第14話:一撃の騎士とツンデレお嬢様
風切り谷へと続く道は、岩と低い灌木が点在する荒野だった。時折、風に乗って遠くから正体不明の鳴き声が聞こえてくる。
斥候のジンが先行し、周囲の気配を探っていたが、やがて彼は足を止め、僕たちに合図を送った。
「前方、50メートル。ロックリザードが3体」
Dランク相当の、岩のような皮膚を持つトカゲ型の怪異だ。集団で獲物を襲う厄介な相手でもある。
クリスティーティーナが、期待に満ちた目で僕を見た。
「アリア、あなたの腕前、見せていただく機会が早速訪れたようですわね」
「……飛竜以外は、倒しても?」
「ええ、もちろん。わたくしの護衛なのですから、好きになさって」
彼女は優雅に言い放つ。
僕は短く「了解」と返すと、ジンとブルックに目配せした。
「ここは僕がやる。二人はお嬢様から離れるな」
ブルックは無言で頷き、ジンの隣に立ってクリスティーナの前に壁を作る。
僕は地面を蹴った。
身体強化は最小限。燃費を考え、急所への一撃のみに全てを懸ける。
三体のロックリザードが、僕の存在に気づき、威嚇の声を上げる。そのうちの一体が、長い舌を鞭のようにしならせて襲い掛かってきた。
僕はそれを最小限の動きで躱し、懐へ。すれ違いざま、ナイフを閃かせた。狙いは、硬い皮膚で覆われていない、首の付け根の急所。
サクッ、と肉を断つ鈍い音が響き、一体目が声もなく崩れ落ちる。
仲間がやられたことに気づいた残りの二体が、左右から同時に飛びかかってきた。
僕はその場で身を沈め、二体の攻撃を交差させるように誘導する。ロックリザード同士が空中でぶつかり、一瞬動きが止まった。
その隙を、逃さない。
跳躍し、空中で身体を回転させながら、二体の眉間に寸分違わずナイフを突き立てる。魔石が砕ける感触が、手に伝わった。
着地した僕の後ろで、二体の怪異がどう、と音を立てて倒れる。
戦闘は、ほんの十数秒で終わった。
「……」
ジンとブルックは、僕の動きに言葉を失っている。
そして、クリスティーナは――その白い頬を微かに染め、金色の瞳を潤ませ、恍惚とした表情で僕を見つめていた。
「……あら」
彼女はハッと我に返ると、咳払いを一つして、扇子で口元を隠した。
「どうやら、噂は誇張されているわけではなさそうですわね。その調子で、わたくしをしっかりと守りなさいことよ」
その声は、先ほどまでの高圧的な響きとは少し違い、どこか甘く、上ずっているように聞こえた。
その後も、道中では何度か怪異に遭遇したが、僕は全て急所への一撃で、省エネを心がけながら片付けていった。そのたびに、クリスティーナからの熱っぽい視線が突き刺さり、僕は居心地の悪さを感じながら旅を続けた。
やがて、僕たちは開けた草原に出た。崖の上からは、目的地の風切り谷が見下ろせる。
クリスティーナが、少しだけ丁寧な口調で提案してきた。
「ここなら見晴らしもよろしいですし、飛竜が来るまで、一休みいたしませんこと?」
彼女が合図をすると、いつの間にか後方から追いついていた執事のセバスチャンが、手際よく豪華なピクニックシートを広げ、紅茶の準備を始めた。
「さあ、アリアもこちらへ。わたくしが淹れたとっておきの紅茶ですわ」
クリスティーナに誘われたが、僕は護衛の立場を崩さず、近くにあった手頃な石に腰を下ろした。
「僕はここでいい」
「むっ……!」
僕の態度に、クリスティーナはあからさまに頬を膨らませる。だが、彼女は諦めなかった。
「セバスチャン! わたくしも、あちらで休みますわ!」
そう言うと、彼女は自分のティーカップを手に、タタタッと駆け寄り、僕のすぐ隣の石にちょこんと腰を下ろした。
「……」
逃げるわけにもいかず、僕は内心で天を仰いだ。
「このお茶は、東方の国から取り寄せた『白銀の雫』という茶葉でしてよ。香りも素晴らしいのですけれど、お茶請けには、王都で有名なパティスリー『妖精の梯子』のマカロンが合いますの。あなたも、一緒にいかがかしら?」
彼女がうきうきとお茶やお菓子の話をしている間も、僕の意識は常に周囲の警戒に向けられている。ここは壁の外の危険地帯だ。いつ何が起きてもおかしくない。
(……この状況、非常にまずい)
僕はサングラスの下で、ピクニックシートの傍らに控える執事セバスチャンに、鋭い視線を送った。
(おい、執事。あんたのところのお嬢様をなんとかしろ。ここはピクニック会場じゃないんだぞ!)
僕の無言の、しかし切実なサインを、プロフェッショナルな執事は完璧に受信したらしい。
セバスチャンは優雅に一礼すると、クリスティーナのもとへ歩み寄った。
「お嬢様。アリア様は、今は護衛任務の真っ最中でございます。お話は、街に戻られてから、改めてゆっくりとお茶会でも開かれてはいかがでしょうか?」
完璧なフォロー。だが、その内容は僕が望んだものとは少し、いや、かなりズレていた。
「!! ちっがーう!」(僕の心の声)
確かに今はしのげるが、未来に特大の厄介事を予約されただけだ。
僕は心の中で絶叫した。
「……仕方ありませんわね」
クリスティーナは唇を尖らせ、不満そうに呟くと、名残惜しそうにしながらもピクニックシートへと戻っていった。去り際に、僕にだけ聞こえる声で「お茶会、楽しみにしておりますわよ」と囁くのを、僕は聞き逃さなかった。
これから飛来するであろう飛竜よりも、このお嬢様との「お茶会」の方が、よっぽど生存率の低い高難易度クエストに思えて、僕は深く、深いため息をつくしかなかった。




