第07話 星を見に
経緯が経緯だけに、俺とヴィヴィエンヌは未だに暫定の夫婦という形だった。
殿下の命令の婚姻であるからして逃れようもないのだが、唐突である分撤回も考えられるし、辺境の貴族の立場は弱い。かつて王妃になるはずの娘を傷物にした、などという誹りを受ける羽目になっても困る。
……いや、経緯からすれば、むしろそれを望まれた婚姻の結果なのか。
そんなことに下卑た欲望で応じるほど、ランキエールの人間は野蛮じゃない。
しかし、彼女がランキエールに嫁入りした上で、おそらくは、なんかもうすでに骨を埋めてくれそうな決意すら感じる現状である。
彼女の意思確認とドルナク公爵との正式な折衝を経てのことになるが、そのタイミングは婚礼の儀のあとか。もう少し、何か証となる事柄が整ってのことか。
なんにせよ、今はまだ決定的なことは起こさないべきだと考えていた。辺境とはいえ、ランキエールの男は紳士なはずだ。
しかしそれを、彼女の側から、崩そうとしてきている。
俺はいったい何をすればいいのか。ランキエール式ならいい。だが、ヒュドラの巣を当て、鉄のことすらただちに改革してしまうほどの王都の乙女相手に、先を取れる気などまるでしない。
「我が夫トリスタン! いらっしゃらないの?」
扉が再びノックされる。
これ以上待たせて、恥をかかせるわけにもいくまいか。
「どうした」
自室の扉に歩む途中ですら、心臓が拍動する。
あの小さいのに凛とした彼女が、今日もヒールで床を叩き、縦横無尽に歩き回っていた彼女が、今、夜に扉の向こうにいる。
扉に手を掛ける。
恐る恐る開けて、見えた彼女の姿は。
……ん?
「星を見に行きたいので、手伝ってくださらない?」
暫定俺の妻は、使い古された大鞄にいっぱいの、何かしらの機械を詰め込み、動きやすいジャケットとブーツに身を包んでいた。
◆◆◆
ヴィヴィエンヌ曰く、臣下に星を見に行ったことを悟られるのはリスクが高いそうなので、俺も承知して、手早く着替えて馬を駆り、二人で手近な山に行くことにした。そこだと屋敷の光も届かないので、星を見るにはもってこいだ。
無論、魔獣、特に鳥の類がよく出るどころなので、身一つの女など良い餌になってしまうところだが。
馬で登れる頂上の少し前まで来て、彼女を一旦降ろした。
彼女はすぐ、荷も一緒に降ろそうとする。これは屋敷にあった天体観測の道具だった。俺も見たことはあるが使い方を知らず、長い間ほこりを被っていたはず。
ランキエールの馬は大きいので、一人で荷下ろしは危なかろうとは過ったが、彼女であれば何かすっと要領よくそういうことをこなしてしまうのだろうと予感した。
が、彼女は、その荷を降ろし損ね、潰れた。
「ぐえっ……」
「へ?」
急いで俺も馬を降り、荷をひょいと持ち上げて横に置く。
彼女は無事なようだった。そのまますっくと立ちあがり、膝についた砂をぱっぱと払う。
「……慣れない動きでしてね」
「そ、そうか」
馬を繋いでいる間に、彼女はあの大きな荷を背負っていた。
さすがに体格に合わない。荷は彼女の半分ほどの大きさと重さがあるように見える。
誘うようにゆっくりと先に行ってみせると、彼女は不格好に前屈みになりながら、うんしょ、うんしょ、とついてきた。
助けようとしたが、どうにも近づき難く、とりあえずは見守ることとする。
すぐに鎖場に着いた。ここを乗り越えれば、あとは平坦な上り坂のみで頂上まで着く。
彼女は立ちふさがった岩と、それに繋がれた三本の鎖を見て言った。
「なんですの、これ」
「珍しいか。この鎖を持って上がるんだ。恐れることはないよ」
確かに、王都では見かけることはないだろうと思った。
見本を見せてやるべく、足を岩にかけて、手で鎖を持ち、引くと同時に一気に体を上げて見せる。それから次の二歩目まで一気にとん、とんと行く様子を見せて、いったん降りる。
「こんな感じだ」
「……なるほど。ちょっとやってみますわね」
彼女は訳知り顔で荷を置いて、自身も挑戦すべく鎖を手に取った。
「えいっ!」
……彼女の体は、ちっとも上にいかなかった。
片足は岩にかかっている。けれど腕を引くタイミングがずれているせいで、鎖が波打つようになるばかりである。
「えいっ! えいっ!」
……鎖がただ、波打っている。
荷下ろしが怪しかったあたりで若干疑いはしたが、まさか。
あの凛とした姿で勝手にこちらがそう思っていただけで、まさか。
いやでも、体力はあったし、一人でうろつくなら相応の運動神経があるんだと思ったが、まさか。
戦士にもたまにいるタイプだ。
とかく根性と体力だけがあり、姿勢は良く、平坦な道を長く歩くのは非常に得意で、長距離走などは、隊の上から五番目ほどの着順になることがある。
「……もしかして、君は」
ただ、投擲や剣の扱いはもっぱら苦手。馬の操術もせいぜい下の上。動きの習得は言語を通してのみ可能で、伸びしろも非常に少ない。
「ええ。実は私、めちゃくちゃ運動音痴ですの」
彼女は観念したように認めた。
「体力には自信がありますし、緊張しているとヘマはしないのですが、練習していない動きがどうも苦手で」
「……そうだったか」
「ですが、心配ご無用ですわ! 私、こういうのは根性で乗り越えることにしておりますの。経験上、やってやれないことはなくて──」
それで俺の制止も聞かず、立ち尽くす間にも荷物を背負い、無謀にもまた鎖を掴んで登ろうとする。
もう心配で仕方なかったので、上から荷物ごとその体を抱え、片手で鎖場を登った。




