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幼馴染の 『女の子同士だから大丈夫!』 が一番大丈夫じゃない!  作者: 輝夜
第4章:紫水晶の誓い

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第42話:アリアの課題と、陽菜の独壇場


伊集院翔が学園を去り、街に嵐を巻き起こした事件の後処理がようやく落ち着き、僕たちの日常にも平穏が戻りつつあった。事件から、およそ二週間が過ぎていた。


この二週間、決して何もなかったわけではない。

伊集院の退学は学園に大きな衝撃を与え、陽菜はしばらくの間、同情と好奇の視線に晒された。だが、クリスティーナが盾となり、友人たちが支えてくれたおかげで、彼女の周りにはすぐに以前と変わらない笑顔が戻っていた。


ギルドでは、ギルドマスターに事件の正式な報告を行い、改めて陽菜の『監視兼サポート役』としての立場が公式に認められた。ブルックやジンといった面々からも、「大変だったな」と不器用な言葉で気遣われたりもした。

一番の変化は、クリスティーナとの関係かもしれない。彼女は事件以降、あからさまなアプローチは控えるようになったものの、エルロード商会の情報網を駆使して、伊集院権三の動向を定期的に僕たちに報告してくれるようになった。それは、彼女なりの「友人」としての誠意であり、僕たちにとっては何よりも心強い後ろ盾となっていた。


陽菜は学校で友人たちと笑い合い、僕はアリアとしてギルドの依頼をこなし、家に帰れば二人で夕食を囲む。

表面上は、穏やかな日々。

だが、僕の心の中には、一つの焦りが、黒い染みのように広がっていた。

伊集院翔との対峙。あの時、もし慧からのサポートがなければ、僕は陽菜を守り切れなかったかもしれない。そして、その背後にいる、より巨大な悪意――伊集院権三は、まだ闇の中で牙を研いでいる。

今の僕のままでは、ダメだ。この平和が、いつかまた脅かされた時、今度こそ守りきれないかもしれない。その恐怖が、僕を駆り立てていた。


その不安と焦りを、僕は行動で振り払うことにした。

冒険者ギルドの、個人用訓練所。

僕は、そこに一人、立っていた。目的は一つ。僕の最大の弱点である、「持久力」の克服だ。


「――はぁっ!」

僕は、身体強化スキルを発動させ、訓練用の人形ダミーに連続で打撃を叩き込む。一撃一撃は、鋼鉄の人形を容易くへこませるほどの威力を持っている。

だが、数十秒も経たないうちに、身体の奥から力がごっそりと抜け落ちていくのを感じた。

「……くっ……!」

視界が霞み、膝が笑う。息が上がり、心臓が警鐘のように激しく鳴り響く。

僕は、たまらずその場に膝をついた。

(……ダメだ。やっぱり、長くはもたない)


アリアの力は、絶大だ。だが、それはガソリンタンクの小さいスーパーカーのようなもの。一瞬の爆発力は凄まじいが、すぐにガス欠を起こしてしまう。

それでは、ダメだ。

陽菜を、僕たちの日々を、守りきることはできない。


「……もっと、強く、長く……!」

僕は、再び立ち上がろうとした。だが、酷使した身体は、もう言うことを聞いてくれない。

その日は、自分の無力さを痛感したまま、ふらつく足で、陽菜の待つ家へと帰ることしかできなかった。


「ただいま……」

ドアを開け、壁に手をついて、なんとか靴を脱ぐ。

「おかえり、蓮! ……って、またそんなボロボロになって!」

リビングから駆けつけてきた陽菜が、僕の姿を見て眉をひそめた。

「また、訓練所で無茶したでしょ! 顔色、最悪だよ!」

「……少し、な」

「少しな、じゃない! もう!」


陽菜は、怒ったように僕をリビングのソファまで引っ張っていくと、そこにどさりと座らせた。

その瞳の奥に、心配の色が濃く浮かんでいるのを、僕は知っていた。

「じっとしてて! 今、タオル持ってくるから!」

陽菜は、少しだけ口元を綻ばせながら、パタパタと忙しなく走り回る。その背中からは、「私の出番ね!」という心の声が聞こえてくるようだった。


僕が内心でツッコミを入れる間もなく、陽菜は温かいタオルで僕の汗を拭き始めた。

「もう、蓮はすぐ無茶するんだから。私がしっかり見ててあげないと」

「……お前は、俺のお母さんか」

「お母さんでも、お姉ちゃんでも、なんでもなってあげるわよ。蓮のためならね」

そう言って、悪戯っぽく笑う。その笑顔に、僕は何も言い返せなくなってしまった。


身体を拭き終えると、今度は恒例のマッサージタイムが始まった。

「うわっ、肩、ガチガチじゃない! 岩みたいだよ、これ!」

「……うるさい」

「はいはい。ここね? こうやって、ぐーっと……」

陽菜の小さな手が、僕の凝り固まった筋肉を的確に捉え、ほぐしていく。

その心地よさに、僕の身体から、そして心から、少しずつ力が抜けていく。訓練所で感じた焦りや無力感が、陽菜の温もりによって、ゆっくりと溶かされていくようだった。


「……なあ、陽菜」

マッサージを受けながら、僕はぽつりと呟いた。

「どうすれば、この身体を、もっと長く動かせるようになるんだろうな」

僕の弱音に、陽菜の手が一瞬だけ止まった。

「……そっか。そんなことで、悩んでたんだ」

彼女の声は、とても優しかった。

「大丈夫だよ」

陽菜は、僕の背中に、自分の額をこてん、と乗せた。

「一人で悩まないで。蓮の課題は、私の課題でもあるんだから。二人で、一緒に考えよう! 絶対に、何か方法があるはずだよ!」


その力強い言葉が、僕のささくれだった心に、じんわりと染み込んでいく。

そうだ。僕は、一人じゃない。

僕の隣には、いつだって、この太陽のような幼馴染がいてくれる。

その安心感と、一日の疲労、そして背中から伝わる陽菜の温かさに、僕の意識は、ゆっくりと、深く、沈んでいった。

「……ああ。そうだな……」

それが、僕が最後に発した言葉だった。


「……蓮? ……寝ちゃったの?」

僕からの返事がなくなり、やがて規則正しい寝息が聞こえ始めたことに、陽菜は気づいた。

彼女は、マッサージしていた手を、そっと止める。

リビングには、ソファで眠る僕と、その背後で固まる陽菜の二人だけ。静寂が、部屋を支配する。


(……寝てる)

ドキドキドキドキ……!

陽菜の心臓が、早鐘のように鳴り響く。

(無防備……。蓮の寝顔、独り占め……!)

彼女は、音を立てないように、そっと僕の顔を覗き込む。フードは脱いでいるため、銀色の髪がソファに広がり、月明かりに照らされてキラキラと輝いている。その穏やかな寝顔は、戦闘中の凛々しい姿とは全く違う、ただの美しい少女のものだった。


(……か、可愛い……)

陽菜は、こみ上げてくる衝動を抑えきれなかった。

彼女は、そーっと、壊れ物を扱うように、眠る僕の背中に、自分の身体を寄せた。そして、ゆっくりと腕を回し、後ろから、ぎゅーっと、優しく抱きしめる。

僕の体温と、石鹸のいい匂い。

「ん~~~っ!」

陽菜は、声にならない歓喜の声を上げ、ご満悦の表情を浮かべた。

(蓮、あったかい……。いい匂い……。ずっと、こうしていたい……)

一日の疲れと、大好きな人を抱きしめている幸福感。その心地よさに、陽菜の意識もまた、ゆっくりと微睡んでいく。

彼女は、僕を抱きしめたまま、その温もりに安心して、静かに眠りに落ちていった。


眠る、銀髪の少女。

その背中を、優しく抱きしめて眠る、茶髪の少女。

その幸せそうな二人を、窓の外から覗いていた一匹の黒猫が、「……にゃんだ、これ……」と呆れたように呟いていたことを、彼らはまだ知らない。


翌朝。

僕が最初に感じたのは、背中から伝わる柔らかな温もりと、すぐ耳元で聞こえる、安らかな寝息だった。

(……なんだ……? あったかい……)

ぼんやりとした意識で、僕はゆっくりと目を開けた。

そして、自分に、陽菜がぴったりと抱きついたまま眠っているという、信じられない光景を認識した。


「…………え?」


思考が、完全に停止する。

なぜ? どうしてこうなった? 昨夜、俺は確かに、陽菜にマッサージをしてもらっていて……それで、あまりの気持ちよさに、意識が……。

(寝落ちしたのか、俺!?)

状況を思い出し、僕の頭は一気にパニックに陥った。


陽菜の腕が、僕の身体にしっかりと回されている。彼女の寝息が、僕の首筋をくすぐる。そして感じる、柔らかな胸の感触。

ドクン、ドクン、と自分の心臓が、嫌でも大きく脈打つのを感じる。

(まずい、まずいまずいまずい!)

この身体は女だ。でも、俺の心は男のままだ。幼馴染の、無防備な寝顔と身体を、こんな至近距離で……!


僕は、彼女を起こさないように、そっと身体を動かそうとした。

だが、その時、陽菜が「ん……れん……」と、幸せそうな寝言を呟いて逆にぎゅーっと抱き着いてきた。

その声に、僕の動きが、ピタリと止まる。

僕は、おそるおそる、彼女の寝顔を覗き込んだ。

まつ毛が長くて、唇が、すごく……。

(……かわいい)

そう思った瞬間、僕の中にいる「斎藤蓮」が、抗いがたい衝動に駆られた。

――このまま、この腕の中に、閉じ込めてしまいたい。

僕の腕が、彼女を抱きしめ返そうと、無意識に動き出した、その時。


「ん……んんっ!?」


陽菜のまぶたが、ぴくりと動き、ゆっくりと開いた。

目の前には、至近距離の僕の顔。そして、自分が僕に抱きついているという、現実。

数秒間の沈黙。

そして。


「――きゃあああああああああっ!!」


陽菜の絶叫が、静かな朝を切り裂いた。

彼女は弾かれたように僕から飛びのくと、顔を真っ赤にして叫んだ。

「ご、ごごご、ごめんなさい! わ、私、いつの間に蓮に抱きついて……!?」

「い、いや、俺も今……!」

「な、ななな、何でもない!何もない! おはよう! さ、朝ごはんの準備しないと!」

彼女は、意味不明なことを叫びながら、アワアワとキッチンへと逃げていった。


一人残された僕は、まだバクバクと鳴り響く心臓を押さえつけていた。

(……危なかった……)

色々な意味で、危なかった。

僕たちの、持久力向上計画。

その始まりは、いつも以上に、心臓に悪い、ドタバタで騒がしい朝だった。


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