第10話:ギルドマスターとの模擬戦
Fランクのギルドカードを握りしめ、僕はクエストボードに向かおうとした。まずはゴブリン討伐のような、地道な依頼から実績を積んでいくしかない。そう考えていた、その時だった。
「――お客様、少々お待ちいただけますか」
声をかけてきたのは、最初に僕の登録を担当した、女性職員のセラだった。彼女は僕の腕を掴むと、周囲に聞こえないよう、小声で囁いた。
「ギルドマスターがお呼びです。奥の執務室までご同行を」
彼女の笑顔は完璧な業務用のものだったが、その瞳の奥には隠しきれない好奇心と、わずかな緊張が浮かんでいた。ギルドマスター直々の呼び出しが、いかに異例であるかを物語っている。
断る選択肢はない。僕は黙って頷き、彼女の案内に従ってギルドの奥へと進んだ。
通された執務室には、筋骨隆々とした壮年の男――ギルドマスターが椅子にどっかと腰を下ろしていた。
彼は僕の姿を一瞥すると、セラに目配せして部屋から下がらせる。二人きりになった室内で、彼は一枚の写真をテーブルに置いた。
「単刀直入に聞こう。昨日のガーゴイルの件、お前さんだろう?」
やはり、バレていたか。僕は腹を括った。
「……僕がやった」
「そうか」
彼は特に驚いた様子もなく、静かに頷く。
「事情があって、素性は明かせない」
「だろうな。お前さんの『力』の正体は詮索せん。ギルドは実力主義だ。結果が全てだ。だが、その力が本物かどうか、この俺の目で確かめさせてもらう必要がある」
彼は立ち上がると、壁にかけてあった巨大な両手剣を軽々と肩に担いだ。
「ついてこい。修練所へ行く」
ギルドの裏手にある貸し切りの修練所。そこに立つ僕とギルドマスターは、静かに対峙していた。
「手加減はせん。殺す気でかかってこい。でなければ、お前が死ぬぞ」
ギルドマスターがクレイモアを構える。その瞬間、彼のまとう空気が変わった。穏やかな管理者の顔から、歴戦の戦士の顔へ。凄まじいプレッシャーが、肌を粟立たせる。
僕はサバイバルナイフを抜き放ち、身体強化を発動させた。
先に動いたのは、僕だった。
地面を蹴り、最短距離で彼の懐へ。狙うは喉元。
だが、僕のナイフが届くよりも速く、巨大なクレイモアが薙ぎ払われた。風を切り裂く轟音。僕は咄嗟に身をかがめてそれを避けるが、頬を掠めた風圧だけで、皮膚が切れそうだった。
(速い……! この巨体、この得物で、ありえない速度だ!)
アリアの知識が警鐘を鳴らす。目の前の男は、これまで対峙したどんな怪異よりも危険だ、と。
僕は体勢を立て直し、彼の死角に回り込もうと目まぐるしく動き回る。だが、ギルドマスターは僕の動きに的確に反応し、常にクレイモアの切っ先を僕に向けていた。まるで、僕の次の動きが全て見えているかのようだ。
ならば、と僕はフェイントを織り交ぜ、彼の足元を狙う。
しかし、それも金属の鎧に阻まれ、甲高い音を立てるだけだった。
「小手先の技はそこまでのようだな!」
ギルドマスターが咆哮と共に、クレイモアを頭上から振り下ろす。地面が砕けるほどの、必殺の一撃。
僕はそれを横に跳んで回避し、がら空きになった彼の脇腹にナイフを突き立てようとした。
勝った――そう思った瞬間だった。
クレイモアを振り下ろした反動を利用し、ギルドマスターの身体が独楽のように回転した。鎧の肘当てが、僕の鳩尾に的確に叩き込まれる。
「ぐっ……!?」
息が詰まる。視界が白く染まり、数メートル後方まで吹き飛ばされた。受け身を取れなければ、内臓がどうにかなっていたかもしれない。
「……まだ、だ」
僕はよろめきながら立ち上がる。口の中に、鉄の味が広がった。
(強い。今の僕では、五分……いや、不利か)
だが、心は折れていなかった。むしろ、この窮地が、身体の奥底に眠る闘争本能を呼び覚ましていく。アリアの知識だけではない。僕自身の、斎藤蓮としての負けん気が、顔を覗かせていた。
もう一度、構え直す。
今度は、僕から仕掛けるのではなく、彼の動きを待つ。
僕の意図を察したのか、ギルドマスターはニヤリと口角を上げた。
「いい目だ」
彼が踏み込んできた。再び、嵐のような斬撃が僕を襲う。
僕はその猛攻を、ナイフ一本で必死に受け流し、捌き、回避し続ける。金属音がけたたましく鳴り響き、火花が散る。
そして、彼の攻撃が一瞬だけ途切れた、その刹那の隙。
僕は全ての力を脚に集中させ、後方へ大きく跳躍した。
そして、地面に落ちていた訓練用の石つぶてを数個拾い上げ、指で弾く。
身体強化のエネルギーを乗せた石つぶては、弾丸と化してギルドマスターの顔面に殺到した。
「なにっ!?」
不意を突かれたギルドマスターが、クレイモアでそれらを弾き落とす。
その一瞬の硬直を、僕は見逃さなかった。
再び肉薄し、今度こそ、彼の鎧の隙間――首筋にナイフの切っ先を突きつける。
ピタリ、と二人の動きが止まった。
僕のナイフは彼の首筋に。彼のクレイモアは、僕の頭上に。どちらかが動けば、相打ちになる。
静寂が、修練所を支配した。
やがて、その沈黙を破ったのは、ギルドマスターの笑い声だった。
「――ハッ、ハハハ! 見事だ!」
彼はクレイモアを下ろし、僕から距離を取った。
「すまんな、熱くなった。もう十分だ。お前さんの実力、よく分かった」
彼は満足げに頷く。
「Aランクでも通用するだろうな。いや、まだ何か隠していそうだ。面白い……実に面白い逸材だ」
僕もナイフを収め、荒い息を整える。全身が汗でぐっしょりだった。
ギルドマスターは、僕の肩をバンと叩いた。
「ようこそ、アリア。歓迎する。お前さんのような『規格外』を、我々は待っていた」
彼の言葉は、僕がこの世界で戦っていくことへの、最高の承認のように聞こえた。
こうして、僕は登録初日にして、Cランク冒険者という異例のスタートを切ることになった。
それは、僕の存在がギルドに認められた証であり、同時に、これから僕が危険な戦いに身を投じていくことの証明でもあった。
僕はブロンズ色のカードを握りしめ、これから始まるであろう嵐のような日々を、静かに覚悟した。




