第32話:伊集院家の食卓と、歪んだ正義の計画
壁外合同演習を二日後に控えた夜。
伊集院家の豪奢なダイニングルームでは、翔と彼の父親が、静かにディナーをとっていた。テーブルに並ぶのは、一流シェフが腕をふるったフルコース。だが、二人の間に温かな家族の会話はない。そこにあるのは、冷徹な戦略会議の空気だけだ。
父親である伊集院権三は、この国の中枢に食い込む有力な政治家だ。その顔には、人の良い笑みを浮かべているが、瞳の奥には、底知れない野心が渦巻いている。
「――翔。学校での序列、橘陽菜という娘に覆されたそうじゃないか」
権三は、最高級のステーキを切り分けながら、何気ない口調で言った。
「……耳が早いですな、父上」
「当然だ。防衛高校の学年首席は、卒業後、自衛隊の幹部候補生、あるいは政府直属の対怪異特殊部隊への道が約束される。伊集院家の影響力をさらに拡大させるための、重要な『駒』だ。その座を、どこの馬の骨とも知れん娘に奪われては、我々の計画に支障が出る」
「ご心配には及びません。次の壁外合同演習で、彼女には舞台から降りていただきます」
翔は、磨き上げられた銀のナイフを見つめながら、自信満々に言い放った。
「ほう? 何か策があるのか」
「ええ。少し、彼女の『評判』を落とすための、ささやかな舞台を用意するだけですよ」
翔は、自分が練り上げた陰湿な計画を、父親に語って聞かせた。
「橘陽菜を、『仲間を傷つけた加害者』に仕立て上げるのです」
「ほう……」
権三は、興味深そうにナイフを置いた。
「次の壁外演習で、彼女のチームに、我々の息のかかった生徒を一人、潜り込ませます。そして、演習中の『不慮の事故』に見せかけて、その生徒に橘陽菜のスキルで『重傷』を負わせるのです。もちろん、タイミングは彼女が疲弊し、スキルの制御が甘くなった頃合いを狙います」
「なるほど。目撃者も用意する、と」
「はい。事前に買収した数名に、『橘陽菜が、些細な口論から、仲間に対してスキルを暴走させた』と証言させます。証拠も状況も、全てが彼女が加害者だと示すでしょう。そして、私が、悲劇に見舞われた仲間を庇い、暴走した橘陽菜を、皆の前で『断罪』するのです」
それは、陽菜のこれまでの努力と名声を、一瞬で地に叩き落とすための、悪魔的な脚本だった。
権三は、その計画を聞いて、満足げに頷いた。
「ふむ……。悪くない。クリスティーナ・エルロード嬢も、自分の友人が引き起こした『不祥事』とあっては、強くは出れまい。むしろ、被害者である我々に同情するやもしれん。よく考えたな、翔」
「ありがとうございます、父上。全ては、伊集院家のために」
「うむ。その計画、私も一枚噛ませてもらおう。被害者役の生徒の『治療』と『その後のケア』は、こちらで手配してやる。口封じも、完璧にな」
父親の言葉は、ただの傷害事件では終わらせない、という含みを持っていた。
「役目を終えた駒は、速やかに盤上から消すのが定石だからな」
親子は、顔を見合わせ、邪悪な笑みを浮かべた。
彼らにとって、他人の人生など、自分たちの目的を達成するための駒に過ぎない。
「役者は揃った。あとは、舞台の幕が上がるのを待つだけだ」
翔は、高級な赤ワインのグラスを傾けながら、心の中で高笑いした。
(待っていろ、橘陽菜。お前が築き上げてきた全てを、この俺が、木っ端微塵に壊してやる。そして、絶望するお前の前に立ち、人々は知るだろう。この学園の真の支配者が、誰であるかをな!)
伊集院家の食卓では、一人の少女の未来を破壊するための、完璧なシナリオが静かに練り上げられていた。
そして、その舞台には、彼らがまだ存在すら知らない、銀髪の「規格外」と、電子の海に潜む「魔女」が乱入することになるなど、誰も予想していなかった。




