スタッフへと慎重に引き渡され、屋敷の中へと運び込まれていく。
陽菜やクリスティーナたちも、心配そうにその後を追った。
通されたのは、病院の一室と見紛うほど、最新の医療設備が整った一室だった。
僕がベッドに寝かされると、医師らしき初老の男性が、少女たちの前に進み出た。
「お嬢様。これより、アリア様の精密検査を始めます。念のため、全身をくまなく確認いたしますので、皆様は一度、隣室でお待ちいただけますでしょうか」
「……わかりましたわ。アリア様のこと、よろしくお願いいたします」
クリスティーナの言葉に、医師は深く一礼した。
陽菜たちは、名残惜しそうにしながらも、部屋を後にするしかなかった。
待合室での時間は、永遠のように長く感じられた。
やがて、ガチャリ、とドアが開き、先ほどの医師が姿を現す。
「お待たせいたしました。検査は終了しました」
その言葉に、陽菜とクリスティーナが、同時に駆け寄った。
「アリア様は!?」
「ご安心ください。九条先生の見立て通り、外傷は軽微。あとは、消耗した体力が回復するのを待つだけです。ただ……」
医師は、少しだけ言い淀んだ。
「九条先生からも、『絶対に安静にさせるように』と、きつく言われております。最低でも丸一日は、しっかりと介護して差し上げるよう、お願いいたします」
その言葉に、陽菜とクリスティーナの瞳に、新たな決意の光が宿る。
やがて、僕が眠る部屋への入室が許可された。
そこにいたのは、先ほどまでのコートドレス姿ではなく、ゆったりとしたシルクのガウンに着替えさせられた、僕の姿だった。
戦闘の混乱の中、どうにか守り切ったのだろう、フェイスマスクとサングラスはつけられたままだったが、フードは外され、月光のような銀髪が、真っ白な枕に広がっている。その穏やかな寝顔は、先ほどまでの激闘が嘘のようだった。
「アリア様……」
クリスティーナが、そっと僕のベッドに近づく。
「後はお任せくださいな。医療班の皆さんは、もう下がって結構ですわ」
「……かしこまりました」
医師たちは、一礼すると、静かに部屋を出ていった。
残されたのは、眠る僕と、五人の少女たち。
クリスティーナは、セバスチャンがどこからともなく用意した、温かいお湯の入った金の盥と、高級そうなタオルを手に取った。
「まずは、汗をかかれたお身体を、綺麗に拭いてさしあげませんと」
「わ、私が、腕を!」
陽菜が、そっと僕のガウンの袖をまくり、優しく腕を拭き始める。
「では、わたくしは御御足を……」
クリスティーナも、同じように僕の足を拭き始めた。
ミカたち友人一同は、その光景を少し離れた場所から、固唾を飲んで見守っている。
「きゃー……」「うわぁ……」「あ、あんなところまで……っ!」
彼女たちの、ひそひそとした、しかし興奮を隠しきれない声が部屋に響く。
その、賑やかな囁き声に、僕の意識はゆっくりと浮上してきた。
(………なんだ……?)
重いまぶたを、ゆっくりと持ち上げる。
最初に目に入ったのは、僕の腕を拭いている陽菜の、真剣な横顔。そして、僕の足を拭いているクリスティーナの、どこか恍惚とした表情。
そして、その二人から放たれる、獲物を前にした肉食獣のような、ギラギラとしたオーラ。
「……ん。んん……。な、なにを……?」
僕が、かすれた声を発した瞬間、部屋の空気が、ピシリ、と凍りついた。
陽菜とクリスティーナの動きが、完全に止まる。
(め、目がこわいよ!?)
「あ……アリア! め、目が覚めたっ?」
陽菜が、慌てて僕の手を離し、動揺を隠せない様子で叫ぶ。
「え? あっ! い、いま、汚れていたので、お体を奇麗にしている所なのです! あ、アリア様は絶対安静なので、じっとしていてくださいっ!」
クリスティーナも、しどろもどろになりながら、僕の身体を押さえつけようとする。
「え、あ?ぼくっ、自分で、できるっし!」
「だ、だめです! 絶対安静なのですからっ!」
陽菜とクリスティーナが、左右から僕の身体をがっちりとホールドする。その力は、今の僕では到底抗えないほど強い。
乙女たちの、甘くて、そしてちょっとだけ過激な介護は、僕の抵抗も虚しく、再開されるのだった。




