第29話:アリアのスペック、想定外
陽菜先生による『蓮くん、ニート脱却(?)計画』が始まってから、数日が経過した。
僕の生活は一変したが、アリアの身体が持つ驚異的な記憶・情報処理能力のおかげで、受験勉強は驚くほど順調に進んだ。むしろ、僕に教えるために必死になっている陽菜の方が、よっぽど受験生の様に見えた。
そして、運命の試験当日。
「蓮! 絶対に合格してきてよね! 私が教えたんだから、満点以外は認めないからね!」
玄関で見送る陽菜は、なぜか僕以上に緊張し、そして燃えていた。
「……お前に言われなくても、受かる」
僕は呆れながらも、彼女の応援を背に、アリアとして防衛高校の試験会場へと向かった。もちろん、フードにマスク、サングラスの完全防備スタイルだ。
筆記試験は、僕にとってあまりにも簡単すぎた。アリアの脳は、超難問ですら瞬時に解答を導き出し、僕は試験時間が半分以上余った段階で、全ての解答を終えてペンを置いた。周囲の受験生たちの「もう終わったのか!?」という驚きの視線を感じながら、静かに教室を後にする。
問題は、次の実技試験だった。
試験官が指示したのは、訓練場に設置された、特殊合金製の強度測定器への打撃だった。試験官は、いかにも古参といった雰囲気の、筋骨隆々の男だ。
「受験者アリア! その測定器を、全力で殴打せよ! 合格ラインは、Cランク冒険者の平均値だ!」
「……壊れてもいいのか?」
僕が尋ねると、試験官は僕の小柄な体格と怪しい服装を見て、侮るように鼻で笑った。
「はっはっは! 威勢のいいことだ! いいか、小娘! この測定器は、Sランク冒険者の全力の一撃にすら耐えられる代物だ! 貴様のようなひよっこに、傷一つつけられるものか! 壊せるものなら壊してみろ! もし、万が一にも傷がつくようなことがあれば、わしが全責任を取ってやる! だから、気兼ねなくぶっ叩け!」
(……じゃあ、いいのか)
試験官のその言葉で、僕の中の最後の枷が外れた。
僕は、測定器の前に立つ。
深呼吸を一つ。身体強化スキルを発動させる。
周囲の空気が、ピリッと震えた。足元の砂利が、僕が発するエネルギーに反発するように、小さく跳ねる。
僕は、ただ、まっすぐに拳を突き出した。何の変哲もない、ただのストレート。
だが、アリアの身体能力と身体強化スキルが乗ったその一撃は、もはや凶器を超えた「現象」だった。
ゴォンッ!!!!
凄まじい轟音というよりは、空間そのものが軋むような、鈍い衝撃音。
次の瞬間、特殊合金製の測定器は、まるで風船が弾けるかのように、内部から破裂した。衝撃波が周囲に広がり、見ていた受験生たちが「うわっ!」と顔を覆う。
後に残されたのは、土台からひしゃげ、粉々になった金属の残骸だけだった。
「…………」
試験会場が、水を打ったように静まり返る。
試験官も、他の受験生たちも、口をあんぐりと開けて、測定器だったものの残骸と、僕の小さな拳を交互に見ている。
「……壊れた、かな」
僕はそう呟くと、何事もなかったかのように、その場を後にした。
その頃、校長室。
銀縁の眼鏡をかけた、知的な雰囲気の女性――防衛高校の校長・霧島レイカは、手元のモニターに映し出された試験結果を見て、優雅に組んでいた脚を組み替えた。
「筆記試験、満点。しかも、歴代最高速度での解答終了……。まあ、世の中にはこういう天才もいるものね。それで、実技の方はどうだったかしら?」
隣に控えていた秘書が、震える声で報告する。
「は、はい……。それが……測定器が、その……爆発、しまして……」
同時刻、訓練場の隅。
実技試験の様子をモニターで監視していた、戦闘教官の一人、鬼塚剛は、その筋骨隆々の身体をわなわなと震わせていた。
「……ば、化け物か、あいつは……」
画面には、粉々になった測定器と、涼しい顔で立ち去るアリアの姿が映っている。
鬼塚は、恐怖と、それ以上の指導者としての興奮に目をギラつかせた。
「……こ、こいつは……! なんて逸材だ! まさに、歩く災害! 是非とも、日中の腑抜けた連中にも、こいつの『指導』で本当の恐怖というものを教えてやらねば……!」
彼の頭の中で、アリアを「特別教官(という名の動く的)」として、昼間部の生徒たちの訓練に強制参加させる、恐ろしい作戦が立案され始めていた。
数日後。
ギルドマスターの執務室に呼び出された僕は、彼から一枚の合格通知書を手渡された。
「……アリア。お前、一体何をした?」
ギルドマスターの顔は、呆れと面白さが半分ずつ混ざったような、複雑な表情をしていた。
「筆記試験は、歴代最高得点で文句なしのトップ。実技試験では、創立以来一度も壊れたことのなかった最新式の測定器を、一撃でスクラップにしたそうじゃないか」
「……責任は取ると、言われたからだ」
「限度というものを知らんのか、お前は……」
彼は、大きなため息をついた。
「まあ、いい。結果、お前は防衛高校夜間特別クラスに、『特待生』として合格した。授業料は全額免除、さらに、ギルドからの推薦枠として、特別研究費まで支給されるそうだ」
「……特待生? そんなのあるのか?」
「普通はない! だが、お前のような規格外を前にして、学校側も異例の措置を取るしかなかったんだろう! 校長の霧島先生から、直々に『ぜひ、我が校へ』と連絡があったぞ。お前を野放しにするより、学校の管理下に置いておきたい、という思惑もあるだろうがな!」
こうして、僕はまたしても、自分の意思とは関係なく、とんでもない形で注目を集め、そして「特待生」という新たな称号を得てしまった。
来週から始まる、アリアとしての学園生活。
陽菜は「やったね、蓮! これで毎日一緒だ!(夜だけだけど)」と大喜びしているが、僕の胃は、今からキリキリと痛み始めている。
平穏な日常は、一体どこにあるのだろうか。




