第130話:訓練(あそび)の終わり
――キィィィンッ!
耳をつんざく甲高い金属音。
濃霧を業火で溶かすように突き出された黒鉄リュウジの漆黒の刀が、陽菜の展開した『陽光の盾』に突き刺さった。激しい火花が闇に咲き、盾を持つ陽菜の華奢な腕が悲鳴を上げる。あまりに重い一撃。衝撃は盾を貫通し、彼女の内臓まで揺さぶった。
「……かはっ!」
苦鳴と共に、陽菜の身体が木の葉のように舞い、数メートルも吹き飛ばされて地面に叩きつけられる。土煙が上がり、彼女の苦しげな呼吸だけが聞こえた。
「陽菜ッ!」
俺の喉から、叫びがほとばしる。
一歩踏み出そうとした、その瞬間。
地響きと共に巨大な影が俺の視界を覆った。無骨な機械腕の大男が、まるで鉄の城壁のように立ちはだかる。
「……お前の相手は、俺だ」
感情というものが削ぎ落とされた声。
その言葉が終わるか終わらないかのうちに、鉄塊と化した拳が凄まじい風圧を伴って振り下ろされる。俺は咄嗟に地面を蹴り、身を翻した。直後、今まで自分が立っていた場所のアスファルトが、轟音と共にクレーターのように陥没する。背筋を冷たい汗が流れ落ちた。
不意に、視界を閉ざしていた霧が嘘のように晴れていく。
だが、それは罠だった。フクオカチームの巫女が術を解いたのではない。彼女の白くしなやかな指先は、すでに次なる呪詛を紡いでいたのだ。
魔力で編まれた蜘蛛の糸が、月光を浴びて妖しく煌めきながら、クリスティーナの足元に張り巡らされている。
「……しまっ!」
クリスティーナがその銀糸の罠に気づいた時には、全てが遅かった。
糸が生き物のように足首に絡みつき、彼女の誇る神速の動きを完全に封じ込める。鋼鉄の枷にも等しい束縛だった。
歯車が、噛み合わない。
いや、噛み合うべき歯車を、的確に、一つずつ破壊されている。
俺も、陽菜も、クリスティーナも、完璧に分断された。
彼らの戦い方は、俺たちが今まで経験してきたどの戦闘とも異質だった。
そこに、魂を滾らせるような派手な大技はない。
あるのは、ただひたすらに合理的で、効率的で、そして無慈悲なまでの〝解体作業〟。
視界を奪い、足を封じ、連携を断つ。そうして生まれた、心臓の鼓動一つ分にも満たない好機に、チームの最大火力を寸分の狂いなく叩き込む。それはもはや戦術ではない。血の通わぬ精密機械が実行する、冷徹な殺戮術だ。
「……っ!」
瓦礫の中から立ち上がった陽菜が、再び盾を構える。
嵐のように襲い来るリュウジの連撃を、歯を食いしばって受け止めた。火花の閃光が、彼女の苦痛に歪む横顔を照らし出す。
だが、リュウジの凍てついた双眸は、陽菜本人を捉えていなかった。
彼の漆黒の刀が、陽光の盾の表面をわざと滑る。甲高い音を立てて軌道を変えた切っ先が狙う、その先。
それは――陽菜の背後、友人たちが固唾をのんで見守る観覧席の防護ガラスだった。
――ガシャァァァンッ!!
世界から音が消えた一瞬の後、凄まじい破壊音がアリーナに響き渡った。
分厚いはずのガラスが蜘蛛の巣状に砕け散り、破片がキラキラと、残酷なほど美しく宙を舞う。
「「「きゃあああっ!」」」
ミカたちの恐怖に引きつった絶叫が、俺の耳に突き刺さった。
陽菜の顔から、サッと血の気が引いていく。その唇が戦慄き、瞳が見開かれた。
「……どうした。仲間を守るのが、お前たちの戦い方なのだろう?」
リュウジが、氷を吐き出すような声で言い放つ。
「仲間を庇えば、お前が斬られる。盾に徹すれば、仲間が傷つく。……さあ、どうする?」
それは、あまりにも残酷な二択。
俺たちの「絆」という最大の強みを逆手に取り、心を抉る最大の「弱点」へと変えてみせたのだ。
これが、彼らの言う「実戦」。
そこには正々堂々などという甘えは一片たりとも存在しない。
ただ勝利するために、生き残るために、最も有効な手段を冷徹に実行するだけ。彼らの戦いには、常に死の匂いが纏わりついている。
観覧席の生徒たちが、息を呑む。
自分たちが積み重ねてきた「模擬戦」が、いかに守られた世界での〝お遊戯〟であったかを、砕け散ったガラスの破片が見せつけていた。
陽菜の瞳が、救いを求めるように揺れる。
だが、俺もクリスティーナも、目の前の敵に釘付けにされ、指一本動かせない。
第七区画。
俺たちの戦いは今、音を立てて、完全に崩壊しようとしていた。




