第134話:鬼神の告白
交流戦の熱狂がまだ微かに残る、夕暮れの訓練施設。
陽菜とクリスティーナに両肩を支えられ、医務室を出る。消毒液の匂いが鼻をついた。軋む身体は鉛のように重いが、不思議と心は澄み渡っていた。
ひんやりとした廊下の先に、人影があった。
壁に背を預け、腕を組んで立つ男。黒鉄リュウジだ。
仲間たちの姿はなく、ただ一人、静かに僕たちを待っていた。
陽菜とクリスティーナが、僕を庇うようにすっと前に出る。空気が張り詰めた。
「……話がある」
リュウジは僕たちの警戒など意にも介さず、静かに告げた。その声には昨夜の刺々しさは消え、ひどく落ち着いた響きだけが残っていた。
人気のない談話室。
窓から差し込む夕日が床に長い影を落とし、空気中の埃をきらきらと照らしている。僕たちは再び、窓際のテーブルで彼と向かい合った。いつの間にか、リリィが僕の膝の上で小さく丸まっている。
リュウジはしばらく、窓の外の茜色に染まる空を眺めていたが、やがて重い口を開いた。
「……俺たちの負けだ」
潔いその一言に、僕たちは誰も言葉を返せなかった。
「個の強さだけを信じてきた。馴れ合いは弱さだと。……だが今日、お前たちを見て、それが全てじゃないと思い知らされた」
彼は口の端を歪め、自嘲するように息を吐く。
「……お前を最後に奮い立たせたのは、あの声援だったな。俺たちの拠点に、もうあんな声はない」
光を失った横顔に、鬼神の面影はなかった。そこにいるのは、深い苦悩に沈む、年若い男の姿だけだ。
「……リュウジさん」
陽菜がたまらず声をかけると、リュウジは穏やかな目を彼女に向け、本題を切り出した。
「俺たちが本当にこの第七区画に来た理由を話す」
彼はテーブルに一枚のタブレットを滑らせた。起動したスクリーンに映し出されたのは、物理法則を無視して蠢く黒い影――僕たちもよく知る『影の怪異』だった。
「一ヶ月ほど前から、こいつらが俺たちの拠点の壁外に現れ始めた」
リュウジの声が低く沈む。
「通常の兵器はほぼ通じない。倒しても魔石を残さず、正体も目的も不明だ。……俺たちはじりじりと削られている。防衛線は日に日に後退し、街は絶望の影に覆われ始めている」
あまりに重い告白に、背筋を冷たい汗が伝った。膝の上のリリィが、喉の奥でグルル、と低く唸る。
「俺たちは情報を探していた。この正体不明の脅威に対抗する、何か手がかりを」
リュウジは僕と、そして膝の上のリリィを真っ直ぐに見つめた。
「そんな時、お前たちの噂を聞いた。銀髪の英雄と、その側にいる謎の黒猫」
彼の鋼の瞳が、僕たちを射抜く。
「……あの猫。リリィ、と言ったか。……そいつは何かを知っているんじゃないか? そしてアリア。お前のその力は……ひょっとしたら、あの『影』を浄化できるんじゃないか、と」
友好や牽制ではない。
滅びゆく故郷を救うための、藁にもすがるような希望。そのために彼はここへ来たのだ。
僕たちの街だけの問題ではない。この星に生きる全てが、巨大な脅威に直面している。
その紛れもない事実が、鉛のように重くのしかかってきた。茜色の光が消えゆく談話室を、新たな戦いの始まりを告げる沈黙が支配していた。




