第105話:告白のあとさき
永遠に続くかと思われた、沈黙。
サンルームには、僕の、心臓の音だけが、やけに大きく響いていた。
拒絶されるだろうか。
気味悪がられるだろうか。
僕が、男だと知っても、彼女たちは、今までのように、そばにいてくれるだろうか。
最悪の想像が、僕の頭を駆け巡り、冷たい汗が、背中を伝った。
その、張り詰めた空気を、最初に破ったのは。
部屋の隅に置かれていた、ちびケイちゃんのホログラムから、ピロリンッ♪という、間の抜けた電子音だった。
『――なるほどなるほど! そういうことでしたか! いやー、謎が全て解けました!』
ホログラムのちびキャラ慧は、一人でうんうんと頷きながら、僕たちの前のテーブルを、ぴょんぴょんと飛び跳ね始めた。
その、あまりにも場違いな、ハイテンションな声。
「ちょっ、ケイちゃん! 今、真面目な話してるんだから!」
陽菜が、慌ててホログラムを止めようとする。
だが、ちびキャラ慧は、お構いなしに、くるりと僕の方を向いた。
『つまり、女神アリア様の中には、男子高校生の魂が宿っている、と! 魂は男! しかし、器は、か弱い乙女! ……まあ! なんて、背徳的で……そそられる設定なんでしょう!』
「「「…………」」」
僕も、陽菜も、クリスティーナも、リリィも、そのあまりにも不謹慎な(しかし、的確な)感想に、返す言葉もなかった。
その、エレクトラの、ある意味、いつも通りの暴走が、かえって、部屋の凍りついた空気を、少しだけ溶かしてくれたのかもしれない。
ぱちん、と。クリスティーナが、手にしていた扇子を、軽やかに閉じる音がした。
彼女は、驚愕に見開かれていた瞳を、すっと細めると、扇子の先で、とん、と自分のこめかみを叩いた。
そして、その唇に、まるで全てを理解したかのような、妖艶な笑みを浮かべた。
「……なるほど。どうりで、あのように時折、初心な反応をなさるわけですわ。わたくしとのダンスの時も、お着替えの時も……ふふっ」
彼女は、扇子で口元を隠し、楽しそうに、くすくすと笑い始めた。
「ますます、興味深いですわ、アリア様。……いいえ、蓮様、と、お呼びすべきかしら?」
その瞳には、侮蔑も、嫌悪もない。
あるのは、ただ、目の前の、稀有で、愛おしい存在に対する、より深くなった、探究心と、そして、変わらぬ好意だけだった。
「……よかった」
僕の隣で、陽菜が、心の底から、ほっとしたように、呟いた。
彼女は、僕が秘密を打ち明ける間、ずっと、僕以上に緊張し、そして、僕が傷つくことを、何よりも恐れてくれていたのだろう。
「……蓮が、一人で抱え込まなくて、よかった」
そう言って、彼女は、太陽のように、優しく微笑んだ。
最後に、リリィが、口を開いた。
彼女は、僕の告白を聞いた後、ずっと、何かを考え込むように、黙っていた。
「……そういうことか。だから、私や『あいつ』が知るアリアとは、少しだけ、違っていたのだな。……なるほど、合点がいった」
彼女は、納得したように、小さく頷く。
そして、僕の顔を、まっすぐに見つめてきた。
「……ならば、改めて、問おう。斎藤蓮。お前は、これから、どうするのだ? アリアとして生きるのか、それとも……」
その、問いかけ。
それは、僕が、ずっと、目を背けてきた、僕自身の問題だった。
僕は、一度、目を閉じる。そして、隣にいる陽菜の、温かい手の感触を、確かめる。
僕が、守りたいもの。僕が、還りたい場所。
「……俺は」
僕は、目を開き、リリィを、そして、仲間たちを、一人一人、見つめ返した。
「俺は、アリアの力を借りて、斎藤蓮として、俺の大切なものを、守り抜く。……そして、いつか、必ず、元の身体に戻る方法を、見つけ出す」
それは、僕の、揺るぎない、決意だった。
その言葉を聞いたリリィは、ふん、と鼻を鳴らした。
「……まあ、よかろう。お前の覚悟、見届けさせてもらう」
その横顔は、どこか、少しだけ、嬉しそうに見えた。
僕の決意を聞き届け、仲間たちが、それぞれの形で、それを受け入れてくれた。
安堵で、僕の肩から、少しだけ力が抜ける。
僕は、改めて、目の前にいる仲間たち――陽菜、クリスティーナ、リリィ、そしてホログラムのエレクトラ――に向き直り、深く、頭を下げた。
「……頼みがある」
僕の声は、少しだけ、震えていた。
「このことは……俺が、男だということは、ここにいるメンバーだけの、秘密にしてほしい」
それは、僕の、魂からの、願いだった。
この秘密が外に漏れれば、僕だけでなく、陽菜たちの日常も、めちゃくちゃになってしまうだろう。
僕の、必死の懇願に、最初に答えたのは、陽菜だった。
彼女は、僕の手を、さらに強く、ぎゅっと握りしめた。
「当たり前だよ! 蓮の秘密は、私の秘密。絶対に、誰にも言わない。命に代えても、守るから」
その瞳には、一点の曇りもない、絶対的な信頼が宿っていた。
次に、クリスティーナが、扇子で、ぱん、と自分の胸を叩いた。
「ふふん。当然ですわ。わたくしたちが、あなた様の秘密を、無粋に言いふらすような、下賤な人間だとお思いで?」
彼女は、女王のように、気高く微笑んだ。
「あなた様の全ては、わたくしたちだけの、愛しい宝物。誰にも、指一本触れさせはしませんわ」
リリィも、やれやれ、といった顔で、小さく頷いた。
「……我も、約束しよう。賢者の名において、この口は、貝よりも固い」
その金色の瞳は、真剣そのものだった。
そして、最後に、ちびキャラ慧が、ぴょん、と敬礼のポーズを取った。
『もちろんですとも! 女神様の、最高に面白くて、最高に背徳的なこの秘密! 私たちだけの、至高の観測対象を、みすみす他人に分け与えるなんて、愚の骨頂! この電子の魔女の名にかけて、完璧な情報封鎖をお約束します!』
少しだけ動機は不純だったが、彼女の約束が、誰よりも固いであろうことは、疑いようもなかった。
異世界から来た、賢者の少女。
第七区-画を統べる、女王様。
僕の、かけがえのない、幼馴染。
僕を支えてくれる、電子の海の魔女。
性別も、世界も、立場も、何もかもが違う。
だが、僕たちは、今、一つの、同じ秘密を共有し、同じ目的のために、心を一つにした。
本当の意味での、『チーム・ア-リア』が、産声を上げた瞬間だった。
僕たちの、本当の戦いは、ここから、始まる。




