第110話:私の、戦い方
翌日の早朝。
クリスティーナ邸の中庭は昨日までとは全く違う、澄み切った空気に満ちていた。
陽菜の目に、もう迷いの色はない。そこにあるのは自らの進むべき道を見つけた者の、静かでしかしどこまでも強い意志の光だった。
「――お願いします!」
再び僕とリリィの前に立った陽菜の声には、一点の曇りもなかった。
リリィはそんな陽菜の変化を、金色の瞳を細めて見つめていた。
「……ふん。吹っ切れたようだな、ひよっこ。だが感傷に浸っていられるのも今のうちだけだ」
彼女はその場でしなやかに身を屈め、まるで黒豹のような低い戦闘態勢を取った。
「――今日は本気で行く。死ぬなよ」
模擬戦が再び始まった。
だがその内容は昨日までとは全く違うものだった。
陽菜はもはや闇雲に火球を放つことはしない。
彼女は僕――アリアのすぐ後ろ、半歩下がった位置にぴたりと付いていた。
僕の盾になる。そのただ一点に全神経を集中させて。
リリィが影から飛び出し鋭い爪で僕の死角を狙う。
その僕が反応するよりも早く。
「――させない!」
陽菜の前に炎の壁が出現し、リリィの軌道を阻んだ。
「甘い!」
(そうだ!それでいい陽菜! 迷ってはだめ!)
リリィは空中で身を翻し壁を飛び越え、今度は上空から僕に襲い掛かる。
だがその瞬間。
陽菜が僕の背中をぽんと軽く押した。
「――前!」
その一言だけで僕は陽菜の意図を理解した。
僕は後ろを一切気にすることなく、前方にいるであろう仮想の敵へと全速力で駆けた。
背後でリリィの爪と陽菜の炎がぶつかり合う甲高い音が響く。
完璧な信頼。
僕の背中は陽菜が絶対に守ってくれる。
その確信が僕の動きから、最後の枷を外した。
「……面白い」
リリィの口元に初めて獰猛な笑みが浮かんだ。
だがその金色の瞳の奥には、陽菜の覚悟を試すような厳しい光が宿っていた。
(……そう!それでいいっ! でも覚悟だけじゃだめなんだよ。陽菜、あなた自身の限界を、あなた自身で超えないと!)
「お前のその『盾』がどこまで通用するか!」
彼女は本気になった。
その身体から金色のオーラが立ち上り、そのスピードと攻撃の鋭さがさらに数段階増していく。
もはやそれは模擬戦などではなかった。
本物の死闘。
リリィは心を鬼にした。
(立て、陽菜! 諦めないで! あなたの力はそんなものじゃないはず!)
爪は常に陽菜の急所を紙一重で外れている。だがその一撃一撃は陽菜の心を折るには十分すぎるほどの、プレッシャーと恐怖を与えていた。
陽菜はリリィの嵐のような猛攻を、必死にその身一つで受け止め続けた。
トレーニングウェアは破れ、腕には浅い切り傷がいくつも走る。
それでも彼女は僕の背中から、一歩も引かなかった。
そしてついにその瞬間が訪れた。
リリィがこれまでにないほどの最大の一撃を、僕めがけて放ったのだ。
(さあ、陽菜、あなたの限界を超えて見せて! あなたの、本当の力を!)
それは陽菜の覚悟を問う最後の試練だった。
「――危ないっ!!」
僕が身構えたその時。
僕の前に陽菜が割り込んできた。
彼女は僕を守るように両腕を大きく広げ、その無防備な背中をリリィの攻撃の前に晒した。
「陽菜っ! 馬鹿野郎!」
僕の絶叫。
もう間に合わない。
リリィの爪が陽菜の華奢な背中を、引き裂こうとした――。
その刹那。
陽菜の身体から光が溢れ出した。
それは炎ではない。
温かくて優しくて、全てを包み込むような太陽の光。
光は陽菜の背後で巨大な黄金色の盾を形作った。
リリィの渾身の一撃がその盾に触れた瞬間。
キィンという澄んだ鐘の音のような音と共に、その全ての威力が光の中に吸い込まれるように消えていった。
「……なっ!?」
リリィが信じられないといった顔で目を見開いている。
僕もその光景にただ立ち尽くしていた。
(……やった……! やったんだね、陽菜……!)
リリィの内心に驚愕とそして確かな安堵が広がった。
光の盾はリリィの攻撃を防いだだけではなかった。
その光の粒子が僕とリリィの戦いで負った小さな傷を、そっと癒していく。
温かい。
まるで陽だまりの中にいるような心地よさ。
やがて光がゆっくりと収まっていく。
陽菜は汗だくになりながらもその顔に満面の笑みを浮かべて、僕を振り返った。
「……どう、かな、蓮。……私、ちゃんと、なれたかな」
「……お前の、盾に」
――『陽光の盾』。
彼女だけの唯一無二の力が開花した瞬間だった。




