第36話:電子の海の魔女
壁外合同演習の会場。
伊集院翔が描いた脚本通りに、橘陽菜が「加害者」として断罪され、連行されていく。その完璧な筋書きに、彼は満足の笑みを浮かべていた。
だが、彼は知らなかった。
その「完璧な舞台」の様子が、無数の目によって、リアルタイムで監視されていたことを。そして、その舞台裏が、一人の少女の指先によって、丸裸にされていたことを。
第七区画、雑居ビルの最上階。
無数のモニターが煌々と光る部屋で、相良慧はヘッドセットをつけ、高速でキーボードを叩いていた。
「……ふふ。始まった、始まった。愚かな王子様の、茶番劇が」
メインモニターには、既に彼女が自由自在に操る事が出来るようになった複数の監視カメラの映像が、分割で表示されている。陽菜がドリンクを飲む瞬間、村上がスキルを発動する瞬間、伊集院が偽りの正義を振りかざす瞬間。その全てが、最高のアングルで克明に記録されていた。
「『橘陽菜が、些細な口論から、仲間に対してスキルを暴走させた』……ねぇ。陳腐な脚本。三流のゴシップ誌でも、もう少しましな筋書きを考えるわ」
慧は、あくびを一つすると、別のモニターに視線を移した。そこには、伊集院家の個人サーバーから抜き出した、膨大なデータが表示されている。
「偽の目撃者リスト、買収に使われた口座の送金記録、被害者役の生徒の心理鑑定プロファイル、陽菜さんに飲ませた薬物の発注履歴……。まあ、出るわ出るわ。埃の山ね」
彼女が、アリアに興味を持ったのは、二週間前のこと。
ガーゴイルを圧倒的な力で殲滅した、謎の冒険者。その存在に、彼女は強く惹かれた。
この世界は、腐っている。金と権力を持つ者が、ルールを作り、弱い者を搾取する。伊集院親子のような人間が、正義の顔をして、平然と他人を踏み躙る。慧は、そんな世界を憎んでいた。
そんな時、アリアは現れた。
誰にも傅かず、何にも属さず、ただ己の力だけで、理不尽を打ち破る、孤高となりうる存在。
アリアは、慧にとって、光だった。この腐った世界に舞い降りた、気高く、強く、美しい救世主。
「神聖な存在を、こんな下劣な者たちの、くだらない権力争いの道具にされてたまるものか」
慧の瞳に、冷たい怒りの光が宿る。
「私の女神様が、輝くための舞台に、汚物を撒き散らすなど……万死に値する」
彼女は、再びキーボードに指を置いた。その動きは神速で、目で追うことは不可能だった。
伊集院たちが用意した、偽の目撃者たちのSNSアカウントを特定。彼らが過去に伊集院から金品を受け取っている証拠を、匿名でマスコミ各社にリークする準備を整える。
重傷を負った生徒が搬送される病院のデータベースに侵入。彼のカルテに「火傷の原因は、本人の不注意によるスキルの誤爆の可能性が高い」という医師の所見を、後から「追記」できるバックドアを仕掛ける。
演習のナビゲーションシステムに介入し、伊集院のチームが、意図的に陽菜のチームの近くにいたことを示す航行ログを確保する。
全ての「証拠」を、彼女は瞬く間に収集し、裏付け、そして反撃の「弾丸」へと加工していく。
「ふふ……。哀れな伊集院翔。あなたは、チェスをしているつもりのようだけれど、盤の上の駒も、ルールも、既に全て私の手の内となっているわけだけど、あなたは何処まで踊っていられるかしら」
彼女は、集めたデータを、一つの暗号化フォルダに追加した。フォルダ名は、『女神への貢ぎ物』。
このフォルダは、一つのトリガーを設定してある。この後も、ギリギリまで最新の決定的な証拠が彼女の手により、ここに集められていく。
そして、アリアのギルドカードが、演習会場の橘陽菜の近くに来た段階で、全ての情報がギルドマスター、霧島校長、そしてクリスティーナ・エルロードの端末に、同時に送信される。
慧自身は、表には出ない。彼女は、あくまで舞台裏の演出家。
主役は、アリア。僕たちの女神様だ。
彼女が、全ての悪を断罪し、光り輝くための舞台を整える。それが、慧の役割であり、至上の喜びだった。
慧は、全ての準備を終えると、一つのモニターを拡大した。
そこには、何も知らずに、演習ルートを淡々と進むアリアの姿が映っていた。
やがて、彼女のギルドカードに、慧が仕込んだ緊急連絡が入る。
『――橘陽菜、規律違反の容疑により拘束とのこと。至急、救援に向かわれたし』
モニターの中のアリアが、ぴたり、と足を止めた。
フードの下の表情は見えない。だが、彼女の周囲の空気が、一瞬で凍りついたのを、慧は感じ取った。
「さあ、女神様。舞台は整いましたわ」
薄暗い部屋の中、一人の天才ハッカーの少女は、頬を染め、恍惚とした表情で、ディスプレイの光に照らされていた。
「あなたの怒りを、その神罰を、愚かな者たちに見せておやりなさいな」




