第133話:絆という名の、刃
「――終わりだ」
黒鉄リュウジの無慈悲な声が、凍てつく刃のように鼓膜を刺した。
薙ぎ払われた漆黒の太刀が、死神の鎌となって空間を裂く。風切り音すら聞こえない。殺気だけが密度を増し、俺の呼吸を、思考を、未来を奪い去ろうとしていた。
がら空きになった胴。迫りくる鋼の閃光。
時間の流れが引き伸ばされ、一秒が永遠に感じられる。
(……ここまで、か)
血の気が引き、指先が氷のように冷えていく。
脳裏に浮かんだのは、陽菜の泣き顔だった。守ると誓った、あの笑顔を、俺は――。
諦念が、魂を黒く塗りつぶしかけた、その刹那。
「――蓮っ!! 頑張れーーーっ!!」
世界を揺るがすような絶叫が、俺の魂を鷲掴みにした。
陽菜だ。
観覧席の最前列から身を乗り出し、喉が張り裂けんばかりに、その生命の全てを叫びに変えて、俺に届けてくれていた。
その声が、引き金だった。
「アリア様ー!」
「アリアさん! 負けないで!」
「……アリア」
「意地を見せろ、アリア!」
クリスティーナの鋭い声援が、友人たちの必死の祈りが、リリィの静かな呟きが、ブルックの魂の檄が、次々と降り注ぐ。
仲間たちの声。
それは光の粒子となり、砕け散った俺の闘志を繋ぎ合わせ、冷え切った血管に奔流となって駆け巡った。
止まりかけていた心臓が、再び力強く脈打つ。
チカチカと明滅していた視界が、鮮烈な色彩を取り戻す。
(……ああ、そうか)
絶望の淵で、俺の口角は確かに上がっていた。
(俺は、一人じゃなかったんだ)
リュウジの刃が、俺の服を焦がすほどの距離に迫る。
最後の賭けだ。
避けない。
その死の軌道へと、逆に、自ら身を投じた。
脳裏に灼きつくのは、陽菜と汗にまみれた特訓の日々。
あの光輝く『陽光の盾』。ただ防ぐのではない。相手の力を殺さず、受け流し、捻じ曲げ、自らの力へと変換する光の理。
ミスリルナイフを刹那の盾とし、リュウジの刃と激突させる。
キィィィンッ!
耳を찢く甲高い金属音と火花が散る。
腕の骨が軋み、砕けるかのような衝撃が全身を駆け抜けた。だが、歯を食いしばり、耐える。この凄まじい衝撃エネルギーこそが、俺の最後の武器だ。
くるり、と。
奴の剛力を殺さず、そのまま我が身の回転運動へと昇華させる。
独楽のように舞う身体が悲鳴を上げた。
陽菜との特訓で、血反吐を吐きながら身につけた起死回生のカウンター。
「なっ!?」
リュウジの鋼の表情が、初めて驚愕に揺らいだ。
己の力が、牙となって自分に返ってくるとは夢にも思わなかったのだろう。
だが、狙いはそれだけじゃない。
もう一つの光景が、網膜に浮かび上がる。
リリィの、予測不能な奇襲。影から影へと音もなく跳ぶ、あの幻惑の動き。
回転の勢いで、床に一瞬だけ濃い影を生み出す。
その闇の中へ、液体に溶けるように身体を滑らせた。
リリリィの『影渡り』。不完全で、稚拙な模倣。
だが、リュウジの研ぎ澄まされた認識の虚を突くには、それで十分すぎた。
「……消えた!?」
リュウジが俺の気配を見失い、わずかに硬直する。
その背後。
床の影から、まるで滲み出すように音もなく姿を現した。
そして、ミスリルナイフの柄を、奴の無防備な首筋に。
――とん、と。
ただ、軽く、触れた。
「…………」
爆発寸前だったアリーナの熱狂が、嘘のように消え失せる。音が死んだ空間。観客全員が息を止め、固唾を飲んで俺たちを見つめていた。
リュウジの首筋から伝わる、驚きに強張った筋肉の感触と、わずかな体温。
「……俺の、負けだ」
やがて、リュウジが絞り出すように呟き、ゆっくりと刀を鞘に納めた。
その横顔には、もはや俺たちを見下す傲慢さはなく、ただ静かな悔しさが滲んでいた。
――うおおおおおおおおっ!!!
次の瞬間、静寂は割れんばかりの歓声に呑み込まれた。
地鳴りのような音の洪水に包まれながら、俺は糸が切れた人形のようにその場にへたり込む。
もう、指一本動かせない。
だが、胸の奥は、仲間たちの想いで焼け付くように熱かった。
一人では、決して届かなかった一撃。
陽菜の声が、リリィの戦い方が、仲間たちの祈りが、俺をここまで導いてくれた。
これが、俺たちの第七区画の、『絆』の力。
霞む視界の中、涙でぐしゃぐしゃになりながら俺の名を叫ぶ陽菜の姿だけが、やけに鮮やかに、そして愛おしく映っていた。




