第12話:思い出の部屋と、最初の依頼
ギルドでの一部始終を聞いた陽菜は、呆れたり、心配したり、感心したりと、目まぐるしく表情を変えていた。
「もう……ギルドマスターと模擬戦なんて、無茶しすぎだよ!」
「仕方ないだろ。実力を見せないことには、始まらなかった」
「でも、Cランクかぁ……。蓮、本当にすごいや……」
結局、最後は僕の無事を喜び、そして異例の昇格を素直に褒めてくれた。
翌日。陽菜が学校へ行った後、僕は一人、ある場所へ向かっていた。
僕が「斎藤蓮」として住んでいた、小さなアパートだ。
僕には両親がいない。物心ついた頃には施設にいて、そこで面倒見の良い職員のおじさんに実の息子のように可愛がってもらった。高校に入学し、防衛高校の寮に入ることもできたが、僕は一人で生きていく力をつけたくて、おじさんの心配を振り切って一人暮らしを始めたのだ。陽菜の家はそのアパートのすぐ隣で、何かと僕の面倒を見てくれていた。
アパートのドアに鍵を差し込み、ゆっくりと回す。
部屋の中は、僕が出て行ったあの日から、時が止まったままだった。ベッド、小さな机、壁に立てかけたままの模擬刀の鞘。僕が生きていた証が、そこにはあった。
僕はクローゼットを開ける。中には、僕のサイズの服がいくつかかかっている。今の僕の身体には、もう合わない。
(この部屋も、引き払わないとな……)
家賃を滞納すれば、大家さんにも迷惑がかかる。僕が「死亡扱い」になれば、部屋の物は全て処分されてしまうだろう。
持ち出せるものは、少ない。
僕は、机の引き出しの奥から、一枚の色褪せた写真を取り出した。
施設のおじさんと、幼い僕、そして隣で満面の笑みを浮かべる陽菜が写っている。僕にとって、数少ない宝物だ。
それから、本棚にあった数冊のお気に入りの本。そして、クローゼットの奥にしまってあった、陽菜が誕生日に編んでくれた、少し不格好なマフラー。
それだけを小さなバッグに詰め込む。思い出は、これだけで十分だった。
部屋を出る前に、僕はもう一度、室内を見渡した。
「さよなら、斎藤蓮」
静かに呟き、僕はドアを閉めた。もう、ここに戻ることはない。
陽菜の家に荷物を置かせてもらい、僕は再びギルドへと向かった。
フードにマスク、サングラスという出で立ちは相変わらずだが、昨日の一件もあってか、好奇の視線は減り、代わりに畏敬や警戒の視線が増えたように感じる。
僕はまっすぐにカウンターへ向かおうとした。だが、ギルドのホール中央がやけに騒がしいことに気づき、足を止める。
人だかりの中心にいたのは、一人の少女だった。
燃えるような赤い髪を縦ロールにし、高級そうな生地で作られた、騎士服風のドレスに身を包んでいる。腰にはレイピアを下げ、その立ち姿は気品に溢れていた。しかし、彼女の口調は、その見た目とは裏腹に、非常に高圧的だった。
「ですから! 私も同行させていただきたいと、そう申し上げているのです! なぜ分からないのですか!」
少女がヒステリックな声を張り上げている相手は、カウンターで困り果てている受付嬢のセラと、頭を抱えているギルドマスターだった。
「お嬢様、ですから、Cランク依頼の『飛竜の生態調査』は、熟練の冒険者でも命がけなのです。お嬢様を危険な目にあわせるわけには……」
「危険? この私、クリスティーナ・フォン・エルロードが、飛竜ごときに遅れを取るとでも?」
クリスティーナと名乗った少女の言葉に、周囲の冒険者たちが「エルロードだと……?」「まさか、あの商業ギルドの……」と囁き合う。エルロード商会。この都市の物流と経済を牛耳る、ギルドの最大支援者だ。なるほど、ギルドマスター自らが出てきても、むげに扱えないわけだ。
「わたくしは、ただ遠くから飛竜を見るだけで構わないのです! それが、将来エルロード商会を継ぐ者としての見聞を広めることに繋がるのですから! さあ、早く許可を!」
「しかし……護衛をつけるにしても、お嬢様を守りながら飛竜の調査など、引き受けてくれるパーティーが……」
ギルドマスターが言い淀んでいる、その時だった。
僕は、この騒動には関わるまいと、そっと人混みを離れ、壁際のクエストボードへと向かった。目的はあくまで肩慣らしのゴブリン討伐だ。
ボードからEランクの依頼書を剥がそうとした、まさにその瞬間。
「――そこのあなた!」
甲高い声と共に、僕の肩に指が突き刺さる。振り返ると、いつの間にか背後に回り込んでいたクリスティーナが、僕を指差していた。
「あなたにお願いしたいですわ! わたくしの、護衛を!」
「……は?」
僕の口から、素っ頓狂な声が漏れる。周囲の冒険者も、ギルドマスターも、セラも、全員が唖然として僕とクリスティーナを交互に見ていた。
「な、何を……」
「昨日、Cランクに昇格したという噂の新人、『アリア』でしょう? その格好、噂通りですわね」
クリスティーナは僕の全身を品定めするように眺めると、勝ち誇ったように言った。
「ちょうど護衛がいなくて困っていたところです! あなたほどの腕利きなら、わたくしを守りながら飛竜を観察することなど、造作もないはず! さあ、引き受けなさい!」
無茶苦茶だ。あまりにも、一方的すぎる。
「断る」
僕が即答すると、クリスティーナは信じられないといった顔で目を見開いた。
「なっ……! このわたくしの頼みを、断るというのですか!?」
「僕はゴブリンの依頼を受ける」
そう言って依頼書を見せると、彼女はわなわなと肩を震わせた。
その時、救いの船か、あるいは泥船か、ギルドマスターが僕の肩に手を置いた。
「アリア、ちょっとこっちへ」
彼は僕をカウンターの隅へと引っ張っていく。
「何をコソコソと話しているのです!」
クリスティーナが叫ぶが、ギルドマスターは「お嬢様は少々お待ちください」と片手で制し、僕にだけ聞こえる声で囁いた。
「……すまん、アリア。この依頼、受けてはくれんだろうか」
「なぜ僕が」
「あの通り、言い出したら聞かんのだ、あのお嬢様は。そして、エルロード商会を敵に回すのは、ギルドとしても避けたい。……もちろん、タダでとは言わん」
ギルドマスターの顔には、疲労と苦悩が色濃く浮かんでいた。
「護衛として、最高の腕利きをさらに二人サポートにつける。報酬も、通常のAランク依頼と同等まで引き上げよう。それでも不足なら、俺個人から『貸し』を一つ。どうだ?」
Aランク相当の報酬と、ギルドマスターからの『貸し』。それは、今後の活動を考えれば破格の条件だった。
「……あんたほどの男が、そこまで頭を下げるとはな」
「それだけ、厄介なんだよ……」
彼は心底うんざりしたように、天を仰いだ。
僕の脳裏に、陽菜の顔が浮かんだ。金を稼ぎ、装備を整え、陽菜を守れるだけの力を手に入れる。そのための、近道になるかもしれない。危険は大きいが、リターンも大きい。
それに、このまま断って、あのお嬢様に粘着されるのも面倒だ。
僕は、小さくため息をついた。
「……わかった。引き受けよう」
僕の返事を聞いたギルドマスターは、心底ホッとしたように息を吐き出した。そして、クリスティーナに向き直り、高らかに宣言する。
「エルロードのお嬢様! こちらのCランク冒険者アリアが、護衛の任、謹んでお受けするとのことです!」
「まあ! 聞き分けのいい方で、よろしくてよ!」
クリスティーナは満足げに微笑む。その笑顔は、まるで新しいおもちゃを手に入れた子供のようだった。
こうして、僕は肩慣らしのゴブリン討伐に行くはずが、ギルドの最大支援者のワガママお嬢様の護衛として、危険な飛竜の生態調査に同行するという、とんでもない依頼に巻き込まれることになった。
「では、早速出発ですわよ、アリア! わたくしの車を用意させてありますから!」
「……はぁ」
僕の冒険者としての初仕事は、前途多難な嵐の予感しかしなかった。




