第52話:おめかしの姫君と、空からの厄災
リリィが家族(?)に加わってから数日後、僕たちの日常は、新たな賑やかさを得ていた。
リビングのソファで僕が本を読んでいると、足元でリリィが丸くなって眠っている。時折、僕の足にすり寄ってくるその仕草は、賢者としての威厳など微塵も感じさせない、ただの可愛い猫そのものだった。
(……まあ、悪くない)
そんな穏やかな午後の空気を破ったのは、スマホの軽快な着信音だった。
相手は、クリスティーナだった。
『アリア様、ごきげんよう。来週末、例のお出かけの件、いかがかしら?』
「例の件?」
僕が首を傾げていると、キッチンから顔を出した陽菜が「あ! 三人でのお出かけの約束だよ!」と教えてくれた。すっかり忘れていた。
クリスティーナは、電話の向こうで楽しそうに計画を語り始めた。
『ええ。実は、わたくしのエルロード商会が主導で建設した、巨大な複合商業施設が、先日オープンいたしましたの。その名も『バベル・アーク』! 壁の内側の平和と繁栄を象徴する、最新鋭の施設ですわ。ぜひ、皆様をご招待したいのですけれど』
「……商業施設、か」
あまり気は進まないが、陽菜との約束でもある。断るわけにはいかないだろう。
僕が了承すると、クリスティーナは「まあ、嬉しいですわ!」と、弾んだ声を上げた。
そして、週末。
僕たちは、待ち合わせ場所である『バベル・アーク』のエントランスにいた。
メンバーは、僕、陽菜、クリスティーナ。そして、「陽菜とアリアさんの初デート(?)、邪魔者から護衛しないと!」という、壮大な勘違いのもとに集結した、陽菜の友人であるミカ、アヤ、ユキの三人も一緒だった。
「うわー! すごいね、ここ!」
「本当! 大災害前の大型商業施設って、こんな感じだったんだろうねー」
友人たちが、きらびやかな施設の光景に目を輝かせている。
ガラス張りの天井からは太陽光が降り注ぎ、ホログラムの広告が宙を舞う。行き交う人々は皆、楽しそうな笑顔を浮かべていた。
「さあ、皆さん! まずは、アリア様のお洋服を選びに行きましょう!」
クリスティーナの、鶴の一声ならぬ、女王の一声で、本日のメインイベントが決定した。
「え、俺は別に……」
「だーめ! アリア様は、いつも黒いパーカーばかり。たまには、もっとファッショナブルなお洋服もお召しにならないと!」
「そうだよ、アリアさん! 絶対、可愛い服が似合うって!」
陽菜とクリスティーナ、そして友人たちにぐいぐいと腕を引かれ、僕は高級ブティックへと連行された。
そこからは、僕にとって地獄、彼女たちにとっては天国のような、ファッションショーの始まりだった。
「まあ! このゴシック調のドレス、アリア様のミステリアスな雰囲気にぴったりですわ!」
「こっちの、ひらひらのスカートも可愛いよ! 蓮、いや、アリアさん、足が綺麗だから、絶対似合う!」
僕の意思など完全に無視され、次から次へと服を着せ替えさせられる。
そして、最終的に選ばれたのは、クリスティーナが「わたくしからのプレゼントですわ!」と押し付けてきた、銀糸の刺繍が施された、紺色のフード付きコートドレスだった。フードを目深に被れば顔は隠せるが、丈の短いスカートから伸びる足は、どうにも落ち着かない。
「きゃー! アリアさん、お姫様みたい!」
「おお、スマートで、そこそこ胸も……」
「奇麗な足……」
友人たちの品評会に、僕は羞恥心で顔から火が出そうだった。僕たちが、そんなきらびやかな時間を過ごしていた、その時だった。
ウウウウウウウウウウウウッ!!
突如、『バベル・アーク』全体に、けたたましい警報が鳴り響いた。
ガラス張りの天井の向こう、青い空に、黒い影が複数、舞っているのが見えた。
「緊急警報! 緊急警報! 第七区画上空に、大型飛行型怪異、複数出現! 確認された個体は、グリフォン三体、ヒッポグリフ五体! 付近の市民は、直ちに地下シェルターへ避難してください!」
アナウンスが、人々の悲鳴にかき消される。
ピリリッ!
僕のギルドカードが振動し、緊急招集の知らせが届く。
だが、僕の最優先事項は、ギルドへの合流ではない。
「みんな、こっちだ! 地下のシェルターへ急ぐぞ!」
僕は、すぐそばにいる陽菜や友人たち、そしてパニックに陥っている周囲の人々を守ることを第一に考え、避難経路へと誘導し始めた。
その時だった。
ドゴォォォォンッ!!
凄まじい衝撃音と共に、『バベル・アーク』の巨大なガラス天井の一部が、粉々に砕け散った。
自衛隊のバリスタによって翼を傷つけられ、飛べなくなった一体のグリフォンが、僕たちのすぐ近くのフロアに墜落してきたのだ。
ガラスの破片と土煙が舞う中、巨体が起き上がる。その翼は折れ、身体のあちこちから血を流しているが、その瞳は怒りと苦痛で赤く染まり、凶暴性はむしろ増していた。
「グルルルルル……!」
グリフォンは、周囲に撒き散らされた高級ブランドのバッグやマネキンを、その巨大な鉤爪でめちゃくちゃに破壊し、大暴れを始めた。
逃げ惑う人々。その流れから取り残され、腰を抜かして動けなくなっている陽菜の友人たちの姿が、僕の目に入った。
「……っ!」
僕は、着せられたばかりのコートドレスの裾が翻るのも構わず、彼女たちの前に立った。
「下がってて」
僕は、この日のためにギルドショップで新調した、ミスリル製のコンバットナイフを抜き放ち、静かにグリフォンと対峙する。
僕の存在に気づいたグリフォンが、口から粘液質の体液をまき散らしながら、血走った目でこちらを睨みつけた。
次の瞬間。
ドンッ!
床を蹴る轟音と共に、巨体が凄まじい加速で突進してきた!
(速い……!)
陽菜たちが、まだ十分に距離を取れていない。避けられない!
「ぐぅっ!」
僕は咄嗟に身体強化を発動させ、両腕をクロスさせて、その突進を真正面から受け止めた。ミシミシ、と骨が軋む音が聞こえる。凄まじい衝撃に、足元の床が砕け散った。
「むぅぅぅっ!!」
ありったけの力を込めて、その巨体を押し返す。
グリフォンは、よたよたっ、と数歩たたらを踏んだだけだった。僕の全力の防御が、この程度。
「みんな、もっと離れて!!」
僕が叫ぶ。
「ぐゎぁぁああああ!」
体勢を立て直したグリフォンが、今度は巨大な鷲の嘴で、僕に噛みついてきた!
僕は、とっさに近くにあったマネキンを掴むと、力任せにその口の中へと投げ込んだ!
ガキン!と鈍い音がして、グリフォンの口が閉じられなくなる。
だが、その一瞬の攻防で、僕のエネルギーは限界に近づいていた。視界がチカ-チカと明滅し、身体がふらつく。
「っはぁ……はぁ……!」
だが、ここで倒れるわけにはいかない。
グリフォンが、口に挟まったマネキンを振り払おうともがいている、その隙。
僕は、最後の力を振り絞り、ミスリルのナイフを逆手に持つと、その懐へと飛び込んだ。
ばすっ!
ナイフが、グリフォンの心臓を深々と貫く。
「ぐううぅぅおおぉぉ!」
致命傷を受けたグリフォンは、苦悶の叫びを上げ、のたうち回った。
っどたっ、だた!だた!がしゃーん!
その巨体が暴れるたびに、周囲の商品が吹き飛ばされ、ショーウィンドウが派手に砕け散る。
やがて、その動きが、ゆっくりと弱まっていく。
僕は、ふら……っと立ち上がり、最後の気力を振り絞って一瞬で近づくと、グリフォンの首筋に、ズン!と渾身のとどめを刺した。
そして、返り血を避けるように、すぐに後ろへ飛びのき、しゅたっ、とコートドレスの裾を翻して、かっこよく着地。
……までは、良かった。
だが、僕の意識と力は、もう限界だった。
「……む、り……」
膝から力が抜け、ヘチャッ、と前のめりに、その場に崩れ落ちた。
「かはーっ……かはーっ……」
胸が激しく上下し、指一本動かせない。意識だけが、辛うじて繋がっている状態だった。
「「「アリアさん!!」」」
「蓮!!」
遠のく意識の中、僕の名前を呼ぶ、陽菜たちの悲鳴が聞こえた。
……みんな、無事だったか……。
それを最後に、僕の意識は、完全に闇へと沈んだ。




