第129話:開戦のベル
翌日の午後。
防衛高校の第一訓練施設は、蒸し返すような熱気と、肌を刺す緊張に満ちていた。
磨かれたアリーナを囲む観覧席は、昼間部の生徒たちで黒々と埋め尽くされている。誰もが一言も発さず、固唾を飲んで一点を見つめていた。
今日ここで、第七区画と西都フクオカの未来を懸けた戦が始まる。
「――これより、第七区画防衛高校と西都フクオカ防衛学園による、合同交流演習を開始する!」
霧島校長の凛とした声がスピーカーから轟き、施設の鋼鉄の骨組みを震わせた。
「試合形式は三人一組によるチーム対抗戦! 相手チームの戦闘続行を不可能にした時点で、勝利とする!」
号令と共にアリーナの両翼から、二つのチームがゆっくりと姿を現す。
片方は、僕たち第七区画選抜チーム。
僕、アリアを中央に、右には燃え盛る炎のような瞳をした陽菜。左には気高くレイピアを構える女王、クリスティーナ。背後から届く友人たちの「頑張れー!」という声援が、わずかに震えているのが分かった。その声が、僕たちの背中を押す。僕たちは、仲間との絆を力に変えるチームだ。
そして対面に立つ、西都フクオカ。
中央に立つのは、黒鉄リュウジ。鋼を思わせる瞳が、感情の色なく僕たちを射抜いている。
彼の両脇を固めるのは、巫女装束をまとった無表情な少女と、片腕が巨大な機械に置換された寡黙な大男。
三人の間に会話はない。視線すら交わさない。
だが、ただそこに立つだけで、一つの完璧な戦闘機械のような冷たい調和が空気を支配していた。個の強さを極限まで研ぎ澄ました者たちが放つ、絶対的なプレッシャー。
「……陽菜、クリスティーナ」
僕は喉の渇きを覚えながら、小声で二人に囁く。
「相手は強い。油断するな」
「……うん!」
「ええ。分かっておりますわ」
二人の声も、張り詰めた弦のように硬い。
向かい側で、リュウジの口元がわずかに歪んだ。
僕たちのやり取りを、馴れ合いだと嘲笑うかのように。
ジリリリリリッ!!
甲高いブザーが、試合開始を告げた。
全身の筋肉が爆ぜ、地面を蹴ろうとした、その刹那――僕は凍り付いた。
違う。
僕の思考が、僕の体が、世界から一瞬取り残される。
早い。
そんな陳腐な言葉では表現できない。僕が動き出すよりもコンマ数秒早く、リュウジの両翼が、まるでブザーが鳴ることを予知していたかのように動いていたのだ。
巫女装束の少女の指が、残像を描きながら印を結ぶ。その唇から漏れるのは、声にならない古の祝詞か。足元から生まれた濃密な魔力の靄は、生き物のように蠢きながらアリーナを飲み込み始めた。冷たい霧が肌を撫で、視界が、世界の色彩が、仲間たちの姿が、乳白色の混沌へと溶けていく。
「陽菜!クリスティーナ!」
叫ぼうとした声は、腹の底から突き上げる衝撃に掻き消された。
ゴオォォンッ!
機械腕の大男が、鋼鉄の拳をアリーナに叩きつけたのだ。
駆動音すらさせずに振り下ろされた一撃は、床を蜘蛛の巣状に砕き、凄まじい衝撃波となって僕たちを襲う。砕けた床の破片が頬を掠め、立っていることすらままならない激しい揺れに、平衡感覚が狂う。
「くっ……!」
視界はゼロ。足場は崩壊。
互いの位置すら把握できない。連携を生命線とする僕たちを、解体するためだけの、完璧な初動。
全てが、瞬き一つの間に起きた惨劇だった。
そして、僕たちが体勢を立て直そうとする、その呼吸一つ分の隙。
死の気配が、霧の向こうから突き刺さった。
ヒュッ、と空気を切り裂く音。
濃い霧を一直線に引き裂き、一筋の黒い閃光が迸る。
僕の脳が、それが刀であることを認識するより早く、その切っ先が狙う先を理解してしまった。
陽菜だ。僕たちのチームの切り込み役、その彼女がいるはずの空間へ。
キィンッ――!
鞘走りの音が、遅れて耳に届く。
黒鉄リュウジの抜刀。
霧の中から現れたその姿は、まるで死神そのものだった。
一切の感情を排し、ただ最短距離で急所を貫くためだけに放たれた、あまりにも合理的で、あまりにも無慈悲な一撃。
時間が、引き伸ばされる。
霧の切れ間に見えたのは、驚愕に見開かれた陽菜の瞳。
僕の指は、まだ動かない。
声は、出ない。
僕たちの戦いは、仲間の一番槍が、音もなく貫かれるという最悪の形で、その幕を開けたのだった。




