第17話:ただいま、陽菜の待つ部屋へ
リムジンが防護壁の内側に戻り、エルロード商会の地区でクリスティーナたちと別れた後、僕はふらつく足で陽菜の待つアパートの方向へと歩き出した。
サポート護衛のブルックとジンが「アリア、家まで送るぜ」と心配してついてきてくれたが、アパートが見える数ブロック手前の角で、僕は彼らを呼び止めた。
「ありがとう。ここまででいい」
「おいおい、顔色が紙みたいだぜ? 本当に大丈夫か?」
「ああ。ここからは一人で帰れる」
これ以上、僕のねぐらに近い場所を知られるのは避けたかった。居場所の秘匿は、基本中の基本だ。
訝しげな顔をする二人だったが、僕が頑として譲らないのを見て、やれやれと肩をすくめた。
「わかったよ。だが、無茶はすんなよ。お前さんは、もう俺たちのパーティーの大事な『臨時メンバー』なんだからな」
ブルックはそう言うと、ニッと笑って去っていった。彼らなりの気遣いなのだろう。
二人の姿が見えなくなってから、僕は周囲を警戒し、陽菜の待つアパートへと滑り込んだ。
ガチャリ、と鍵を開けて部屋に入った瞬間、僕の身体を支えていた最後の気力が、ぷつりと切れた。
「……ただいま」
か細い声を絞り出し、僕は玄関に倒れ込むようにへたり込んだ。
「蓮!? おかえり! って、きゃあ! 大丈夫!?」
奥の部屋から駆けつけてきた陽菜が、僕の姿を見て悲鳴を上げる。
「すごい疲れた……。もう、一歩も動けない……」
「もう、無茶ばっかりして! とにかく、早く中に入って!」
陽菜は、僕の腕を自分の肩に回し、半ば引きずるようにして部屋の中へと運んでくれた。そのままリビングのソファにどさりと下ろされる。
僕は、泥のように重い身体をソファに預け、浅い息を繰り返すことしかできなかった。
「ひどい顔色……。それに、服もドロドロじゃない。ちょっと待ってて、今お風呂の準備するから!」
陽菜はそう言うと、パタパタと忙しなく走り回り始めた。
僕がぼんやりと天井を眺めていると、やがて陽菜が戻ってきて、僕の前に屈み込んだ。
「蓮、立てる? 私が服、脱がせるの手伝うから」
「……え」
「え、じゃないでしょ! そんなフラフラで、一人でできるわけないじゃない! ほら、腕上げて!」
陽菜は有無を言わさぬ口調で言うと、僕のパーカーに手をかけた。その顔は、心配で真剣そのものだ。
僕に抵抗する力は残っていない。されるがままに、パーカーとインナーを脱がされ、汗で汚れた身体を、陽菜が温かいタオルで優しく拭いていく。
「もう……こんなにボロボロになって……。本当に、心配したんだからね……」
その手つきは、本当に僕を気遣う、優しいものだった。だからこそ、僕は何も言えなくなってしまう。
陽菜のシャンプーの甘い香りが、すぐ近くで香る。ドキドキと、心臓が少しだけ速くなるのを感じた。
風呂から上がり、陽菜の作ってくれた温かいシチューで人心地がついた後、僕はソファでぐったりと横になっていた。
「蓮、こっち向いて」
陽菜が僕の背後に座り、僕の肩にそっと手を置いた。
「え?」
「マッサージ。筋肉、ガチガチでしょ。身体強化の反動って、そういうのでしょ?」
「……なんで知ってるんだ」
「前に、授業で習ったもん。少しでも、楽になるようにしてあげる」
陽菜はそう言うと、僕の肩を優しく揉み始めた。
彼女の小さな手は、驚くほど的確に凝り固まった筋肉のツボを捉え、ほぐしていく。
「……うまいな、陽菜」
「ふふん、でしょ? お母さんの肩も、いつもこうやって揉んであげてるんだから」
温かい手のひらから伝わる体温と、心地よい刺激に、僕の身体からどんどん力が抜けていく。意識が、気持ちよさで溶けてしまいそうだ。
陽菜は、僕がリラックスしているのを感じ取りながら、少しだけ嬉しそうにマッサージを続けていた。
やがて、肩から背中、そして腕へとマッサージは進んでいく。
「……陽菜」
「ん?」
「……ありがとう」
僕が素直に礼を言うと、陽菜の手が一瞬だけ止まり、そして、さらに優しく僕の身体をほぐし始めた。
「どういたしまして。蓮が、毎日無事に帰ってきてくれれば、私はそれでいいんだから」
その夜、僕は陽菜の献身的な看病のおかげで、久しぶりに心の底から安らかな眠りにつくことができた。




