第18話:指名依頼と甘い誘惑
翌朝、陽菜に見送られ、冒険者ギルドに到着した僕は、早速、依頼完了の報告カウンターでブルックたちの怒声に迎えられた。
僕が足を踏み入れた途端、すでにカウンターに陣取っていたブルックが、こちらに気づいて手招きする。
「おう、アリア! ちょうどいいところに来た!」
そして、彼は再びカウンターに向き直り、受付のセラを問い詰めていた。
「だから、ギルドマスターを呼べって言ってんだ! 今回の依頼、どういうことか説明してもらおうじゃねえか!」
ブルックの怒声が、ホールに響き渡る。
「飛竜の生態調査だと? 蓋を開けてみりゃ、Aランク級の討伐任務だ! しかも三頭だぞ! 俺たちが死んでも、ギルドは知らんぷりだったってわけか!」
彼の隣で、ジンも腕を組んで鋭い視線をカウンターに向けている。昨日とは打って変わって、ギルドに対する怒りを隠そうともしない。
「うわー……。冒険者、怒らせると迫力あるな……」
僕は、その剣幕に内心ビクビクしながらも、それを悟られぬよう、カウンターから少し離れた場所で腕を組み、クールな立ち姿を装っていた。実際は、ただ固まっているだけだ。
そんな僕の様子を、受付嬢のセラたちは遠巻きに見て、ひそひそと囁き合っていた。
「見て、アリア様……。荒ぶるブルックさんたちの前でも、全く動じてないわ……」
「なんてクールなのかしら……! まるで、嵐の中の灯台みたい……!」
「昨日から、ファンクラブの会員が30人を超えたらしいわよ……!」
(……ファンクラブ?)
僕の知らないところで、何やらアイドル化計画のようなものが進行しているらしい。今はそれどころじゃないが。
やがて、奥から姿を現したギルドマスターは、ブルックたちの剣幕にも全く動じることなく、余裕の表情を浮かべていた。
「まあまあ、ブルック。落ち着け。お前たちが無事に戻ってこれたのが、何よりの証拠だろう?」
「そういう問題じゃねえ!」
「報酬は弾んだはずだ。それに、今回はエルロードのお嬢様のご意向だ。俺としても、断れる立場ではなかった。その代わり、最高の護衛として、お前たちと……アリアをつけた。結果、全員生還。何の問題がある?」
ギルドマスターが理路整然とブルックをいなし、なんとかその場を収めようとしている。そのやり取りは、しばらく続いた。
ようやくブルックたちが矛を収め、カウンターが落ち着きを取り戻した頃。
ギルドマスターは、疲れたように大きなため息をついた。
「……まったく、嵐のような連中だ」
彼は僕に気づくと、少しだけ顔をしかめて手招きした。
「ああ、そうだ……アリア、お前にも話がある。こっちへ来てくれ」
僕は、何か厄介事の予感を感じながら、彼の後についていく。
「お前に、指名依頼が来ている。……指名依頼という名の、招待状がな」
ギルドマスターは、僕を再び執務室へと連れて行った。
彼はテーブルの上に、一枚の豪奢な封筒を置いた。エルロード家の紋章が、金色の蝋で封をされている。
「今朝、エルロード家の執事がこれを持ってきた。クリスティーナ嬢から、お前への『ご招待』だそうだ」
「……内容は?」
「明後日、エルロード邸で開かれるティーパーティーへの参加要請だ」
「断る」
僕が即答すると、ギルドマスターは「だろうな」と肩をすくめた。
「だが、聞いてくれ、アリア。これは、ギルドにとってもお前にとっても、悪い話じゃない」
彼は椅子に深く腰掛け、説得を始めた。
「……というわけだ。頼むから、受けてやってくれ。あのお嬢様のご機嫌を損ねると、後が面倒なんだ……」
「……」
「まあ、そう言うな。ただ、お茶と美味い菓子を食うだけだ。護衛もつける。悪いようにはせん」
ギルドマスターが差し出してきたのは、王都でも有名な高級店の焼き菓子だった。バターの甘い香りが、僕の鼻腔をくすぐる。
(……気は、進まない)
だが、僕の脳裏に、斎藤蓮だった頃の記憶が蘇る。甘いものには目がなかった。特に、こういう高級な菓子は、滅多に口にすることができなかった。
アリアの身体は、甘味を欲しているわけではない。だが、僕の魂が、意識が、目の前の焼き菓子に強く惹きつけられている。
(……お茶会に行けば、これが食べられる、のか……?)
僕は、しばらく葛藤した。
冒険者としての矜持。面倒なことへの嫌悪感。そして、抗いがたいスイーツへの欲求。
天秤が、ゆっくりと後者へ傾いていく。
「……わかった。じゃあ、まあ……受ける」
僕が渋々(しかし内心少しワクワクしながら)了承すると、ギルドマスターは心底安堵した顔になった。
「そうか! 助かる! 頼んだぞ、アリア!」
こうして、僕はギルドの力関係と、自身のささやかな食欲によって、クリスティーナのお茶会に参加することが決定した。
飛竜との戦いよりも、遥かに未知数な戦場へ赴くことが。
僕は執務室を後にしながら、明後日のティーパーティーで出されるであろうケーキやクッキーに、少しだけ思いを馳せていた。




