第127話:交わらない剣
その夜、エルロード邸の大広間は第七区画の有力者たちが集う、華やかな歓迎の宴に満たされていた。
天井のシャンデリアが黄金の光の雨を降らせ、磨き上げられた銀食器やグラスに乱反射する。優雅な弦楽四重奏の調べが、人々の楽しげな談笑に溶け込んでいた。テーブルには、セバスチャンが腕によりをかけた最高級の料理が宝石のように並び、芳しい香りが鼻をくすぐる。
完璧に調和した、平和そのものの空間。
だが、その光景は西からの来訪者たちの目に、ひどく歪んで映っているようだった。
「……随分と優雅なものだな」
会場の中央、僕たちのテーブルで黒鉄リュウジが呟いた。一口も料理に手を付けず、その冷え切った瞳はただ周囲を観察している。
「まるで大災害などなかったかのようだ。これが第七区画の『日常』というわけか」
声には、隠そうともしない侮蔑が滲んでいた。
隣に座る巫女装束の少女は、ただ静かにお茶をすするだけ。他のフクオカの生徒たちも、誰一人としてこの喧騒に加わろうとしない。彼らの纏う、常に神経を張り詰めた戦場の空気が、この場の柔らかな雰囲気を鋭く切り裂いている。
「ええ。わたくしたちは日常を取り戻すために戦っておりますもの。その成果を祝って何が悪いのかしら?」
クリスティーナが扇子で優雅に口元を隠し、静かに、しかし刃を孕んだ言葉を返す。
それに対し、リュウジはふん、と鼻で笑った。
「馴れ合い、だな」
たった一言。
その言葉が放たれた瞬間、弦楽の音が遠のき、人々の笑い声が掻き消えたかのような錯覚に陥った。温かな空気が急速に冷え、張り詰めていく。
「……なんですって?」
クリスティーナの完璧な微笑が、仮面のように剥がれ落ちた。
リュウジは彼女の反応など意にも介さず、続ける。
「貴様らの戦い方は馴れ合いの仲良しごっこだ。傷つけば慰め合い、弱ければ庇い合う。その甘さが、いずれ貴様ら全員の命を奪う」
射抜くような視線が、僕と陽菜の顔を順に捉えた。
「我々の拠点では弱者は淘汰される。それが、このクソったれな世界で生き残る唯一のルールだ。……仲良しごっこは死を招くぞ」
――カシャンッ!
鋭い金属音が響く。陽菜が手にしていたフォークを、皿に叩きつけるように置いた音だった。その顔は怒りで真っ赤に染まり、肩が小刻みに震えている。
「……ひどい」
静まり返ったテーブルに、彼女の震える声が落ちた。
「仲間を大切に思う気持ちを、あなたは馴れ合いだって言うんですか……!?」
「そうだと言っている」
リュウジは即答した。揺らぎひとつない声だった。
「非情な決断を下せない感傷は、指揮官の判断を鈍らせる。足手まといは部隊全体を危険に晒すだけだ。切り捨てるべきは、速やかに切り捨てる。……それが我々の戦い方だ」
その言葉は、あまりにも冷徹で、しかし否定しきれない一つの真理でもあった。誰もが息を呑み、反論の言葉を見つけられない。
少し離れたテーブルで、ブルックが奥歯をギリ、と噛み締め、椅子を蹴るように立ち上がろうとする。だが、隣のジンがその肩を力強く押さえ、無言で制した。
一触即発の空気。
二つの拠点が掲げる、決して交わることのない価値観の衝突が、テーブルの上に深い亀裂を生んでいた。
僕はただ、目の前の冷徹なリアリストの顔を見つめることしかできない。
僕たちが信じてきたこの「絆」の力は、本当に、彼の言うようにただの「甘さ」でしかないのだろうか。
重たい鉛の塊が、僕の胸の奥にずしりと沈み込んでいく。
あれほど華やかだった歓迎の宴は、今や息苦しいほどの静寂に支配され、最も最悪な形でその幕を閉じようとしていた。




