第47話:追跡者の戸惑いと、初めてのダイブ
旧地下鉄の探索は、予想以上に順調に進んでいた。
陽菜が放つ火球が安定した光源となり、僕たちは目の前の通路の奥を警戒しながら進んでいた。後方では、ケイが時折「わっ!」「きゃっ!」と何もないところでつまづきながらも、手に持った端末で周囲のエネルギー反応を探っている。
「蓮、この先、少し開けてるみたい。気をつけて」
「ああ。怪異の気配が濃くなってきたな」
僕と陽菜の意識は、完全に前方に集中していた。
そんな僕たちの、数十メートル後方。
柱の影や、瓦礫の山に身を隠しながら、一匹の黒猫が必死に後をつけていた。
(……なんなんだ、あいつらは!)
リリィは、内心で悪態をついていた。
アリアたちの戦闘能力と連携は完璧だ。そして、何より不可解なのが、あのドジっ娘魔法使い、ケイだ。
(……計算され尽くしている? いや、ただの偶然か? どっちにしろ、不気味すぎるにゃ……!)
リリィにとって、この追跡は困難を極めていた。
(くっ……! このままじゃ、見失ってしまうにゃ!)
アリアと陽菜が、長い通路の先へと消えていく。リリィは焦り、柱の影から飛び出そうとした。
その時だった。
ふと、自分の足元に広がる、柱の影。
それは、陽菜の火球によってできた、濃く、そして深い闇だった。
リリィは、なぜかその影に、強く惹きつけられるのを感じた。
(……なんか、この影……不思議な感じがするにゃ……。すいこまれそうな……)
まるで、水面を覗き込むように、影に顔を近づける。
影が、ゆらり、と揺れた気がした。自分の意思とは関係なく、身体が、影の中へとずぶずぶと沈んでいくような、奇妙な感覚。
そして――
とぷんっ!
「びっくぅ!?」
リリリィの身体は、完全に影の中に飲み込まれた。
視界は真っ暗。上下左右の感覚もない。ただ、冷たく、静かな空間を、高速で落下していくような感覚だけがあった。
(こ、ここどこにゃー! こわいにゃぁあ!)
一方、後方で周囲を警戒していたケイは、その異常事態を見逃さなかった。
僕と陽菜が前方の警戒に集中している、まさにその時。彼女の視界の端で、何もない空間の影が、水面のように揺らめいたのだ。
(……空間歪曲反応!? まさか、この座標に!?)
ケイが驚きに目を見開いた、次の瞬間。
ざぷんっ!
先ほどまで何もなかったはずの影から、一匹の黒猫が文字通り「飛び出して」きた。
「えぇ!? ちょっと!」
思わず素の声が出てしまう。その声に、前を歩いていた僕が「ん?」と振り返った。
「ケイ、何かあったかー?」
「い、いえ……! 特に何もありませんよ!」
ケイは、慌てていつものドジっ娘魔法使いのペルソナに戻り、ぶんぶんと手を振る。
僕が「そうか?」と再び前を向いた、その一瞬の隙。
ケイは、目の前で呆然としている黒猫――リリィを、音もなく捕獲していた。
「にゃっ!?」
リリィが抵抗する間もなく、その小さな身体はケイのローブの中に抱え込まれ、口元をむにゅっと押さえつけられる。
「んむー! んーっ!」
「あ! なんでもないのですよぉ~!」
ケイは、僕と陽菜に聞こえるように、わざと大きな声で言いながら、にこにこと笑顔を振りまく。しかし、その背中に回された手の中では、リリィが必死にもがいていた。
ケイは、ローブの中で暴れるリリィの耳元で、誰にも聞こえない声で囁いた。
「……後で、しっかり、お話を聞かせてもらいますからね?」
しゅぴっ!
囁きと共に、ケイの指先から小さな金属片が飛び出し、リリィの首輪に寸分の狂いもなく装着された。それは、超小型の発信機兼盗聴器だった。
「さあ、アリア様! 陽菜様! 先を急ぎましょう! こっちの通路から、強いエネルギー反応です!」
ケイは、何事もなかったかのように、元気よく先頭に立って歩き始めた。そのローブの中からは、時折「んぐぐ……」という、くぐもった抵抗の声が聞こえてくるが、僕と陽菜がそれに気づくことはなかった。
電子の海を渡る魔女と、影の闇を渡る賢者猫。
二つの「裏」の力が、初めて、物理的に接触した。




