第95話:狙われた太陽
「陽菜!」
僕が叫ぶのと敵の陣形が変化するのは、ほぼ同時だった。
それまで僕に集中していた傭兵たちの半数が、まるで一つの生き物のようにその矛先を一斉に陽菜へと向けた。
彼らの動きは統率が取れていた。これは最初から想定されていた作戦。陽菜こそが真のターゲットだったのだ。
「くっ……!」
陽菜は迫り来る脅威を前に、咄嗟に炎の壁を厚くし自らの身を守る。オレンジ色の炎が、闇の中で最後の砦のように揺らめいた。
だがその壁を一体の巨体が、地響きと共に突き破ってきた。
「――邪魔だ、小娘」
現れたのは他の傭兵たちとは明らかに違う、重厚な強化外骨格に身を包んだ巨大な男だった。この部隊の隊長だ。
その油圧シリンダーが軋む機械仕掛けの腕が、陽菜の炎の壁をまるで蜘蛛の巣でも払うかのように、いとも簡単に薙ぎ払った。
「させるか!」
僕は陽菜の元へ駆けつけようと地面を蹴った。
だが残った傭兵たちが、まるで鉄の鎖のように僕の前に立ちはだかった。
「お前の相手は俺たちだ!」
彼らの目は死んでいた。僕を殺すためではない。ただ僕をこの場に一秒でも長く釘付けにするためだけに、その命を捨て駒にする覚悟を決めている。
その頃セバスチャンもまた別の場所で、静かにしかし激しく火花を散らしていた。
「……ほう。ネズミがまだ残っていましたか」
クリスティーナたちが避難したワインセラーの扉を、こじ開けようとしていた別動隊。
セバスチャンは友人たちを狙うその脅威を、見過ごすわけにはいかなかった。
陽菜は完全に孤立した。
「……っ!」
彼女は鋼鉄の巨人を前に必死に火球を放つ。ドレスの裾が破れ、頬には煤がついてもその瞳の光はまだ消えていない。
だがその炎は分厚い装甲にカンッ、カンッと虚しい音を立てて弾かれ、全く効果がない。
「無駄だ」
隊長は無感情な声で言うと、その巨大なアームを陽菜めがけて振り下ろした。
ゴォォォッ!と風を切り裂く轟音。
陽菜は咄嗟に横に転がりそれを回避する。アームが叩きつけられた大理石の床が、粉々に砕け散った。
「陽菜っ!」
僕の悲痛な叫びが響く。
だが僕も目の前の敵を振り払えない。
陽菜の額には脂汗が滲み、その呼吸は少しずつ浅く速くなっていく。
一撃でも食らえば終わりだ。
じりじりと、しかし確実に彼女は壁際へと追い詰められていく。
(……まずいにゃ!)
その絶望的な光景を、二階のテラスから指揮官を仕留める機会をうかがっていたリリィが目撃していた。
陽菜の小さな肩が、恐怖と疲労でかすかに震えている。
(このままでは、陽菜が……!)
アリアは間に合わない。執事も動けない。
助けられるのは自分しかいない。
だがこの小さな猫の身体で何ができる?
あの鋼鉄の巨人に飛びかかったところで、ただ叩き潰されるだけだ。
(……くそっ!)
リリィは歯噛みした。自分のあまりの無力さに。
陽菜を守りたい。
あの太陽のような笑顔を失いたくない。
自分に毎日飽きもせず「おはよう」と言ってくれる、あの優しい声を。
自分の頭を撫でてくれる、あの温かい手を。
その胸を焼くような強い想い。
(……やるしか、ないのか)
リリィの金色の瞳に、悲壮な決意の光が宿った。
彼女の脳裏の奥底に眠る、忘れていたはずの膨大な知識。
その中の一つが、禁断の扉を開けようとしていた。
生命エネルギーを強制的に励起させ、自らの肉体を再構成する古代の秘術。
成功すれば絶大な力を得られる。
だが失敗すれば――その魂ごとこの世界から消滅する。
「……きゃっ!」
陽菜の追い詰められたか細い悲鳴が、リリィの耳に届いた。
もう迷っている時間はなかった。
リリィはテラスの最も深い影の中へと、その小さな身体を沈めていった。




