第31話:特例参加と守りたい日常
アリアとしての僕の夜間クラス通いが始まり、数日が過ぎた。
昼間は陽菜が、夜は僕が同じ校舎に通うという、奇妙な二重生活。
伊集院たちの悪意が迫っていることなど露知らず、陽菜は充実した毎日を送っていた。学年トップの成績を維持し、戦闘訓練でも頭角を現し、クリスティーナ主催の昼食会もすっかり定着した。彼女の周りには、いつも友人たちの明るい笑い声が響いている。
その日の昼下がり。
僕は陽菜が学校へ行っている時間を利用し、簡単な依頼の報告のためにギルドを訪れていた。
「あら、アリア様! お疲れ様です! あ、あの、ご報告が! 先日設立されたアリア様ファンクラブですが、会員数がついに50名を突破いたしました!」
カウンターにいたセラが、興奮気味に報告してくる。
「……そうか」
(ファンクラブ……。まだ活動していたのか……)
僕が内心で頭を抱えていると、奥からギルドマスターが顔を出した。
「アリアか。ちょうどいい、少し執務室まで来い」
「……面倒事か」
「お前の場合は、息をしているだけで面倒事を引き寄せるだろうが」
相変わらずの軽口を叩かれながら、僕は執務室のソファに腰を下ろす。
ギルドマスターは、一枚の書類をテーブルに置いた。それは『壁外合同演習実施要項』だった。
「来週末、防衛高校で大規模な合同演習が行われる。お前にも、参加してもらう」
「断る。僕は入学したばかりだ。対象外だろう」
即答する僕に、ギルドマスターはニヤリと笑った。
「残念だったな。お前はただの編入生じゃない。筆記満点、実技で測定器を粉々にした『特待生』だ。学校側が、お前の実力を正確にデータ化したいと息巻いている。いわば、実力測定を兼ねた『特例での強制参加』だ。ギルドが身元を保証している手前、断ることはできん」
「……俺の意思はどこにあるんだ」
「規格外に生まれた自分を呪うんだな。まあ、悪いことばかりでもないだろう。お前の『お母さん』も参加する。近くにいてやれるだけ、安心じゃないか?」
からかうような口調だが、その目には僕たちを気遣う色が浮かんでいた。
「……わかった」
僕は、渋々頷くしかなかった。
家に帰ると、リビングには僕が淹れたコーヒーの香りが漂っていた。やがて、玄関のドアが開き、陽菜が元気よく帰ってくる。
「ただいまー、蓮!」
「おかえり、陽菜」
その夜、夕食を終えた僕たちは、いつものようにリビングでくつろいでいた。陽菜が、少し緊張した面持ちで切り出す。
「ねえ、蓮。来週末から、壁外演習なんだ」
「ああ。俺も参加することになった」
「えっ!? 本当に!? やったー!」
僕の言葉に、陽菜は満面の笑みを浮かべた。
「よかった……! 蓮も一緒なら、心強いよ!」
「特例参加らしい。面倒だが、仕方ない」
「もう、そんなこと言って! とにかく、二人で参加できるんだから、お互い絶対に無茶はしないこと。約束だからね!」
「ああ、約束だ」
陽菜の心配が、少しだけ僕に向いたことに安堵しながら、僕は頷いた。
陽菜は僕の背中をマッサージでほぐしてくれた後、風呂場へと向かった。
そして、お決まりの攻防が始まる。
湯船に浸かり、一日の疲れを癒していた僕の耳に、陽菜の明るい声が届く。
「れーん! 髪、洗ってあげるから早く!」
「……もう、慣れてきたから一人で大丈夫だ」
脱衣所から聞こえる僕の返事に、陽菜は「だーめ!」とドアを少しだけ開けて抗議する。
「私がやりたいの! それに、蓮の髪、すっごく綺麗なんだから、私がちゃんとケアしないと!」
もはや、理論ではなく、彼女の願望になっていた。
結局、その日も僕は陽菜に髪を洗ってもらうことになる。シャンプーの甘い香りと、陽菜の楽しそうな鼻歌。すぐ隣に感じる彼女の体温。
(……心臓に悪い)
僕は、羞恥心と、抗いがたい心地よさの狭間で、複雑な気持ちになりながら、ただ目を閉じるしかなかった。
「はい、おしまい! 綺麗になったね!」
満足げに僕の髪を洗い終えた陽菜は、先に湯船へと戻っていく。
「蓮も、ちゃんと温まるんだよ。合同演習、一緒だからね。お互い、絶対に油断しちゃだめだよ」
「……ああ」
何気ない会話。当たり前の日常。
だが、この日常こそが、僕にとって、何よりも守りたい宝物なのだと、改めて実感していた。
壁外演習――そこは、常に不測の事態が起こりうる場所だ。最近、目覚ましい成長を遂げている陽菜が、無理をして危険な目に遭わなければいいが……。
僕は、胸の内に生まれた漠然とした不安を打ち消すように、少し熱めの湯に、深く身体を沈めた。




