第109話:君だけの光
陽菜が一人で屋敷を飛び出してから数時間が過ぎた。
夜の帳が下り、クリスティーナ邸の庭には虫の音が静かに響いている。
僕は心配そうに窓の外を見つめるクリスティーナと、落ち着きなく部屋をうろつくリリィに「少し探してくる」とだけ告げて、一人夜の街へと歩き出した。
どこへ行ったのか見当はついていた。
僕たちがまだ「斎藤蓮」と「橘陽菜」だった頃。喧嘩したり落ち込んだりした時、いつもどちらからともなく向かう場所があった。
アパートから少しだけ歩いた先にある小さな公園。
僕たちの秘密の隠れ家のような場所。
公園の入り口に立つと案の定、その姿はすぐに見つかった。
ぽつんと灯る街灯の下、ブランコに陽菜が一人小さく座っていた。
膝を抱え俯いたその背中は、あまりにも頼りなく見えた。
僕は音を立てないようにゆっくりと、彼女の隣のブランコに腰を下ろした。
ぎぃとブランコが錆びた音を立てる。
陽菜の肩がびくっと小さく跳ねた。
彼女は顔を上げない。ただ俯いたままぽつりと呟いた。
「……なんで来たの」
「……お前が一人で泣いてると思ったから」
「……泣いてない」
その声は涙でくぐもっていた。
沈黙が流れる。
僕たちは言葉もなくただ静かに、夜空を見上げていた。
星が綺麗だった。
やがて僕が口を開いた。
「……今日の模擬戦のことか?」
「…………」
陽菜は何も答えない。それが何よりの肯定だった。
「……お前は強いよ、陽菜」
僕の言葉に陽菜の肩が再び震えた。
「……嘘つき。私、全然強くなんかない。蓮やリリィちゃんみたいに戦えない。才能がないんだもん」
「ああ、そうだな」
僕はあっさりとそれを認めた。
「え……」
陽菜が驚いたように顔を上げる。その瞳は涙で真っ赤に腫れていた。
僕はそんな彼女の目をまっすぐに見つめ返した。
「お前は俺やリリィみたいに、敵を倒す必要はないんだ」
「……どういうこと?」
「俺は矛だ。リリィもそうだ。俺たちは敵を貫き倒すことしかできない。でもそれだけじゃ戦いには勝てない」
僕は自分のアリアの華奢な手を見つめた。
「俺たちの背中はがら空きだ。どんなに強い矛も背中から刺されたら簡単に折れる。……俺たちは守ってくれる誰かがいないと、本当の力は出せないんだよ」
僕は陽菜の小さな手をそっと握りしめた。
「お前の力は誰かを倒すためのものじゃない。……俺たちを『守る』ための力だ」
陽菜の炎。それはただ敵を焼くだけではない。
暗闇を照らし仲間を温め、そして道を切り開く希望の光。
「俺は、お前がいてくれるから戦える。お前が俺の背中を守ってくれるって信じてるから。……だから陽菜。お前は、お前だけの力で、俺たちの最強の『盾』になってくれ」
僕の心からの言葉。
それを聞いた陽菜の瞳から再び涙が溢れ出した。
でもそれはさっきまでの悔し涙ではなかった。
温かくて、そしてとても輝いている涙だった。
「……うん……っ」
彼女は何度も何度も頷いた。
そして僕の手を強く強く握り返してくる。
「……うん……! 私なるよ! 蓮のみんなの最強の盾に、なってみせる!」
月明かりの下、陽菜の顔にようやくいつもの太陽のような笑顔が戻っていた。
僕もつられて少しだけ笑った。
彼女の心に再び光が灯った。
それは誰にも真似できない彼女だけの、優しい光。
その光がやがて僕たちの未来を照らす、大きな希望となることを僕たちはまだ知らなかった。




