第50話:路地裏の魔女と、賢者猫の尋問
旧地下鉄での探索を終え、僕と陽菜、そしてケイは地上への帰路についていた。
僕は手に入れたエーテル結晶の重みと、それに伴うリスクを静かに噛みしめ、陽菜は無事に帰還できた安堵感からか、少しだけ足取りが軽い。
そんな僕たちの、少し離れた後方を、一匹の黒猫――リリィが、複雑な心境で追跡していた。
(エーテル結晶……。あんな危険なものを、アリアは手に入れてしまった。一体、何と戦うつもりなんだにゃ……?)
リリィは、地下での出来事、特にケイという魔法使いの不可解な「魔法」と、アリアの覚悟に、ただならぬものを感じ取っていた。
(とにかく、もっと近くで監視しないと、まずいことになる……!)
やがて、人通りの多い通りに出たところで、ケイが突然、足を止めた。
「あ、あの! アリア様、陽菜様! わ、私はここで、エレクトラ様への報告がありますので!」
彼女は、ぺこりとお辞儀をすると、僕たちに背を向け、近くの薄暗い路地裏へと、そそくさと姿を消した。
「行っちゃったね」
「ああ。不思議な奴だったな」
僕と陽菜は、特に気にも留めず、家路へと向かう。
だが、ケイは、ただ報告のために別れたのではなかった。
路地裏に入った彼女は、ぴたり、と足を止める。そして、ゆっくりと振り返り、何もない空間に向かって、静かに語りかけた。
「――それで? あなたは、いつまで隠れているおつもりかしら」
その声は、先程までのドジっ娘魔法使いのものではない。冷たく、全てを見透かすような、『電子の魔女』の声だった。
物陰で息を潜めていたリリィは、びくっ!と全身の毛を逆立てた。
(……ば、バレてたにゃ!? いつの間に!?)
ケイは、リリィが隠れているゴミ箱の影へと、ゆっくりと歩み寄る。
「驚くことはありませんよ。私は、あなたがあの地下鉄で、ありえない場所から『出現』した瞬間から、ずっと注目していましたから」
ぐるぐると分厚いレンズのメガネを外し、素顔を晒す。その瞳は、獲物を見つけた猫のように、好奇心と探究心でギラギラと輝いていた。
「あなた、ただの猫ではないのでしょう?」
ケイは、しゃがみ込み、リリィと視線を合わせた。
「あの、影から影へと跳ぶ力……。この世界の物理法則から、完全に逸脱している。あなた、一体、何者?」
ケイは、この猫がただ者ではないことは分かっているが、まだ言葉が通じるとは思っていなかった。あくまで、未知の生命体に対する問いかけだ。
一方、リリィは完全にパニックに陥っていた。
(ど、どうするにゃ!? このままじゃ、正体が……! こ、こうなったら、ただの阿呆な猫のふりをして、やり過ごすしか……!)
リリィは、咄嗟に、渾身の「猫の演技」を始めた。
「うにゃ? にゃにゃぁ~らあぁあぁ、んやにゃにゃ……?」
(え? 何のこと言ってるか、わかんにゃいなー?)
リリィは、首をこてん、と傾げ、純真無垢な子猫を装って鳴いてみせた。完璧な演技のはずだった。
だが、ケイの反応は、リリィの予想を遥かに超えていた。
ケイは、リリィの鳴き声を聞くと、一瞬だけきょとんとした後、その口元に、ぞっとするほど美しい、三日月のような笑みを浮かべた。
「――あら。あなた、もしかして……そうなんだ?」
(えっ?)
リリィの動きが、ピタリと止まる。
「なるほどねぇ……。鳴き声の周波数パターン、喉の筋肉の微細な動き、そして瞳孔の収縮率……。今のあなたの反応は、『問いかけに対して、意図的に無知を装っている』際の、典型的な生体反応パターンと完全に一致するわ」
ケイは、指先で自分のこめかみをトントンと叩きながら、淡々と分析結果を告げる。
「つまり、あなたは、私の言葉を、完全に理解している」
(なっ……!?)
リリィは、背筋が凍るのを感じた。目の前の少女は、ただの人間ではない。こちらの思考を、生体反応から読み解いている。
(この小娘……何者だにゃ!?)
ケイは、そんなリリィの動揺を楽しむかのように、さらに続けた。
「面白いわ……。面白いじゃない、あなた。影を渡る能力に、人間並みの知性……。ふふふ、ふふふふふ!」
ケイは、こらえきれないといった様子で、肩を震わせて笑い始めた。
「アリア様だけでなく、こんな興味深い『観測対象』まで現れるなんて! ああ、この世界、最高にエキサイティングだわ!」
彼女は、笑うのをやめると、再びリリィの顔を覗き込んだ。その瞳は、もはや獲物を観察する科学者のそれだった。
「いいこと、猫さん? あなたがアリア様を気にしているのは、分かっているわ。目的が何であれ、敵意がないのなら、見逃してあげる。でも、その代わり……」
しゅぴっ!
ケイの指先から、小さな金属片が飛び出し、リリィの首輪に寸分の狂いもなく装着された。
「あなたの行動は、これから全て、私が『観測』させてもらうから。もし、アリア様に仇なすような動きを見せたら……その時は、あなたの存在そのものを、この世界から『デリート』してあげる」
にっこり、と。天使のような笑顔で、悪魔のような宣告をする。
リリィは、もはや抵抗する気力もなかった。
目の前の魔女には、何をしても無駄だと、本能で理解してしまったのだ。
(……こ、こいつも、アリアと同じくらい、規格外だにゃ……)
「さて、と。それじゃ、私はこれで」
ケイは、満足げに立ち上がると、再びぐるぐるメガネをかけ、いつものドジっ娘魔法使いの姿に戻った。
「猫さん、バイバーイ!」
手を振りながら、彼女は路地裏の闇へと消えていった。
一人(一匹)残されたリリィは、しばらくの間、その場で呆然としていた。
そして、首につけられた、冷たい金属の感触を確かめながら、新たな決意を固める。
(……こうなったら、アリアの家に潜り込むしかない。そして、この魔女の監視から逃れる方法を探しつつ、アリアを守るんだにゃ……!)
こうして、二人の「裏」の能力者は、奇妙な相互監視関係を結ぶことになった。
電子の魔女と、影の賢者猫。
その出会いが、今後の物語に、一体どのような影響を与えていくのか。
それはまだ、神ならぬ猫と、魔女にしか分からない秘密だった。




