第16話:リムジンの中の寝顔と、それぞれの思惑
帰りのリムジンの中は、行きとは打って変わって重苦しい、それでいて奇妙な熱を帯びた空気に包まれていた。
重戦士のブルックは、未だ興奮冷めやらぬといった様子で、腕組みをしながら窓の外を睨んでいる。
「……信じられねえ。まさか、飛竜が三頭もいやがるとはな。ギルドの情報はどうなってやがる。帰ったら、ギルドマスターにきっちり文句を言ってやらねえと気が済まねえぜ」
彼の不満はもっともだった。生態調査のはずが、蓋を開ければAランク級の討伐任務に匹敵する危険度だったのだ。
隣に座る斥候のジンは、ブルックとは対照的に、静かな目で僕――アリアを見ていた。
「それよりも、だ。あんた、一体何者なんだ? あの動き、素人がいくら訓練したって身につくもんじゃねえ。それに、最後の消耗具合……何か、特別な力でも使ってんのか?」
鋭い指摘だ。僕はフードの下で、どう答えるべきか思考を巡らせる。
だが、僕が口を開くより先に、クリスティーナが割って入った。
「やめなさい、ジン。アリアは、わたくしの恩人ですわ。その方が話したくないことを、無粋に詮索するものではありません」
凛とした声だった。彼女は、静かに僕を庇うように、ジンを制した。
そのクリスティーナ自身も、先ほどまでの高揚感は薄れ、今は窓の外をぼんやりと眺めている。脳裏には、先ほどの凄惨な光景が焼き付いているのかもしれない。
そして僕は――限界だった。
三度の全力の身体強化は、僕の生命エネルギーを根こそぎ奪い去っていた。全身を襲う、泥のような倦怠感。思考がうまくまとまらない。強烈な眠気が、意識の淵を曖昧にしていく。
(まずい、意識が……)
抗おうとするが、まぶたは鉛のように重かった。
クリスティーナが、僕の異変に気づいたようだった。
「アリア? 顔色が悪いですわよ。少し、休んだ方が……」
彼女の声が、だんだんと遠くなっていく。
「……すみません。少し、休みます……」
それが、僕が絞り出せた最後の言葉だった。
もう、クールを装う余裕すらなかった。身体がゆっくりと傾ぎ、柔らかな革張りのシートに深く沈み込んでいく。やがて、規則正しく、静かな寝息だけが僕の口から漏れ始めた。
「……おいおい、寝ちまったのかよ」
ジンが呆れたように言う。
クリスティーナは、突然眠りに落ちた僕の姿に、一瞬、目を丸くした。そして、その白い頬が、ぽっと赤く染まった。
彼女は、音を立てないように、そっと僕の寝顔を覗き込む。
フードが少しずれて、銀色の髪が数本、こぼれ落ちている。フェイスマスクとサングラスで顔のほとんどは隠れているが、安らかな寝息を立てるその姿は、先ほどまでの超人的な強さが嘘のように、無防備で、そして……小さく見えた。
「……」
クリスティーナが、うっとりとした表情で僕の寝顔を見つめ、思わずそのサングラスに手を伸ばしかけた、その時。
「お嬢様」
静かな声と共に、セバスチャンがすっと一枚の上質なブランケットを差し出した。
「アリア様は、相当お疲れのご様子。風邪など召されぬよう、こちらを」
「え、ええ。そう……ですわね」
クリスティーナは我に返り、少し慌てたようにブランケットを受け取ると、僕の身体に優しくかけた。
セバスチャンは、さらにクリスティーナの耳元で囁く。
「お嬢様。淑女の仮面が、少々剥がれかかっておりますぞ」
「はっ……!」
クリスティーナは顔を真っ赤にして、ごまかすように声を張り上げた。
「セ、セバス! ブルックさんとジンさんにも、紅茶を差し上げてちょうだい!」
プロの執事による完璧なフォローの後、車内は再びそれぞれの思惑が渦巻く、奇妙な静寂に包まれた。
ブルックは、今回の無茶な依頼への不満をぶつぶつと呟きながらも、眠る僕の姿を横目で見ては「……だが、大したもんだ」と小さく漏らしている。
ジンは、僕の正体への探求心を隠そうともせず、探るような視線を向けてくる。
そしてクリスティーナは、僕の寝顔から視線を外せずにいた。
彼女の脳内は、アリアのことで、すっかりいっぱいになっていた。
先ほどの恐怖も、冒険の興奮も、今はもうどこかへ消え去っている。
(この華奢な身体のどこに、あれほどの力が……。そして、この安らかな寝顔……。ああ、アリア……なんてミステリアスで、そして……愛らしい方……!)
先ほどまでの畏怖は、いつの間にか庇護欲にも似た、温かい感情へと変わりつつあった。
(お茶会……。ええ、必ず開きますわ。その時は、この方のことを、もっともっと知らなくては……。ああ、そうだわ。この感動、わたくしだけのものではもったいない。友人たちにも、この素晴らしい方のことを分かち合わねばなりませんわね!)
クリスティーナは、新たな決意を胸に、うっとりとした表情で僕の寝顔を見つめ続けた。
眠っている僕自身は、自分がとんでもない有力者に目をつけられ、かつ新たな厄介事の種を蒔いてしまったことなど、夢にも知る由もなかった。




