第100話:間話:錬金術師の甘い休日
休日の朝。
第七区画の少しだけお洒落なマンションの一室。
窓から差し込む柔らかな日差しが、塵一つないフローリングの床と白いレースのカーテンを優しく照らしていた。キッチンからはカチャリと上品なティーカップの音と、ベルガモットの爽やかな香りが漂ってくる。
「ふふっ♪ 今日もいいお天気ですねぇ」
セラは淹れたてのハーブティーを一口飲むと優雅に微笑んだ。
部屋はモデルルームのように完璧に整頓されている。ギルドでの完璧な姿そのままの、穏やかで理想的な休日の始まり。だが壁に掛けられた可愛らしい猫のデザインのカレンダー、そのとある日付には小さな赤いハートマークと共にこう書き込まれていた。
『次こそ、アリア様と二人きりディナー♪(要・再計画!)』
セラはそのカレンダーをちらりと見て先日の乱入騒ぎを思い出し、少しだけ頬を膨らませた後、再びうふふと楽しそうに笑った。
優雅な朝食を終えた彼女は寝室のクローゼットを開ける。
フリルやレースのついた可愛らしいワンピースには目もくれず、彼女が手に取ったのは動きやすい黒のタンクトップと丈夫なカーゴパンツだった。手際良く着替えを済ませ長い髪をポニーテールにまとめ上げると、鏡に映るその姿はもはや「受付のお姉さん」ではない。戦場に赴く一人の「戦士」の顔つきだった。
彼女が専用のリムジンで向かった先は、第七区画の工業地帯にそびえ立つ近代的なビル。ビルの名は『セラ・アームズ・インダストリー』。彼女の父が経営する第七区画で最も勢いのある、冒険者向け武具開発企業だ。
「お嬢様、おはようございます!」
社員たちから挨拶を受けながらセラはにこやかに「おはよう♪ みんな、休日出勤ご苦労様」と手を振る。彼女は社長令嬢というだけでなく、この会社の筆頭研究開発者でもある。ギルドでの受付業務は彼女にとって、最新の市場調査と最高の情報収集を兼ねた趣味のようなものなのだ。
セラは社長室には目もくれずエレベーターで地下深くの研究開発フロアへと降りていく。その最奥にある彼女専用の特別開発ラボ(工房)。そこが彼女の本当の城だった。
ラボに入った彼女は白衣を羽織り、メンテナンス台の愛銃『ジャッジメント』をまるで恋人に話しかけるようにその銃身を優しく撫でた。
「ふふっ♪ この前のパーティーでは大活躍でしたねぇ。いつもご苦労様。さあ今日はあなたにもっと素敵な『プレゼント』を作りましょうか♪」
彼女はラボの隅にある厳重に保管されたケースを開けた。中には彼女が先日単独で討伐してきたSランク怪異から採取されたばかりの、希少な素材が収められている。知る人ぞ知る話だがセラはギルドの受付嬢であると同時に、フードを目深に被った正体不明の凄腕ハンターとしても裏では有名だった。大物の、それも特殊な素材が必要な時にしか動かない気まぐれなハンターとして。
「お父様は『経営にも興味を持て』なんて言うけど、退屈な会議に出るよりこうやって新しい『おもちゃ』を作ってる方がずっと楽しいじゃない?」
セラは鼻歌交じりに希少素材を錬成炉へと投入する。彼女の錬金術は一撃の破壊力を極限まで高めることに特化している。その代わりコストも時間もかかるため量産には向かない。まさに大物狩り専用の芸術品だ。
彼女は鋳型に流し込んだばかりの、まだ熱を帯びた弾丸にそっと手をかざした。そして集中し古の呪文を囁くように唱え始める。
「――『貫け(ピアス)』、『爆ぜろ(エクスプロード)』、『追え(ホーミング)』」
彼女の魔力と技術の粋を集めた一撃必殺の切り札。Aランク級の怪異の装甲すら容易く貫き内部で炸裂し、標的を自動で追尾する彼女にしか作れない芸術品だ。
「よし、できた♪ これで次は何が来ても大丈夫。……アリアちゃんたちの、お邪魔はさせないんだから」
彼女は完成した一発の弾丸を大切そうに専用のケースにしまうと、満足げに微笑んだ。
ラボを出たセラは社長室に顔を出した。デスクには彼女の父が山のような書類と格闘している。
「あらお父様。まだお仕事?」
「おおセラか。お前こそまた工房に籠っていたのか。たまにはこちらの仕事も……」
「やーですよぉ。あ、そうだ。これ、今度の新作のプレゼン資料。モデルはアリアちゃんをイメージしてみたので、よろしくお願いしまーす♪」
セラは父の机にUSBメモリを一つ置くと「じゃあ私、ケーキ食べてくるので!」と嵐のように去っていった。残された父親は、やれやれと肩をすくめながらもその目は娘への愛情と信頼に満ちていた。
工房を出たセラは、すっかり陽が傾いた街を歩き、お気に入りのケーキ屋に立ち寄った。
自分へのご褒美として、一番大きなショートケーキを買い、近くの公園のベンチで、幸せそうに頬張る。
「あーん、美味しい♪ ……ふふっ。今度、アリアちゃんも、ここに誘ってあげよっと」
戦士であり、職人であり、そして、恋する(?)一人の女性でもある。
最強の受付嬢の、甘くて、少しだけ秘密の休日は、こうして、ゆっくりと更けていくのだった。




